私の気速がこの身体をオ−ヴァ−した。右肩に緊張が走って気分が悪くなったので、これはいけないと、裏庭に出てネギに水をやった。カラカラに乾いている土。南インドのもっともっと乾いたあの赤土のことを思い出す。奇妙な形に盛り上がったコブラの塚が頭に浮かぶ。キングコブラではなく、日本のマムシくらいの小さいコブラの巣があちこちにあった。同行の田中一邦君が知らないため、靴でそれを突きこわそうとしたら、そばの子供が青くなってそれを止めた。「噛まれるよ!」
あのインドの風土のなかで、シルディ・サイ・ババの本を読んだので、しみじみ分かったのである。今、この文を読んでいるあなたも、本当には内容が分からないかもしれない。想像力が豊かな人でも、インドだけは行ってみないと分からない。幸い、サッチャ・サイ・ババはまだ30年近く、地上に在世される。この私の小伝がきっかけになって、あなたが印度に渡ることになれば一番いいことだ。

 ゆっくり進もう。シルディ大聖の絵物語のどこにも、あの大聖が現在のサッチャ・サイ・ババに生まれ変わったということは、書いてなかった。だが、次に私が手に入れた48ペ−ジのシルディ大聖小伝「SAI BABA OF SHIRDI」には、信じる信じないは自由であるがという但し書きをして、そのことに触れてあった。その後、帰り道でもう一度ボンベイに寄ったときに、シルディ大聖の信者に会って確かめることができたが、ムスリム(イスラム教徒)たちは、コ−ランの教えどおりに、転生を信じていない。そのため、サッチャ・サイ・ババが13歳以来かずかずの証拠によって、自分がシルディのサイババの生まれ変わりだということを証明したにも拘らず、いまだにシルディ・サイ・ババの帰依者である人々の大部分のムスリムは、サッチャ・サイ・ババとは別の人間として、シルディのサイババを賛仰しているという事実を、私はインドで初めて知ったのだった。そして、肉体を持たないシルディ大聖は今なお、その信者に豊かな祝福を垂れ、実生活において奇跡的な加護と救済を続けているのである。
 私は20代にエドガ−・ケイシ−を知って以来、転生の事実を疑ったことはないし、仏教の伝統に生きる多くの日本人のなかでも、輪廻転生について疑う人は、キリスト教やイスラム教の国の人々に比べて少ないと思われる。しかし、ムスリム(回教徒)の転生否定の信念はすこぶる堅い。私がプッタパルティで手に入れた2冊の本は、ともにそういうムスリムの著者によって書かれたものだったのだ。しかし、それは印度人にとっての問題であって、日本人のサイババ帰依者には関係のないことかもしれない。
 しかし、古くはパキスタンの独立(1947年)、近くはカシミ−ル国境での紛争、北インドにおける二教の抗争、それが飛び火して、私が印度に渡る直前のボンベイ(人口600万)での二教徒の殺し合いの市街戦−−それはUSAにおける白人と黒人と対立と並ぶ人類の大問題の一つである。特に、インドの場合は宗教が対立の原因となっている。現在、ボスニアにもその問題がある。暫く前の湾岸戦争も、フセインのアラ−対ブッシュのゴッドとの戦いのようであった。
 さらに古くは、中世欧州における十字軍の歴史がある。「汝の敵を愛する」ことのできない偽クリスチャンの教皇ウルバヌス2世が、1095年にイスラム教徒を討伐し、聖地パレスティナを奪還せよ、という大号令を出した。それ以後13世紀の終わりまで、この異教徒との愚かな殺し合いは続くのだが、ヨ−ロッパのクリスチャンがその後、十字軍の愚挙を真剣に反省したという話は聞いたことがない。
 イスラム教は、もともと預言者ムハマッドの采配によって、コ−ランを左手にかざし、剣を右手に打ち振っての征服戦争の道具であった。彼らが好戦的であるのは致し方ない。ヒンドゥ−教のもとで平和に暮らしていた印度民衆を征服したのも、イスラムの王たちであった。8世紀には既に、インダス下流地域にイスラム勢力が進出している。1526年に最後のイスラム王朝であるムガル朝が始まり、1857年の戦争で滅亡するまで、イスラムの支配は千年以上も続いたのである。そのあとに、英国の支配が全インドを覆い、キリスト教の伝道も行われたにはちがいないが、第二次世界大戦直後のインド・パキスタンの分離独立まで、キリスト教はインド民衆には浸透できなかった。印度教(ヒンドゥ−イズム)は民族に根づいていたのである。
 そういう背景において、シルディ・サイ・ババがボンベイ近くの小村シルディにおいて、目覚ましい、彼しか出来なかった方法で、印・回二教の対立を消す活動に生涯を捧げた。しかし、二教の融合はいまだになされていない。転生したサイババは新しい解決策を持っておられるだろうが、なぜか今の教化活動は濃厚にヒンドゥ−教的である。
 ホワイトフィ−ルドでもプッタパルティでも、アシュラムにはタ−バンを巻いたムスリムの姿が散見された。少数ではあるが、サイババの教導によって、地上には一つの神しか存在しないことを悟ったイスラム教徒は確地上には一つの神しか存在しないことを悟ったイスラム教徒は確かに存在するのである。
 結論的に言えば、21世紀には宗教の障壁は消えてしまうだろう。印度の民族宗教であるヒンドゥ−教には、素晴らしいものが多々あるが、来たるべき地球統一国家において、たとえば日本人がみなヒンドゥ−教に改宗・帰依するということはありえない。伝統は伝統のままで、宗教間対立は雲散霧消するだけのことである。先進惑星には宗教はないと言われる。神は神であって、神にブランドネ−ムはない。全地球人が「一なる神」とともに生きるようになれば、神に名は要らなくなる。
 その時代を完成するのは、三度目の転生をするサイババのお仕事であろう。プレマ(愛)のサイババと呼ばれるかたの下生を待つしかない。
 だが、今は19世紀から20世紀にかけてのシルディ・サイ・ババのお働きを眺めることにしよう。

3.シルディ大聖のスケッチ

 詳しい説明に入る前に、「絵入りサイババ伝」を眺めながら、彼の生涯の粗筋をたどってみることにする。
 表紙には、シルディ大聖を中心に多くの人が立っている絵がある。トルコ帽やタ−バンや剃髪や、さまざまの男女が立っている。子供がいる。みな裸足である。ひときわ背の高い大聖は、白い頭巾に白い髭、ワンピ−スの白いガウンをまとっておられる。トルコ帽に背広を着て、ネクタイを締めている紳士が、花輪を大聖の首に掛けようとしている。森厳の気がただよい、二人の帰依者がそれぞれ、大聖の脇の下に後ろから手を差し入れて、支えている。大聖は80代という感じである。みな、第三の眼のあたりに印をつけている。赤い丸もあるし、3本の横線もある。縦に一本黒で筋を描いた人もいる。
 シルディ・サイ・ババのお顔は、サッチャのお顔とはずいぶん違っている。幾分下がり目で、眉毛もそれに添っている。鼻は長くて高いが、サッチャのそれのように雄大ではない。唇は豊かで分厚い。全体に面長である。眉毛と目のあいだは迫っている。
 P3に大聖が一人坐っている絵がある。右脚を左膝の上に重ねる癖があるようだ。そばにマッチ箱と喫煙具が無造作に転がっている。シルディ(ときどきはこのように略称しよう)は煙突のようにタバコを吸われた。それを悪い習慣だと批判するのは自由である。私はありのままを記述するだけ。シルディが激怒すると、親近する弟子たちも傍に寄れないくらい恐ろしい状態になったと言われている。今のサッチャは温和である。煙草は吸わない。酒はもちろん飲まない。ヒンドゥ−教でもイスラム教でも、アルコ−ルは禁じられてい
大聖シルディ・サイババ小伝