所に行く。」次の朝、彼はシヴァ神の到来を待っていた。ちょうど10時になると、10歳ばかりの男の子を連れたやもめが姿を現わすのが見えた。
 バブ−の養母はバンクッシュ・マハラジに、バブ−について一部始終を語り、次のように言って、その子を引き取ってくれと頼んだ。「バブ−から離れて暮らすことは、私にとってとても辛いことなのです。でも、こうしないと村の人々がこの子を殺してしまいます。それで、私はこの子をここに連れて来ることに決めました。ここにいれば、この子は少なくとも生き長らえることができるでしょう。」
 バンクッシュ・マハラジは前夜の夢を思い出して、バブ−の正体を知った。それで、その母親に、「心配することはない。バブ−はここにいれば安全だよ。私は充分注意してこの子を育てよう。」
 目に涙をためながら、彼女はバブ−に言った。「愛する息子よ、お前はここにいれば安全なのだよ。グル(先生)の言いつけを守りなさいね。いつもグルの仰るようにするのですよ。」バブ−はうなずいた。養母は重い心を抱いて、その場から去った。
 そのアシュラムに来てからのバブ−は、妙なことはいっさいしなかった。よく彼のグルの言いつけを守った。バンクッシュ・マハラジも非常に少年を愛した。そればかりか、彼はバブ−を「若い神」として敬った。その結果、アシュラムに前から住んでいた他の少年たちはバブ−を妬むようになった。グルの目の前ではバブ−に優しくしたが、いったんアシュラムの外に出ると、少年たちはバブ−に悪口を浴びせるのだった。時には、彼をぶつようなことまでした。しかし、バブ−は何も言わず、されるがままにして逆らわなかった。微笑をもってどんなことにも耐えたのである。他の子供たちの悪口をグルに言いつけることもなかった。
 数年が過ぎた。或る日、バンクッシュ・マハラジはバブ−にバエルの樹の葉を集めてくるように命じた。バブ−はグルの命令を果たそうと、アシュラムの外に出た。
 バブ−を嫌っていた少年たちはこのチャンスを外で待っていた。彼らはバブ−を殺して、その死体をジャングルのなかに捨てようと計画していた。死体は野獣に食われてしまうから、見つかる恐れはないと思っていたのである。そういう企みを抱いた数人の少年がバブ−のあとを付けてきた。バブ−がバエルの樹の葉を集めるのに忙しくしていたすきに、少年たちは棒を振るって、バブ−を殴り始めた。バブ−は意識を失った。すると、一人の少年はどこからか大きい煉瓦を一つ持ってきて、それでバブ−の頭に一撃を与えた。彼の頭はひどい出血となった。少年たちは彼が死んでしまったと思って、アシュラムに取って返した。
 数時間たってから、バンクッシュ・マハラジはバブ−のことを心配しだした。数人の少年を連れて、彼はバブ−を捜しに出かけた。やっと、グルはバブ−が血の海のなかで気を失っているのを発見した。彼はバブ−を抱き起こして、川岸に連れて行った。川水で傷を洗って、そこに薬草を貼ってやった。
 しばらくすると、バブ−は意識を取り戻した。マハラジは「バブ−よ、いったい誰がお前を襲ったのだね?」と尋ねた。バブ−は少年たちに目をやってから、こう答えた。「僕はバエルの葉を集めるのに忙しくしていました。すると、誰かが後ろから僕を襲いました。」彼は少年たちを責めなかった。マハラジは言った。「すると、お前は元の村の連中に襲われたにちがいない。これからは、どこにも一人ではお前を出さないようにしよう。」それからアシュラムに歩いて帰る途中で、バブ−は自分の頭を打った煉瓦を拾い、それを持ち帰った。その煉瓦は乾いた血で覆われていた。
そのときから、少年たちはバブ−を悪く言わなくなった。彼らは心のなかでこう思った。「バブ−はたしかに良い奴だ。言おうと思えば、彼は俺たちの名前をマハラジに言うことができたのに、それを言わなかった。それで、俺たちが罰を受けないようにしてくれたのだ。」こうして、少年たちは行いを改めた。数年たってから、マハラジは死んだ。葬式を済ませてから、バブ−はアシュラムを立ち去った。そのとき、乾いた血のついた例の煉瓦を携えて行った。彼はファキ−ルの装いをして、どこへともなく旅に出た。ファキ−ルはそのとき、16歳になったかならないかの年齢であった。


10.シルディ村に初めて現われる

 それは1858年の或る日だった。日本では江戸幕府の安政年間である。
 朝、シルディの村人は家を出て、畑に向かっていた。古い寺の近くのセンダンの樹の下の大きな石の上に若いファキ−ルが坐っているのを、何人かの村人が認めた。ファキ−ルは16歳だった。彼の坐り方は独特のものだった。左足は地上に置き、右脚を左脚の膝の上に乗せていた。彼の顔には天上のものとも思われる微笑が浮かんでいた。
 多くの人々がそこに立ち止まって、若いファキ−ルを眺めた。彼を見たことのある人は誰もいなかった。「お前は誰だね? どこから来たのか?」と誰かが尋ねたが、ファキ−ルは何も答えなかった。その代わりに、彼は哄笑した。その笑い声を耳にして、この若者は気違いにちがいないと思った人々もいた。また、これは偉大な聖者にちがいないと考えた人々もいた。そのうち、沢山の人々が集まって来て、若いファキ−ルのことを知りたがった。
 ヤッド・パティルはハイデラバッド地方のドゥップ村に住むナワ−ブ(イスラム教の王侯)だった。彼がアランバッドに赴く途中で、彼の黒い馬が行方不明になった。彼はこの馬を非常に大切にしていた。馬の頭には、白い丸い斑点があった。ナワ−ブは兵隊を使って馬の捜索を始めた。一同が馬を捜しているうちに、彼らはシルディの村に着いた。古い寺の近くの群衆を見て、ナワ−ブはそこに来て、誰か彼の馬を見たものがないかと尋ねた。人々はヤッド・パティルもその馬もよく知っていた。彼らはその馬を見なかったと答えた。 突然、ファキ−ルはこう言った。「パティルよ、あなたは自分の馬を見失ったので、それを取り戻そうと思っているのだね?」その言葉を聞いて、ファキ−ルも他の人たちも驚いた。パティルは両手を組み合わせて言った。「そうです、ババ。馬を見つけるのを助けてくださったら、とても有難いのですが。」

                                        
番 外 

 この著述三日目の夜の21:55。長い道のりをスタスタ歩いて来た。休みたくなる。周囲の景色を眺めたくなる。1993−1858=135年前のサイババ。それを回顧している66歳の日本人の私。「神 一」(じん・はじめ)と何となく名乗っている私。「神は一つ」であり、何をやるにも「神が一番」としている私が「番外」を書きたくなっている。
 5歳から18歳までの6人の子供がひしめいている奥豊後のこの田舎家。私より25年あとに奥州の八戸に生まれた最後の妻と同居しているこの男。
 サッチャ・サイ・ババは、かつて「人間は60歳を過ぎたら、神との結婚を始めるべきだ」と言った。しかし、小林一茶は60歳を過ぎてから、3度目の妻を迎え、彼の死後に
大聖シルディ・サイババ小伝