人々は、最悪の加特力教徒である。とくに力を加えることもできず、大勢に順応して当たらずさわらずの一生を送る。無難だがつまらぬ。
 自己紹介をするのに、松下電工の山下ですというような言い方をする奴がいる。なんで権威に自分を結びつけたがるのか。
 恥を知れと言いたい。
愛美通信
主にあうまで
                     アスカ
 「主にあうまで」というタイトルで9枚の原稿をアタシが引き受けることになりました。しかも今日は〆切なのデス。原稿紙に書くなんてことは小学校の作文以来、実に久しいことですが、それよりも「主にあうまで」はもっと長く23年にもなります。つまり私はウサギ年生れの23歳、トシオンナ。実際に主に逢ったのは1974年7月25日、九州大分のセミの鳴く地ででしたが本当はもっともっと前からしょっ中あっていたような気がします。
 19歳のときも17の高校生のときも、8つの子供だった頃にも・・・・・・です。だからあなたも、この通信を手にしたのは大きな縁、この通信を手にすることは、つまり主とつながるきっかけとなったわけですが、やはりあなたも、もっとずうっと以前からこのきっかけの元の元となるものが心の内にあったんじゃないかしらと思うんです。
 さて、「主」とは一体誰じゃろうかとあなたはお考えのことでしょう。お釈迦さまかキリストさまか、現代の救世主か聖人か、多分そんな連想をなさる人も多いかと思います。さてそれじゃアタシが一言申し上げましょう。
 彼、我が主(愛美霊主)は絶対に聖者風ではございません。一目お逢いになったらわかりますけれど彼は人の子、ハナクソだってほじくるし日本酒もウイスキーもビールも飲みます。モモひきを間違ってウラがえしにしてはくことだってあるのですからやはり人の子、おサルや天狗の子じゃ断じてありません。愛用のタバコはショートピース。せっせせっせとよく吸います。みなさん、ここがいわゆる聖者、聖人のイメージと違うところ。何か健康法でも熱心にやっている人はすぐ酒を飲むなんてトンデモない、体に悪いとかナントカおっしゃいますし、新聞やTVのニュースを聞いて肺ガンの恐怖を感じながらコソコソとニコチンの少ないとか言われるセブンスターやチェリーなどを日に10本以上は吸わないようにと心してチビチビ吸っている人はやはりアレマ、この人はとお思いになることでしょう。どうも一部を見て勝手にそれが全体であると思い込み、信じ込んでいる人がずい分多いようです。そして言葉の概念を自分で適当にデッチ上げてそれが本当だと思い込んでいるのか思い込まされているのか・・・・・・。そういう勝手なイメージをぶっこわしちまいましょうよ。そんなものあったってロクなことないから! 行者とか聖人は断食、禁欲、白い衣でもまとってオマンコのオの字も口に出さないようなつまらないイメージを。ですから我らが主は絶対に聖者風ではないことをはっきり言っておきます。聖人ならぬ性人の方がピッタリしてます。主は◎のマークで書かれることもあります。マル書いてチョンのマーク、おヘソみたいでしょう? おヘソは体のどこにあるでしょう。鼻のマン中や足の裏にある人がいたら別ですけれど人にはみいんな同じ位置にそれがありますね。おヘソはとっても大切な所、お母ちゃんのお腹にいた時はそこから十分な栄養をいただいてオンギャアと生れてきたんですもの。それに御自分の五体をようく見てごらんなさいな。まるで宇宙の縮図であることがわかってきます。目は芽、歯は葉、耳は実のようですし、アマテラス大神つまり日の女神は目から生れました。人は雨のように涙を流すし熱が出ると火事のよう、オデキも火山みたいです。胃や腸に動けといわなくても各器官はキチンキチンと動いています。さてオヘソはというと、この五体宇宙、人間小宇宙のマン中、つまり中心にちゃあんと位置しているのです。◎はアメノミナカヌシノ神でもあります。すべての中心点、宇宙の中心です。カナメなのです。歴史は続きます。永遠の昔から永遠の未来へと限りなく続く。その長い時間を横にながめたらただただ永遠につづいていますけれど、「今」の一瞬間をタテにごらんになって下さい。つまり、時間という横の次元 ←→ に我々が中心なりと「今」のこの瞬間に集中し、瞬間に生きるという意味で ←1→ とするのです。今がすべてです。過去の記憶にひっかかったりせずに、今、今を生きることなのです。横(歴史)は無限ですが、今は一点、そして過去も現在も未来をも含む一瞬なのです。この瞬間を真剣に大切に生き抜いた人、その人こそが宇宙の中心、つまり宇宙「○」に「・」の◎な訳です。それが主です。オヘソマークはわれ我が帝王の世界、中心の人。釈迦もキリストもマホメットも「◎」主、そして真人、神人であります。
 我が愛美幽主は今コタツの反対側でねています。主との出逢いは74年7月ではなく、実はもっと前から目に見えない糸でつながっていました。地獄に仏、まさにそのとおりです。アタシの本籍地は何を隠そう地獄なのです。現住所は別として、本籍はまっくらいどうしようもない程の地獄なんです。仏教で十界という言葉があります。下は地獄、そして上にあがるにつれて餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏と、心の状態にはいろいろとあります。TVの「夜のヒットパレード」などでキャッキャッと笑い歌うのは人の世界、人生に不平不満ばっかりでストレス解消のためにマージャンや競馬にうつつを抜かすのはどうみたって人以下の世界です。地獄、よく耳にする受験地獄だとか交通地獄まさに地獄、コインロッカーに赤ちゃんを捨てて殺してしまう母親の世界も、倒産で首をくくるのも、アフリカやインドで食糧難、栄養失調でバタバタ死んでいくような世界も、20世紀高度の文明をホコるとかいってホコリ、公害の汚染が世界中に広がって天候まで異常気象と化したこの世紀末の世も地獄、そして新聞でそれらのニュースを読み人事のようにポイと新聞を横におく人の心も、倦怠にとりつかれ、いつも何かいいことないかと口にしながらもお金の為にと無理して働きに出る人もみんなみんな地獄じゃありませんか。あなたにも地獄が確かに存在しているのです。ところがこの地獄性にまだ気がつかず光の方向を見ずにますます暗い地下の方に穴ばっかり掘っている人があまりにも多いので悲しくなります。すべての問題が外にはなくチャンと自分の内にあるのに、そして内と外は同じなのに、あなたも宇宙、地球社会も宇宙なのに気がついてない。内に目をひらかず、つまり自分の地獄性にも気づかずに社会に文句ばっかり言ってる。ねえ、サラリーマンのあなた、デモもストライキもするけど給料が上ればそれで満足なの? あれが欲しいこれが欲しいと文句ばっかり言っててまるでコジキじゃないの。要求ばっかりして少しも自分を見つめようとはしない。愛されたい愛されたいとお題目ばっかり唱えていても自分にはひとかけらもそれが無い。自民党のかわりに共産党が政権を握れば良くなるだとか、彼女が変わってくれたらオレも幸せになるだとか、オカネがもっと一杯あったらいいだとか・・・ ああいやんなっちゃった。
 そして思想だとか哲学だとか宗教だとかにこっている人は肩までこらして今度はその思想にがんじがらめに縛られて奴隷になって安心、喜んでる。アタシ、マスクスの奴隷よとかいう具合にね。そしてお互いに他の思想や宗教を批判しあったりしてる。もっと自由になったらよさそうなものなのにそれが嫌だと首を横にふる。もっとワクをはずそうよ。自由に考
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文中、◎の内側の丸は点(・)がただしい。