その曇り取りは長い道で、私の自力では永遠の時間をかけても無理ではないかと、前から思っておりました。「魂の眼」を覆うホコリは無限の量であって、それをカルマとして、数え切れない前世の生まれ変わりを通じて積み上げてきたことは分かっています。それなればこそ、あなたの恩寵に頼るしかないのです。
多くは申しません。私に一番必要なもの、私に最も欠けているものは、あなたが一番ご存じです。すべてをお任せします。
                                           サイラム
               じ ん ・ は じ め


25.独り言

村のチャイムが午後9時を告げた。風邪を引き直したのか、クシャミばかりして、鼻ばかりかんでいる。昼間あんなに寝てばかりいたから、今夜は眠れないのかもしれない。(バカリという言葉をもう三回も使ってしまった。)愉美子がアサリを買ってきたというので、それをおかずに食事をしようと考えている。すこしずつ肉や魚が身体に入るようになってきた。
愉美子の部屋に行ってみたが、よく眠っている。起こすに忍びず、おはぎ2個で一時飢えを満たすことにした。独り言は「内部の神」に筒抜けである。その神におじ毛づいていたら、物も言えなくなる。神と良心は同じものかもしれないが、それを自分に付きっきりの「お巡りさん」のように考えることを、私は長いあいだ嫌ってきた。間違ったことをやると縛ったり罰したりする「内部警察」と、私の「神の観念」とは、どうしてもそぐわない。処罰的な神はやはり「父親」的である。また、封建領主や帝王のような「お上」のような感じである。英語で神のことをしばしばLORDと表現する。「主なる神」である。そういう神に対しては、人間は家来か召使いか奴隷である。しかし、サイババは自分を「母神」と形容し、「人類の奴隷」としている。或る場合には「最良の友」とも言っている。 「私は処罰せず、正すアヴァタルだ」とも言っている。心身の苦痛に悩んでいる人を捉えて、そのカルマ原因はこうであるとか、過去のどういう罪の結果であるとかは言われない。黙って無条件で苦痛を取り去ってくれる。そのような神からの行動を、われわれは「恩寵」と名づける。われわれがそれに値するから受けることができるものではない。神さまからの一方的な赦しと救いが恩寵と呼ばれる。しかし、われわれの内部にある善因善果と悪因悪果への思い込みは深い。とても、素直に、あるいは図々しく、自分のしてきたことを棚に上げて、「無条件で救ってください」とは言い難い。よほど切羽詰まらないと、それは言えない。苦しい時の神頼みというが、苦しくても神には頼まないぞという強情さが人間にはある。
「人事を尽くして天命を待つ」とか「天はみずから助くる者を助く」というような諺を聞くと、やはり、すぐさま万事を天の神に頼むのは怠け者ではないかという考えが頭をよぎる。きっと点数を稼ぐ根性なのであろう。または、金を出して物を買うという習慣の延長なのかもしれない。「人は己れのカルマに出会うだけ」というのは、エドガ−・ケイシ−の教えだった。そういう因果律が支配しているだけの宇宙だったとしたら、この世の中はいかに味気ないものだろうか! 精密厳格な機械仕掛けの世界である。
インドで救いようもない不具や乞食を見る。前世の悪業の報いだと冷たく見て、関わりを持とうとしない人は多いのかもしれない。そういう多数のなかに、マザ−テレサが現われ、今日もカルカッタで貧困と病気から人々を救おうと活動しておられるはずだ。
キリストはマザ−テレサを通じて、確実に働いてお出でだ。サイババも同じ。時には、1万人もの人々に食物やサリ−やド−ティ(腰巻)を施与すると聞いている。そういう極貧の人々を差し置いて、私みたいに日本での程々の貧乏人を助けてくださいと願うのは、なにかおこがましい気がする。私は後回しでいいから、もっと困っている人々を先にと言いたくなる。
ホワイトフィ−ルドやプッタパルティでも、多くのインド人がサイババのインタビュ−を求めていた。地元の人を押し退けて、「外国人」だからという理由で自分を先にしてくれという気持ちにはどうしてもならなかった。神の争奪戦には加わりたくなかった。一番うしろの遠い所に立っていても、ババは全員をはっきり見ておられるということは、私にも分かっていた。列を作って土の上に長いあいだ座り、各列の一番前の人が番号札をもらって、くじ引きでどの列からダルシャン・バジャンの場所に入るかを決めるのだった。自分の列が早いと喜び勇み、遅いと失望する。それは人間らしいのかもしれないが、私は自分の列が一番あとになったりすると、むしろ喜んでいた。人を掻き除けたくない。そればかりだった。
私の列のすぐ前に、中年の欧州人らしい人が座っていた。明らかに、少しも焦っていない。静かに瞑想している。その様子を見ていて、心から尊敬した。よほど出来た人だと思った。そのうち、私たちの列の番が来て、マンディ−ル(神殿)前の広場に入った。私はその男のことはすっかり忘れ、雑踏のなかで自然に身体を動かして、無理のない所に座った。すると、私の目の前にまたその男が座っているではないか! 私は不思議な感じがした。また逆に、南米人と思われる一人の青年がいた。殺伐な争闘の気を身体から放散している。その人の後ろに座ったことがある。何日か続けて、いつもその青年が私の目の届くところに座っていた。正直言って、彼を見ていると苦しくなる。それでも、いつも彼は私の近くにいた。数日間、その男の姿が見えなくなったが、ある日ふと彼に出会った。変わっていた! 青年は誰かと明るく笑っていたのだ。そこに一つの奇跡を見た気がした。
だから、ビブチの物質化もインタビュ−も私は望んでいなかった。ただ、一回でいいからサイババの目をしっかり見たいと願っていた。日本にいたときからその願いをひそかに持っていた。何十分かのインタビュ−よりも、一瞬のまなざしのほうがよほど豊かだと思い込んでいた。また、一瞬の凝視でサイババのことが判らないくらいでは、私の渡印は早すぎるとまで思っていた。そして、やはり願いどおりに、18日8時の「大凝視」があった。菅原三郎みたいに、御足に触れることもなく、ビブチもキャンディ−も頂かなかった。話しかけられることもなかった。何度インドに行っても、こういう私は変わらないであろう。わざわざ呼んでくだされば、もちろん喜んでインタビュ−室にも入るだろう。しかし、自分では...。
私は変わっているのかもしれない。熱意が足りないと言われるかもしれない。しかし、それが私の道である。

前に本で読んだことのあるインドの若い父親のことを思い出す。幼い一人娘が不治の病気で、父親は悩み、サイババのアシュラムに行きたいと願っていた。妻は宗教が違い、そんなインチキ霊能者にだまされに行くのは許せないと猛反対した。「そんな無駄なお金はありません!」しかし、父親は反対を押し切って、長い時間列車に揺られて目ざすアシュラムに着いた。ダルシャンの時にサイババが傍まで来たのに、勇気がなくて話しかけるチャンスを失った。その日はサイババの予定で、行事は早く終わりになった。「私はあなたがた一人一人のそばにいますので、心配せずこのまま家に帰ってください」という言葉とともに、サイババは全員を祝福した。その父親はその時、最後列に立ってその言葉を聞いた。 帰りの長旅に入って、彼は列車のなかで、自分の勇気のなさに涙を流していた。家へ帰れば、どんなにか妻から罵られることだろう。暗い気持ちで家についたら、ドアが内側から開いて妻子が抱き合って飛び出してきた。脚の立たなかった娘が立っている! 三人は抱き合って感謝の涙に暮れた。
そういう話は私の心を深く打つ。理由はともあれ、引っ込み思案で決してアグレシブで
神人サチャ・サイ・ババの横顔