サとサイは一生女と性欲的に接したことはなかった。サイの前身であるクリシュナはゴピたちと、夜を徹して楽しく踊ったが、6〜7歳のこのアヴァタルに性欲があるはずはなく、ゴピたちにも愛くるしい童子神に肉欲などなかった。ゴピたちの或る者は人妻であったが、夜こっそりと夫の寝床から抜け出してクリシュナとの踊りを楽しんだと伝えられる。


16.膝の上の林檎
                      於天神930321/0802
3月18日から書き始めたこの本は4日目になった。毎夜、想が切れてワ−プロをOFFにする。次の日のことは全く分からない。サイラムとAUMとソ−ハムを唱えて眠る。朝になると、全身に神の知恵が満ちている。新しい構想を得る。身体が自然に動いて書棚に行き、2〜3年も埃りを被っていたサイババの本を取り出す。指が或るペ−ジを開く。そこにはババの促しがある。真理の宝庫はあまりに豊かであるので、どこから手をつけていいか分からない。茫然としていると、やおら「神の順序」が整って、私の指はいつのまにか動き出す。パナソニックの機械が私の指の延長になる。
石油が切れ出した。昨夜、愉美子は子供の入学のため取っておいたお金で、やはり石油を買いますと言い出した。サラ金以外、あいかわらず収入のあてはないが、この原稿を書く指がかじかむのを、愉美子は心配したのであろう。「その日のことはその日で終わり、明日のことは明日に心配させなさい」と、イサは2000年前に教えてくれた。そして、サイは私という日本人の頭脳を使って、日本人のために何かを書かせようとなさっている。 「サチャム・シヴァム・スンダラム」というN・カストゥリの著書は4冊出ている。1989年7月28日にニュ−ヨ−クの鈴木夫人から私が頂いたものだが、その第1冊がみつからない。それはサッチャ・サイ・ババの誕生から1962年までのライフ・スト−リ−(生の物語)である。ライフ=人生、生命、いのち、生涯。サイの「人生」−−いや、それは「神生」ではないか。「神生の伝記」−−「神生伝」とでも名づけようか。
その第2冊がいま私の机上にある。1962年から1968年までの記録である。その「まえがき」はカストゥリ博士によって1973年に書かれている。そのとき、博士は76歳だと記している。それから20年経っている。ご存命ではあるまいと思うが、私はその後の博士のことを知らない。「ババはこの25年間、私を彼とともに、彼のなかに、彼を通して、彼によって、彼のために生きるようにして下さった」とカストゥリは書いている。「私は真理のヒマラヤに人々を導く素人のシェルパにしかすぎない」とも書いている。彼は「私」と言うときに、大文字のIを避け、謙虚な小文字のiを使っている。
その原書P137以降に、カストゥリは盲目の老映画俳優とサイババとの話を語っている。その要点を記そう。
その盲目の老スタ−は自分の病気のことをサイババに話した。ババの答えはこうであった。「あなたの身体に種々の病気が束のようになっているのを、私は知っている。私はあなたをオ−バ−ホ−ルして、新しい肉体を与えることにしよう。」その後まもなくして、その元・映画俳優は死んで、新しい肉体に入った。死ぬ前に、彼はサイババにお願いをした。「少なくとも、いえ、これが最高の望みなのですが、この世を去る前に、ババのお姿を見ることができ、そのお姿を心に収めることができたら、本当に有難いのですが。」ババはそれをお許しになった。ここで、カストゥリはその話を記録したスワミ・シャラナンドの著書「サイ・ザ・ス−パ−マン」を引用している。そのまま写そう。
「彼はババに祈った。"私は視力を失いましたが、目が見えないことをむしろ有難く思っております。盲のおかげで、私は沢山の望ましくないものを見ないでおられます。しかし私の主であるあなたが取っておられる人間の姿を一目みたくてたまりません。あなたの栄光のお姿を心ゆくまで見ることができますように、しばし視力をお与えくださいませんか?この願いが叶いましたら、すぐ視力をお取上げになっても結構です。"ババはただちにその願いを叶えた。彼は自分の目でババを見ることができた。それからまた、元どおりの盲に戻った。」
カストゥリは別の所で、林檎の話を紹介している。ある時、ババは或る帰依者に霊的な事柄について話をしていた。すると、突然、その帰依者は自分の膝の上に真っ赤なリンゴが一つ乗っていることに気がついた。驚いたその男に、ババは次のように語った。「すこし前に、あなたは今朝からまだ食事をしていないと言わなかったかね。あなたが午後の食事をするまでに、まだ2時間はかかるから、今その林檎を食べておきなさい。」本当に良く行き届いた「母」としての神の思いやりである。サイババは砂のなかから宝物を出したり、空中から外科用のメスや鋏を取り出して手術をしたり、手を振ってビブチやお菓子を出現させることは知られている。しかし、めくらに視力を与えたり、ひもじい者に林檎を出したりするのは、物体の変質でも物品引き寄せでもあるまい。ババはかつて、イエス(=イサ)が磔(はりつけ)に掛かった木と同じものを二千年前の「過去」から取り寄せて、イサの十字架像を創造し、それを或るクリスチャンに与えたことがある。
ここで思い出すが、今年の2月7日に大阪国際空港近くのホテルに泊まって、翌日の離日に備えていた晩に、大阪の友人が何人か私の部屋を訪れた。そのなかに、タ−バンを巻いたシ−ク教徒がいた。その人はアメリカ人だったが、そのグルの印度人の説として、次のように言った。「私のグルもサイババに会ったことがあると聞いています。そのとき、グルはサイババに"あなたは物品を遠くから引き寄せていますが、それは泥棒ではありませんか!"と言ったそうです。」そのグルはさぞかし意気揚々とその場を引き上げたことだろう。そして、そのアメリカ人弟子に「そういうわけだから、サイババに迷ってはいけないぞ」と念を押したに違いない。グルたちは自分の商売を邪魔されたくないと思って、ありとあらゆることを言い立て、人々をサイババから遠ざけようとしている。そういう連中について、サイババはいつも「どんな人でも、いつかは神の所に来て、私をアヴァタルと認めるようになります。ただ、待ちなさい」と言われる。
 ホワイトフィ−ルドで、私が群衆の後ろのほうから、オレンジ色の服を来たスワミを初めて見たとき、彼は何やら黒い小さいものをシュッと手から弾いて前列の人々に与えていた。ビブチかなと一瞬思ったが、そうではないらしい。あとで、それはお菓子と分かったが、同行した田中一邦さん(治療師)は「あれはお付きの弟子が持っているお盆から撒くのだよ」と事もなげだった。それは世間の大多数の人間の想像であろう。しかし、私たちがプッタパルティに移ってから、宮城県から来た菅原三郎さん(請負師)が実際にお菓子(セロファンに包んだチョコレ−トだった)を、サイババの何もないお手から頂いて、あとでそれを私に見せてくれた。包み紙には何かメ−カ−の名前が印刷してあったが、インドの言葉なので意味は不明だった。それは森永やロッテのたぐいではあるまい。「それはエンジェル・チョコとかじゃないかなあ」と帰国後、私が言ったら、愉美子は「それじゃ森永だわ」と言って笑いになった。神さまのなさることは、われらの空想をも絶している。三郎さんは「家宝にする」と言って、食べずにそれを持ち帰った。彼はプッタパルティで、純白の大理石の粉のようなビブチをババから頂いた。それは普通のビブチのように灰色ではなく、またあの香りもなかったという。これも家宝にしたかったが、回りの印度人たちから「この場で頂くものですよ」と教えられて食べてしまったと、いささか残念そうに述懐していた。