ここそれから、さっき君がこの部屋にいたときに、XYをスワミの所に連れて来たCDに電話して、ボンベイにすぐ飛んで空港でXYを出迎え、そのままXYをブリンダヴァン(ホワイトフィ−ルドのアシュラムのこと−−訳注)に連れて来るように指示した。CDには、あらかじめ、ここブリンダヴァンに着くまでは、彼の妻が死んだことをXYに伏せておくように言っておいたのだよ。」
サイババは、帰依者の一人一人の死がなめらかに調和的に進行するように、実にきめの細かい配慮を払っているという実例が、ここにある。

14.スワミは眠らない

眠らない人間はときどきいる。アダムスキ−の日本代表をしている久保田八郎さんは、いつかご自分の機関誌に、十数年も「眠れない男」が訪ねてきたという実話を発表していた。それは「眠らない」のではなく、眠ろうとしても「眠れない」不思議な苦悶を抱いている青年の話だった。不眠症のひどいやつと思ったらいいだろうか。
眠らないと人間は死ぬという説を立てる医者もいる。しかし、その不眠青年は死ななかったし、サイババもすこぶる元気である。サイババはアシュラムの人々が眠る時間になると、ご自分も寝室に入るが、ベッドの上に腰かけているだけで、彼が眠っているところを見た側近者は昔からただの一人もいない。ヒスロップなどには、「君は5時間は眠らないといけない」と教えている。
私もある時期に入ると、一日置きの徹夜を続けることはあるが、全然眠らないという状態は想像もつかない。たしかに、地球儀でインドの反対側を見ると、そこはだいたい南米である。南米の帰依者が緊急のことでサイババに救いを求めたら、彼は打てば響くように真夜中にも活動を始めなければならない。サイババがよく言うように、彼は人類の「召使い」なのである。自分の都合は言っておられないというより、初めから「自分の都合」というものが存在していないお方である。
陣痛が始まったのに産院に一人も看護婦がいなくて、途方に暮れていたら、黒いモジャモジャ髪をしたナ−スが現われ、てきぱきとお産を済ませてから居なくなったが、翌朝産院の人に聞いたら誰も知らず、あとでサイババの写真を見たところ、その看護婦と瓜二つだったとか、あるアメリカの女性がサイババに会いたくてたまらないのにお金がなかったので、サイババにお願いしたら、或る映画会社の人が突然あらわれ、「サイババの記録映画を撮りたいから、下話に行ってくれませんか」と、航空券と現金を渡してくれた。彼女は大喜びでインドに飛び、帰ってからその有名な会社に行ってみたら、誰一人そんなプロジェクトを知らなかったという話。それらはとても常識で判断できるものではない。
ある老夫婦は、4人部屋のコンパ−トメントに入って列車旅行をしていたら、電灯がショ−トして火を噴き、車掌を呼んでも来てくれないしで、必死にサイババの名前を念じていたら、列車の外から窓を開けてくれと叩く電気工事人の姿が見え、あけてやったら入ってきて瞬くまに故障を修理し、また窓から外に出て、そのまま夜の闇に消えて行ったという実話もある。また、3年前に神戸でサイババ全国大会があったとき、私がマレ−シアの帰依者から聞いた話では、彼が経営している工場の夜警が仕様もない怠け者で、夜になると仕事をしないで、自室に中から鍵をかけて眠ってしまうありさまだった。ところが、ある晩、鍵をしたはずなのに、いつのまにか部屋に入って来た髪の毛がモジャモジャで鼻の大きい男が「お前、会社の仕事はチャンとしなければいけないよ」と言って消えてしまった。次の晩、ことさらロックを厳重にして眠ったのに、またそのお化けのような男が入ってきて、同じ説教をした。それが三晩続いたので、その怠け者は空恐ろしくなり、社長(帰依者)のところに行って、一部始終を打ち明けながら壁の上を見ると、なんと「その男」の写真があったということだった。もちろん、その怠け者は勤勉な夜警になったのである。 幽体とか幻影とかいうものではないだろう。自分の複体の物質化である。それも一度にほうぼうからの要請があれば、サイババは必要数の肉体を物質化するだろう。まるで、孫悟空が自分の体の毛を抜いてフッと吹いたら、毛の数だけの孫悟空が出現したというのと同じような話ではないか。きっと、子供たちのほうがサイババの話をよく理解するかも。 サイババ自身は自分が寝ないことについて、次のようにヒスロップに語っている。
「スワミのところには後から後から限りなく手紙が来るよ。スワミはその手紙を全部読む。そして、朝10時になると読み終わった手紙をすべて焼く。スワミは何でも自分でやることにしている。だから、何事も正しくできるのだ。スワミは全然眠らない。夜中に電灯を消して、ベッドで休息するが、それは光がついていると、帰依者たちが集まってくるからだよ。スワミには睡眠の必要がない。しかし、人間は少なくとも4時間の睡眠を必要とする。それは不可欠のものだ。ババは午後に4時まで休むと思っている人たちもいる。でも、休息も全然取らないよ。疲れるということが、まるでない。いつも働いている。普通の人は親類の者が3〜4人急に来訪したりすると大騒ぎをするね。ところが、ババのお客は引っきりなしだ。ババは彼の大学のことや、学者たちのことに細々と注意を払っている。何千万という世界中の帰依者のことも世話をしている。しかし、大部分の人は自分の責任をほかの人になすりつけることが多いね。ババのほうは、仕事ばかりでなく、その結果にまで全責任を負っているのだよ。」
驚き入ったことである。やはり、サイババは神だと思うしかない。人間の形をして、髭などもレ−ザ−で剃るから、神とは思えないという人は相変わらずいるだろうが。

15.セックス

イエス・キリストがセックスをしなかったはずはない、と考える人は方々にいる。「チャタレ−夫人の恋人」を書いたD・H・ロ−レンスもそうだった。あまり知られていない短編だが、「死んだ男」という作品がロ−レンスにある。私は20代に原書で読んだが、要するに、十字架の死から生き返ったイエス(=イサ)が田舎道を歩いているうちに、ニワトリの交接を見て、生命の喜びを感じ、女と交わったとか何とかいうたわいもない話であった。彼は才能のある作家だったが、終生セックスを賛美して、英国を中心とする欧米の「セックス禁圧」の多分にキリスト教的な風潮に抵抗した。精神分析のフロイトと同じく、社会の宗教的・道徳的偽善の面の皮を引っぱがしたという点では、なにがしかの功績があったのかもしれない。
サイババはその大学の愛する学生たちに、酒煙草はもちろんのこと、映画や小説も読まないほうがよいと指導している。文学部出身で、小説家の長男に生まれた私には、さすがにこの点では抵抗があった。映画だって感動的で良いものは幾らでもあるのに、サイババはインドの青少年にドストイエフスキ−の「白痴」も、ダンテの「神曲」も鑑賞させないのかと不満にも思った。現に、私の亡父も京都東山の真宗寺の小僧であったのに、ドストイエフスキ−ばかり読んでいて破門になった男である。最晩年には、毎朝定時に観音経を読誦していたが、それは70代になってからだった。
サイババは、これから結婚する若い男に、「花嫁を妹と思って一生愛しなさい」と教える。正常な男であるなら、妹は性欲の対象にならない。性的快感を追求する道具として妻を扱う多くの男たちには、耳が痛い話ではないか。
複数の妃を持っていた釈迦や、金持ちの未亡人と結婚したムハマッドは別としても、イ
神人サッチャ・サイ・ババの横顔