アメノミナカヌシの秘密
今年の5月末にやっと関西汽船が瀬戸内海を走らせることに成功したとかで、早い早い、神戸から高松がわずか2時間という凄いものだ。時速75キロというから、スピードマニアの人はほかの乗物と比較してもらいたい。
 けさ、これに乗っているときのガイド嬢の説明では、船底に特殊鋼の水中翼があって、こいつが船全体に浮揚力を与えるので、船体は水の抵抗を受けず空中を飛ぶことになる。この水中翼は航走中流木などあるとまっぷたつにチョン切るというから怖るべきもの。タコなども真っこうから割られて4本足の奇物が2匹できる勘定になる。
 ところが面白いのは、布やら藻やらフニャフニャしたのが翼にからみつくと、ニッチもサッチもいかなくなり、いったんゴミを落としてからでないと快速もダメになってしまう。
 われわれも地上でモタモタ這いずり廻るよりも、天馬空をかける式に颯爽たる人生を創造するほうがよっぽど快適なのだが、いかにせん、われわれの心という水中翼にいろいろのゴミがこびりつきニッチもサッチも行かなくなっている。
 心のゴミとは何かというと、要するに引っかかり、気がかりというやつで、むずかしく言えば「執着」というものだ。これを取ってしまえば、だれの心でもカラリサッパリとし、湯上りの気分、天候で言えば、日本晴れというのになる。これがなかなかできないので、世にはノイローゼがはびこり、人と人とがいがみ合い、怨恨・嫉妬・憎悪・敵対・猜疑・焦燥・不安・恐怖などの感情が毒キノコのように生えてくる。
 心をサッパリさせるということが嫌いだという人は、日本中にも世界中にも、ひとりもいないと思う。ところが周囲を見まわすと、サッパリした人よりモッチャリした人のほうがどうしても数が多いのはどういうわけだろう?
 そこで、私はいろいろ考えたすえ、日本人が南米の人間などよりもモチャモチャしている原因の一部は、わが国の湿潤な風土のせいであるという仮説を出し、哲学者の和辻哲郎サンにきいてみたら、やっぱりそうだということになった。
 すると、やっぱり戦後ドライという言葉がはやり、若い人はドライで古い人はウェットだということを皆がしゃべり出したのは、深い意味があってのことらしい。つまり、日本民族の進歩の方向はドライ・クリーニングにあるというのだ。
 クリーニングと言ったのは、心の汚れを洗いきよめる意味からである。今までは水を使ってビチャビチャ洗っていたのが、こんどは最初からドライで行く。
 さて、この辺まで書いたところ、いま滞在中のお宅の主、伊東聖蘭サンが私をお集まりの皆さんに紹介すると言われるので、板戸をあけてお出ましになると、そこには誰もいない。左を見るとお燈明のともった神前で、左のほうに沢山人がいる。つまり、私は教祖さまより上座、神さまの次あたりに坐ったわけだ。ここで私はミソギ(水ではなくノリトによるもの)を受け、浄らかな神の子となった。
 お祈りのとき、一人の女の人が神憑状態になって、明神岳からの日本武尊(やまとたけるのみこと)のおことばを伝達された。つづいて熊野からアメノクスヒノミコトもいらっしゃる。
 アメノクスヒのことはよく知らないが、ヤマトタケルノミコトは私が幼いころ『児童文庫』の古事記物語を耽読して最もひきつけられた英雄の一人である。ヤマトタケルノミコトは申すまでもなく(といっても忘れた人は多かろう)、景行天皇の皇子で本名オウスノミコトと言う。天皇の命によりクマソを誅し、またエミシを鎮定した。駿河では天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で野火の難を払ったが、この時の「火をもって火を払う」戦法は「毒をもって毒を制す」式の秀れたもので、ミコトの沈着と智謀のよきあらわれである。ミコトは男の中の男ともいうべき人であったから、女性に慕われること限りなく、走水(はしりみず)の海で船が沈みそうになったときは、オトタチバナヒメが進んで身を海神に捧げ、愛するミコトの命を救った。帰途、近江の伊吹山の賊を退治したときに病にかかり、伊勢のノボノで没したと伝えられるが、ミコトの魂が一羽の白鳥となってどこともなく去って行くくだりの哀切きわまりない古代の詩情は、幼きリンサンの涙をしぼったものである。
 それはともかく、私がここ高知県南国市オオソネ西の窪の天御中主奉斎会の客人となった初夜に、日本武尊がお出ましになったということは、同気相引くのたとえどおり、私には嬉しいめぐりあわせであった。
3 天のオナカ
 天御中主奉斎会の主宰者伊東聖蘭サンとの出会いは奇しきものであった。
 それは前章に出てきたエルベール夫人と山蔭サンと同行して高知の神社巡拝を終り、コンピラサマまでの車中に、ちょうど出雲までお出かけになるという聖蘭サン一行とバッタリ出会った。山蔭サンは前から聖蘭サンを知っていたので、ここで私が通訳して聖蘭サンの神秘体験の一部をエルベール夫人(エジプト王朝の血を引く絶世の美女)に話すことになり、その後私と聖蘭サンの縁はだんだん深くなったというわけ。
 ここに去る4月、山岸会に止めを刺されて、無我執・無所有の人となった私にふと天啓のひらめくところがあって、聖蘭サンに、
「天御中主神の研究と著作のために、お宅に一月滞留したい」
 と申し出たところ、聖蘭サンもよろこばれて快諾された。5月14日に東京を出て西下、途中旅費がなくなってタイプライターや時計を質に入れたり、あちこちで乞食したりしてここまで来たいきさつは前掲『天国と地獄』および『AZ革命の秘密』(柳井市天神北区百花苑文庫刊)にいろいろ書いたから、詳しくはそれを読んでいただきたい。
 天御中御祖(おめのみなかみおや)の命拝(みことおろが)みて神集(つど)い寄る今日の音ずれ
 という歌がここの奉斎会のプリントにあるが、神集いにつどうというヤマトコトバの響きはまことに美しい。一人二人が神さまでなく、あつまった全ての人がみんなカミサマ、という思想−−これでなくてはならぬ。罪の子ぞろいのキリスト教会にはみられぬ明るい考えかたである。
 汝らは神々ということばがキリスト教のバイブルにもあるそうであるが、凡百の牧師はそんなことには目をつぶって、
 「ヤイ、罪の子よ!」
 と罪なき人の子をおどかして入教をすすめる。イヤな手だね。
 だれでも、小さい時からのコンプレックスで何がしかの罪意識を持っている。駄菓子屋でカリントウをくすねた罪や、親の肉交をのぞき見たやましさや、手淫のうしろめたさなどの想い出も、潜在意識の底のシミとなって、成人してからの何とはなしの罪意識の母胎となる。罪悪感は雪ダルマのようで、その後も事あるごとに「私は悪いやつだ」という観念が降りつもり、何をしてもオドオドと人のうしろにスッ込んでいるような情けない人間ができ上る。
 そういうモヤモヤを吹き払うのは、神道の「みな神さま」という思想である。古代日本では男はヒコ、女はヒメであった。これを漢字にあてはめると、日子と日女に