る。因みに、イエス・キリストは葡萄酒を、いわゆる「罪人」たちと飲まれたと記録されている。結婚式に招かれて、酒が足りなくなったときは、水がめ6杯の水を葡萄酒に変えるという奇跡を行なった(ヨハネによる福音書、第2章ほか)。カトリック教会では、葡萄酒をキリストの血として信者に与える聖餐式がある。そのため、現代の神父のなかにはアルコ−ル依存症者が多いという事実もある。
 神道では、人々の和合のために、お祭りのあとで神主が御神酒を人々に下げ渡して「なおらい」の場を作るのがしきたりである。ナオライは「直り合い」である。人々の対立を消すものである。
 仏教は印度教から出た大きな脇枝である。仏教はインドの国境を越えて、世界宗教になった。キリスト教もユダヤ教から出た大枝で、これも世界宗教となった。しかし、仏教僧侶は本来禁酒とされている。(韓国では、今でも女を抱き酒を飲む坊主は追放される。)禅寺の入り口には「葷酒、山門に入るを許さず」の制札がある。クンとはネギ・ニラなどの臭くて刺激性の野菜。肉ももちろん駄目。きわめて印度教的である。酒についてのキリスト教の態度は、神道のように自由であるが、飲酒の弊害から、ピュ−リタンのような禁酒派も新教(プロテスタント=反抗者)から出た。
 サイババは或る日、どこからともなくシルディ村に来て住み着いた。村人は彼を「サ」または「サイ」と呼んだ。その意味は「神、われわれとともにあり」であった。絵を見ると、まだ髭が黒いサイババが破れころもを纏って立っている。右手には長いキセルのようなものを持っている。石油ランプを持ったタ−バンの男が、サイババの顔を照らしている。ほかにも何人かの男の姿が見える。あとで詳しく述べるつもりだが、サイは自分を呼ぶには敬称は要らないと言った。「ただ、サイでいいよ」と言われた。
 次の絵は、ある民家に行って托鉢をしているところ。サリ−を着た若い主婦が、両手で米をサイババの白い袋にそそぎ入れている。痩せた犬が一匹。現代でも、インドの犬は人間と同じように、やせこけている。私は猫を殆ど見なかった。ある食堂でやっと一匹を見たが、あの乾燥と、緑が見えない赤土では、猫の餌であるネズミもめったにいないだろう。雑食の犬はどうにか人里で生きて行ける。
 素晴らしい白猫がカシミ−ルにはいるよ、とアラビア系の絨毯商が私に言ったことがある。しかし、荒れ果てたインドの内陸には、猫の生息条件がない。
 サイババの托鉢はわずかの戸数を回っただけであったが、或る家のケチな女房を叱ったことがあった。「母親よ、あなたのところには沢山のチャパティがあるね。お米も、いろいろの野菜も台所には溢れているな。それなのに、貧しいファキ−ル(アラビア語で、托鉢僧の意味−−訳注)にひと口の食物を拒むのはどういうわけだね?」サイはその台所を透視して、優しく戒めたのだったが、その主婦は恐れ入った。その後、多くの女たちが先を争って、食物をサイの足もとに捧げるようになった。敬愛を食物の形で表わしたのである。
 初めのころ、サイは森のなかに住んでいたが、バイジャバイという篤信の女は、真心をこめて作った食事を捧げるために、森のなかを毎日捜し回ったと言われる。絵では、サイはその左手を挙げてバイジャバイを祝福し、彼の目には感謝の光が見られる。サイは人間の形を取っておられ、人としての必要物があった。それを縁として、アヴァタル(救世の神人、英米人はアヴァタ−と発音する)とバクタ(帰依者)との美しい関係が生まれた。
 次の絵に、サイの奇跡の一つが描かれている。チャンド・パティルという男がいた。彼が或る日、森のなかを馬で旅をしていた。すると突然、煙草を吸いたくてたまらなくなった。ところが、困ったことに彼の煙草に火をつける道具を忘れていることに気づいた。サイババが木の下に坐っているのを認めて、チャンドは彼に近づいた。「マッチをください。」「そうか、でも儂にもないよ。」しかし、近くにあった挟み火箸を押すと、そこに炎が立ちのぼった。馬で来た男はその奇跡に感動して、ババが神の化身であることを信じ、ひれ伏した。
 奇跡のことをインドの言葉ではリ−ラ(leela)という。イエス・キリストも治病や悪霊の追い出しや水の上を歩いたりの数々の奇跡を示さなかったら、あれだけの人々を改心させることはできなかっただろう。宗教批評家のなかには、超能力による奇跡だけでは、その人が「神から来た人」であるかは分からないという人がいる。それは正しいが、奇跡がゼロの教祖や聖者は歴史上少ないのではないか。「自分は奇跡を起こさない」と宣言した聖者に、やはりインドのメ−ヘル・ババがいる。彼は1894〜1969年の人だが、神との融合体験をしてから、5人の大師を歴訪してその印可を受けたと言われる。その一人にシルディ・サイ・ババがいた。しかし、そのメ−ヘル・ババの帰依者のなかには、日照りの雨乞いなどさまざまの奇跡(リ−ラ)を頂いたという人も多かった。しかし、メ−ヘル・ババは「私には関係ない」と言い張り、「無条件に私を愛しなさい」と言い続けて一生を終わった。サッチャ・サイ・ババは、メ−ヘル・ババの信者からそのグルについてコメントを求められたとき、簡単に、「彼はジョ−カ−だったよ」と答えたということである。その意味は私にもよく分からないが、神はマヤ(幻妄のこの世)を冗談ごととして扱うという意味にも解釈される。

 良家の出であったラダ・クリシュナ・マイという婦人は、サイババのアシュラムの構内を掃除する奉仕行を進んで引き受けた。そのような形で、「主」であるサイババへの尊崇の心を表わしたと言われる。
 天理教では「ひのきしん」という言葉がある。それは専ら、「お地場」と言われる天理市での勤労奉仕の意味に用いられているようだが、本当の「ひのきしん」は、天理教外のどんなところに居ても為しうるものだ、と私は思う。極端な話と言われるかもしれないが、天理教徒がたまたま創価学会の門の前を通って、そこにゴミがあったらやはり拾って清らかにするのが、「ひ」(火、日、霊はみなヒと日本語で言う)の「寄進」であろう。個人のエゴは人の目に入りやすいが、集団自我(グル−プ・エゴはメ−ヘル・ババの用語)に気がつく人は少ない。愛国心や愛郷心や愛校心はみな集団自我の表れである。自分の家庭を何よりも大切にするのも、自分の属する宗派やイデオロギ−に盲目的に執着するのもそれ。だが、今のサイババは、「みな、自分が祖先から、また昔からやっている宗教を大切にして、礼拝と愛・慈悲の実行をしなさい」と帰依者に勧めている。
 次の絵には、大きなかめを下から火で燃やして、ごった煮をかき混ぜているサイババの姿が描かれている。この土がめは「魔法のポット」と呼ばれた。野菜と米とスパイスを混ぜて煮るのであるが、幾ら汲み出してもあとから後から溢れて、全員の空腹を満たすのに充分であった。
 イエス・キリストは五つのパンと二匹の魚から、5000人に充分の食物を与えて、なおかつパン屑と魚の残りが十二の籠に一杯あったということだ(マタイによる福音書、6章30〜44節)。
 現存のサッチャ・サイ・ババも、同じことを幾度もなさっている。

 シルディのサイババは子供たちと遊ぶのが大好きだった。イエスも良寛も同じ。
 マルコ伝の10章13〜16節には、イエスと子供たちの関係が記録されている。イエスに触れていただきたいために、人々は子供を連れてきた。弟子たちはその人々を叱りつけた。優しいイエスもそのときは珍しく「憤り」、弟子たちに次のように言われた。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された、とある。
大聖シルディ・サイババ小伝