ブラウン・ランドーンの方法
緊張をつくるもの

 外的筋肉のこりを散らすのは割合かんたんであるが、内的筋肉のこりは慢性に慢性になりやすく、これを散らすには「無意識による解放」以外に方法がない。
 内的筋肉の緊張の原因はいろいろある。はりつめた生活やいろいろのマイナス的感情はもちろんであるが、人生の単調さもその原因となる。
 アクビをしながら生活している人は、毎日自分のからだをいじめつけているわけだ。退屈という状態が一つの大きな「罪」であることを、よく反省してみなければならない。
 それから、もっと一般的な原因は、この文章の初めに書いたように、衝動と感情と活動を抑制することである。生まれた時から始まったこの「抑制」は、年令とともに増大し、中年になるともう外的な方法では治しようがなくなる。あなたがどんなに「あたま」をしぼっても片がつかなくなる。
 解決はただ一つ・・・それは「あたま」を使わぬ方法である。意識をすてた方法である。心のとどかぬ世界に入ることだ。
 解決をあきらめて、慢性緊張のなかで怠けていると、外的筋肉まで影響をうけ、身体全体が使いものにならなくなる。あなたの人生から悦びが追放され、灰色の人生が始まり、あなたは生ける屍となる。


思念は無力だ!

 ランドーン博士は、思念は無効だとハッキリ断言している。あたまで、魂の力は無限であるといかに思念をこらしても、事態はすこしも改善されない。アメリカのニュー・ソート流の信念の魔術的やりかたや、生長の家の心の法則的思念法は、ほんとうは何の効果もない。ごく表面で一時的の改善が見られることがあっても、内的筋肉の緊張がとけない以上、すべてブリ返してくる。
 われわれは徹底的な解決をめざさなければならぬ! 
 意識的な心は、もともと「抑制」という働きしかもっていない。内的筋肉を自由にするのに、心という抑制力を用いようとするのは、ちょうど「銀行強盗をつかまえるのに、別の泥棒をやとうようなものだ」とランドーンは言っている。
 日本には、血で血を洗うという表現がある。地のついた手を血で洗えば、ますます汚れるばかりである。このわかり切ったことを、多くの人が平気でやっている。
 心という曲者に、まず不信任状を突きつけよ!
 われわれがなすべきことは、意識がのさばるのを喰いとめて、霊的エネルギーが自由に流れ出すバルブを開くことである。「喰いとめる」と言っても、それを意識でやれば、また同じことのくり返しになるのであるから、意識には手の届かぬ「別の世界」に出なければならぬ。
 意識の心がどんなに無力であるか、ランドーン博士は次の計算を示す。
 人間の心臓に流れ込む炭酸ガスの分子数を全部かぞえ、それからこの毒物を体外に駆逐するに心臓がどう動いたらいいかを計算するとしたら、実に2009年かかるのである。現実にはこの計算を4分間で処理しなくては、たちどころに死を招くのであるが・・・。
 電子計算機がどんなに発達しても、エレクトロニックスの一大驚異ともいうべき人体の性能には追いつくすべもない。電子頭脳を考え出した「頭脳」は、いわば親のような立場にある。親は子よりも年が上である。
 心を棄てよ!


内側からのくつろぎ

 意識の心、頭脳の働きも、たしかに「魂」の機能の一つにはちがいない。しかし、ランドーンは、無慈悲にも心の作用を、
 「もっとも遅鈍にして、もっとも愚かな活動」
 と定義している。
 無意識による内的緊張の解放が始まると、それは大水源池のせきを切ったようなものである。とうとうたる激流は、岩を飛ばし、岸をうがち、いかなる障害をも乗りこえて海に注ぐ。あらゆる硬化した神経と組織を蘇生させ、ゆたかな生命を与え、病気という病気をハネ飛ばす。
 ランドーン博士は、自分の体験を語っている。内的緊張の解放ということに気づかなかったころは、病気の完全治癒はわずか10パーセントにすぎなかった。ところが、無意識による方法を用い始めたら、完全治癒率が91パーセントに飛躍したという。
 博士は、何年か研究を重ねたすえ、この「方法」を何びとでも家庭でかんたんに実行できるようにすることに成功した。容易に、しかも楽しくである!
 くり返して言う。意識を使ってはならない。意識をすこしでものぞかせると、霊の自由な表現がストップするからだ。
 ここで「霊」というのは、もちろん幽霊の霊ではない。宇宙にみちる偉大なエネルギーの本源を指すのだ。「霊」はあなたの身体を通してほとばしりたがっている。それを抑えているものをはずせ!
 これからが大切である。意識を使ってはならない。意識をはたらかすと、脳中枢の血行がバランスを失い、狂気がおこったりする。内分泌腺が変調をおこして全身の機能がダメになったりする。
 思念集中はもっとも危険である。身体の動きを無理に静止させることを教える東洋の修行法(ヨーガのごとき)も、熟練した指導者がそばについていないかぎり、有害である。すべてこのような努力は、意識的な心から発するからである。何度も言ったように、心は肉体の機能を失調させたり、内臓器官を不活発にしたりする。
 くつろぎは内側から来なければならない。それを意識で応援しようと思ってはならない。
 考えることによって「身の丈一寸を加えんや」とキリストも言っている。


長い灰色の部屋の奇蹟

 ランードン博士は医者であった。
 かれは自分の身体を完全な健康にもどすだけでなく、沢山の患者をこの画期的な「無意識による肉体の解放」によって治療せねばならなかった。
 今から70年以上も前に、ランドーンは神経学者として開業していたが、次のような設計の「部屋」を考案した。
 幅5間に長さ10間以上の部屋である。日本式にいうと、百畳敷き以上の部屋だ。