生まれた子供は夭折せず、彼の血を後世に伝えた。一茶は地主として晩年を送り、農業は小作人に任せて、自分は俳句三昧に暮らした。1763〜1827の人。作品は日本人に広く愛されているが、彼は血縁の薄い孤独な俳人であった。
 シルディのサイババは「人を超えた人」であったが、ヒンドゥ−教とイスラム教との対立のあいだに自分を置いて一生を終えた。彼は救いの人であり、民衆は彼を「生き神」とした。シヴァ神の化身であったが、ムスリムが多く住むシルディ村では、そのことを口にしなかったであろう。イスラム教の批判などせず、進んでモスクに居住した。イスラム教の修行僧・ファキ−ルとして、その姿を示した。ヒンドゥ−教のサンニャシとして自分を現わさなかった。イスラム教徒は少数派であったから、力の関係で弱いほうに身を置いたのかもしれない。
 人類を限りなく愛するのであれば、宗教の差など問題ではなかっただろう。それに比べれば、私はなぜかイスラム教やその開祖・ムハマッドに偏見を持っている。私がはたちのころ、キリスト教の洗礼を受けたせいかもしれない。バイブルは繰り返し読んだが、コ−ランはほとんど読んでいないためかもしれない。(後記−−その後読む気になった。)
 シルディのサイババと歩いてゆくうちに、私の宗教的偏見が取るに足らないものに思えて来た。ムスリムが日に5回も礼拝をし、断食月を守り、女はベ−ルで顔を隠している。みな、日本人の生活感情やしきたりから余りにも遠い所にある。イスラム諸国からの労働者を「不法滞在」の犯人として、冷たい目で見がちの現代日本人。私はこういう島国感情を嫌う。日本の女がムスリムの外国人の妻になって、自分もイスラム教に改宗してゆく姿に私は惜しみない拍手を送っている。
 近親結婚を何千年もやってきた「純血種」の日本人は、これから来世紀にかけて、どんどん世界の全人種と混血するべきだと、本気で考えて来た私。
 神は限定不能の絶対存在であるはずなのに、その神の受け取り方や解釈で、私が目くじらを立てるのは、まことに偏狭である。神の目で地球人類をひろく見渡せば、いずれも可愛いわが子ではないか。邪教や邪宗が存在するはずはない。たとえ無信仰・無宗教の人々がいても、それを「縁なき衆生」と決めつけたくはない。どんな人も神の愛児である。
 そして、貧富や社会的地位の上下なども、「天地大戯場」(一茶の言葉)での唯の役割としか思えない。国と国との貧富の差は、今の国連などがどんなに努力しても消えるものではないと思う。国家というまとまりにおいても、人間は限りなく利己的であり、国境が存在しない「地球統一国家」が誕生しないかぎり、物質面の人類平等は実現するべくもない。私の家族は貧乏であって、子供の進学に伴い、愉美子はまたサラ金の厄介にならなければならないと言っている。仕事が来るあてもないが、私は愉美子にいつも言う。「サイババは何でもご存じだから、うまくやってくださるよ。」
 湾岸戦争の前の年まで、私たちは生活保護を受けていた。托鉢乞食をやっていたあいだは、どうにか保護を受けないですませていたが、牧野元三が1988年に決定的に私から離れたあとは、生活保護を受けざるをえなかった。
 多くの人々は金銭生活を中軸として人生を設計する。私は30代でそれをやめてしまった。一茶は継母とその子(弟)を相手にして、父の遺産の取り合いをやり、その半分を自分のものとしてから、信濃を「ついのすみか」と定めた。私にはそんなものはない。おそらくは、離婚して同居している最後の妻とその6人の子供のために、ここ清川村に土地を買って家を建てるのかもしれない。しかし、私自身は世界のどこに行って、そこで骨を埋めるか、全くあてがない。希望はカシミ−ルに隠栖して著述生活を続け、そこを終焉の地としたいのだが、果たしてその通りになるかどうかは分からない。寿命の長さとともに、すべてを神さまにお任せである。
 地上の「神芝居」において、私に割り振られた役柄は、きっと最後の最後まで、私には知らされないような気がしてならない。それが解れば、その人は神である。
 今夜も安らかな眠りについて、明朝はまた元気に、霊感と知恵に満たされて起床することであろう。
 心に何も残っていないな。番外も終わりである。
                                        
 ファキ−ルは王に答えた。「心配しないでもよい。馬は帰ってきますよ。」ファキ−ルはナワ−ブを祝福するために右手を上げた。その途端に、人々は疾走してくる馬のひずめの音を耳にした。やがて、頭に白い丸い斑点をいただいた黒馬が来て、ナワ−ブのそばに立った。
 ヤッド・パティルとその他の人々は、ファキ−ルの聖なる力を見て口が利けなかった。パティルは言った。「ババ、あなたは一体どなたさまですか? あなたはムスリムのファキ−ルですか、ヒンドゥ−教の修行僧ですか? どこからお出でになったのですか?」
 ババは答えた。「私はムスリムのファキ−ルでもなければ、ヒンドゥ−の僧侶でもないのだ。」パティルは言った。「解りました。あなたはサイババ(全能の神の意味)です。どうか、私と一緒に来てください。」
 ファキ−ルは言った。「いや今はいけない、パティルよ。お前が死の床で私を呼ぶとき私は来て、お前にアラ−を見せてやろう。」
 パティルは頭を下げて、部下とともにその場を去った。
 あっというまに、ファキ−ルの驚くべき仕業のことが村中に広がった。シルディはそのころ小さい村だった。500家族にも満たない住民がいただけであった。ヒンドゥ−教徒もイスラム教徒もいた。一日中、人々はファキ−ルの話をした。
 昼ごろ、ファキ−ルはその古い寺の近くの民家に行き、戸口に立って言った。「どうか食べるものを恵んでください。」主婦が中から出て来て、言った。「お待ちください。さっそく食べ物を持って来ますから。」すぐに、彼女は皿に何枚かのチャパティとカレ−を載せて持ってきた。「ババ、ここにお座りになって召し上がってください。お水をすぐ持って参りますから。」
 ファキ−ルは言った。「いや、母よ、どうかカレ−をチャパティにかけてください。私は食べ物を持って行って、弟子たちと一緒に食べるつもりですから。」女は言われたとおりにして、「どうぞ、お好きなようになさってください」と言った。ファキ−ルはセンダンの樹のもとに行って、大きな石の上に坐った。ファキ−ルの手にチャパティがあるのを見て、5匹の犬がついてきて、ファキ−ルの傍に坐った。彼は犬に食べ物を与え、自分も食べた。それから、彼は井戸から汲んだ水を飲み、古い寺のベランダの床の上に横たわった。5匹の犬に対しても、横になって眠るように命じた。犬たちはその言葉が解るかのように、素直に命令に従った。
 夕方になって、ファキ−ルは近くのマスジッド(モスクのこと)での祈りの声を耳にして目を覚まし、そこに行ってコ−ランを唱え始めた。そこにいた一同は驚いた。このファキ−ルはムスリムに違いないと思ったのだ。
 次の日、数人の者がヒンドゥ−僧のヴィシュワナトのところに行った。彼は僧侶であると同時にいかさま医者でもあった。誰かが、そのファキ−ルは前夜にマスジッドでコ−ランを唱えていたからムスリムだ、と僧侶に告げた。これを聞いて、僧は言った。「それでは、そのファキ−ルを古寺に住まわせるわけにはいかないな。」僧はそのとき初めてこのファキ−ルのことを耳にしたのだったが、彼のことを面白く思わなかった。僧は村のなかのあらゆることについて口を出す権利を持っていた。このファキ−ルが留まることになれば、自分の評判が危なくなると、僧は思った。それで、何とでもしてファキ−ルを村から追い出すことが必要だと決心した。
 僧ヴィシュワナトは他の者たちと一緒に、古い寺に歩いて行った。途中で、彼らは新し
大聖シルディ・サイババ小伝