ここタのなかにその方法が与えられています。自動車を運転することを考えてみなさい。初めはまごつくばかりですが、練習を重ねると楽になって、必要な仕事をすべて同時にやってのけ、おまけに緊張もなく同乗者と会話ができるようにもなります。練習して出来ないというものは一つもありません。一列になって石の上を渡ってゆく蟻たちでも、そのあとに足跡を残して行くでしょう。一生を通じてあなたを護り導くものは、神の[名]です。それは本当に小さいものです! しかし、大海を横切るのに巨大な汽船は不要です。小さい筏が一つあれば充分です。[神の名]はどんな小さいものよりもまだ小さいものであり、どんなに大きいものよりもさらに大きいものです。口は身体の主な門ですが、舌は常に[御名]を持っていなければなりません。小さい提灯のように、あなたがいつ何処に行こうとも、[神の名]はあなたに付いて行かねばなりません。そうすれば、あなたは人生の大森林を楽に旅することができますよ。」
キリスト教徒も「主イエス・キリストの御名において」と唱えて病気を治し、悪霊を追い出した。神と一つになった人の「名」は大切である。「我を見るものは神を見るなり」と言われたイサは、人々の救いに自分の名を使うように命じた。怪しげな呪術師すらも、イエスの御名を唱えたら奇跡を行うことができたと、聖書に記録されている。
私が用いている御名はサイラムとSO−HUMである。ソ−ハムは「吸う吐く」と覚えたらいい。別に印度人のように発音せよということではない。誰でも無意識でやっている呼吸がス−ハ−なのである。息を吐き切れば、口が閉じる。これがMである。ソ−ハムまたはス−ハムは生命そのもの、つまり神の名である。もう一つはOMである。まず、息を吐き切ってみる。自然に口が開いて、アの発音の形になって息を吸い、次に吐くだろう。その時に声を出せば、アから次第に口がつぼまってウになる。さらに吐き続ければムになる。エドガ−・ケイシ−は英語のARMのように発音せよと教えたが、別に難しいことではない。自然に従えばよい。
AUMはOMとも書かれる。宇宙の原音であり、これも神の御名である。恩寵が下る。


13.死

肉体の死は人間が最も厭うものである。ガンディ−のように、暗殺者を礼拝して銃弾に倒れるという人は少ない。たいていは脅える。身を守る構えをする。しかし、いつかはどの人も死ぬ。
私にとって親族の最初の死は、3歳の妹・桐子のそれであった。私は武蔵高校の学生。花のように美しかった妹は何の罪もないのに、戦時中の配給の腐れ牛乳で自家中毒症になり、緑の液体をゴボゴボ吐いて死んだ。16歳年上の私は、あまりのショックに涙も出なかった。父母は身も世もなく泣き崩れていた。いま思い出しても、涙が出る。齢を取って素直に泣けるようになっている。
あのショックで、私は理科、おそらく電気学者にでもなる道を断念して、人間の死生をトコトンまで考え抜く人生を選んだ。ポツダム宣言とともに、私は理科から文科に転じて、大学も文学部に入った。金と法律からは遠ざかりたかったので、法学部と経済学部は敬遠した。
30代に京都の愛人と死に別れた。このときは、限りなく泣いた。マサコを悼む歌を立て続けに書いて、それが「竹真歌集」というものになった。私の癖でその歌集も今は一冊も手元にない。日本中の誰かが持っているかもしれない。
1975年(昭和54年)に父・ト−ビス星図(戯曲家としては十菱愛彦)に死別した。乞食托鉢中だったから、東京の葬式にも行けない。徳島のビジネスホテルで一晩中泣いてお通夜をした。レッドを一瓶あけた。
肉体の死はmergingだと、サイババは言う。宇宙の太霊(=神)への溶融・合流である。確かにそうであろうが、私は前世での自分自身の死亡体験をすっかり忘れている。だから、死はこの世で処女体験みたいなものだ。死の勉強は書物で若いころ随分やった。幽体(アストラル・ボディ−)が腹のあたりから抜けるのは、この世に執着がある者で、煩悩を去っている人間は前額部から抜けると、或る本に書いてあった。肉体の死の恐怖を解消するために幽体離脱をやれと勧める本もあった。寝る前に食塩を大量に取るといいと書いてあった。すると、夜中に喉が乾いて仕方なくなり、肉体は眠くて動けないから、幽体が台所に行って水を飲むということだった。今は占星学者の山田孝男君がそれをやっていた。彼は幽体が抜けやすいタイプで、スブドのラティハンをやっていたときにも、幽体が天井から上に出て、星空を見たとか言っていた。
私は意識的に幽体離脱をやったことはないが、何か必要に迫られてバイロケ−ション(bilocation=同時に2地点に存在すること)を何度かやったことはある。東京の地下鉄で居眠りをしていたときに、神戸の尼さんの床の間に幽姿を現したり、鹿児島の天文館通りで宿屋に寝ていながら、幽体を使って、道に迷っていた托鉢中の牧野元三を宿に案内したことなどである。「手で触れば感じがあるようなハッキリした身体でした」と元三は言っていたが、触らなかったようである。
「坐忘」というのは荘子の言葉で、「自己の心身を忘れ、宇宙の大道と一体化すること」だが、瞑想の深まったものである。その坐忘のまま肉体を去った人間のことが歴史によく出てくる。山岡鉄舟もその一人であった。千葉周作の弟子だった剣士であるが、江戸無血開城に功労があった。鉄舟のような人はあらかじめ死期を悟るのが普通である。身辺を片付けて座禅に入り、そのまま肉体を脱ぎ捨てる。そういう人には、幽体離脱の練習のような曲芸は不要だ。そんな暇人でもあるまい。
サイババの周辺の帰依者の死について話そう。XY夫人という帰依者がいた。その夫人の死期は数年前に来ていたが、彼女はサイババにお願いして、自分の孫の結婚式に立会い、サイババの誕生会にも出てから死にたいと言った。サイババはその願いを叶えて、彼女の死期を延ばした。彼女は口に出しては言わなかったが、3番目の願いがあった。それは自分の末息子の所で数日過ごしてから死にたいということだった。サイババはその願いも知っていた。
11月23日にサイババの誕生祝賀会があった。XY夫人は最初の二つの願いが叶えられたから、もういつ死んでも満足ですと、サイババに申し上げた。スワミ(サイババのこと)はこう答えた。「あなたがいま死ぬと、海外に行っているあなたの夫が死に目に会えなくなるよ。」彼女はスワミさえ傍にいてくだされば、ほかの人はいなくてもいい、と言った。スワミは重ねて、「今はとにかくあなたの末息子の町に行って、そこで何日か過ごしなさい」と勧めた。彼女はその通りにしたが、12月18日には自分の家に戻って、19日の夫の帰国を待つことにしていた。18日になって、その息子は直接国際空港まで、母を車で連れて行った。彼女は後部座席から息子と元気に話をしていたが、急に声が途切れた。息子が振り向くと、母は事切れて、やすらかに座席に横たわっていた。
そこまでをサイババから聞いたヒスロップは、「彼女には何の苦痛もなかったのですか?」と尋ねる。サイババの答えは次のとおりだった。
「苦しみも悩みもなかったのだ。彼女は健康で、瞬間に肉体を去った。息子は車の向きを変えて家路についた。もし彼女が空港で死んだとしたら、死体は拘置されただろうと思う。息子がまっすぐ家に帰ると、ババからの電話が待っていた。ババはアシュラムの職員の一人に"死体はすぐ父の家に送れ"という伝言を電話で、息子の家に入れておくように命じてあった。その職員は"死体"のことなど何も知らなかったので、面食らったようだ。スワミは
神人サッチャ・サイ・ババの横顔