こ私の思いでは、漢字の八として富士山の裾野の線だ。8の横寝は∞(無限大)として、私にはめでたい数。
内面を見ると、ウツが消えている。不思議なことだ。東大に入って2年目の昭和23年には、生まれて初めての凄いウツに襲われた。あれは6ヵ月も続いて、登校もできず家に籠もっていたのを思い出せば、一日で消えるウツは奇跡に等しい。
はばかり(トイレという英語よりはましな日本語)に行くのに、狭い部屋に寝ている二人の息子(悠久と音仁)の布団を乗り越えねばならなかったが、みなよく眠っているので、今日は成人の日であることを思い出した。
ウツが晴れると、希望と自信が生まれる。今、積み上げているサラ金は80万くらいだと愉美子は言っていた。この山を崩して、長女・王玉がせっかく入学した久留米の短大の入学金の残高60万円を夏に払って、9月9日までにインド渡航費30万円を用意するという長期財政計画も簡単に実現できそうな気がしてくる。ウツの昨日には考えるのも嫌だったこれらの数字を、今は難なく直視できる。それは実現可能のことに感じられる。人間の心とはまことに不思議なものだ。心がやる気を作り、その気が行動を起こす。
指はまだ凍えているが、コロナのヒ−タ−はどんどん室温を上げている。有難いという思いが自然と湧く。ウツであれば、この石油が買えなくなったらどうしようという風に考えが進むのに。


7.悪魔ちゃん
                    在天神940115/0845
新聞によると、第二次ベビ−ブ−ム(1971〜74年)がピ−クに達した1973年(昭和48年)生まれの子供が今日成人になったので、総数206万人が20歳になったということだ。男が女より5万人多いというのはどういうわけか分からないが、男女がほぼ同数生まれるという事実のほうが、ずっと不可解だ。今の私の家族の子供たちは3対3の同数だが、いくら子供を生んでも男ばかり、または女ばかりという夫婦もいるのに、全体で同数に近くなることの秘密など、学者は知っているのだろうか。自然現象の根本的事実に不可解・神秘なことが多いが、それを問題にする人はごく僅かに思われる。総務庁発表によれば、国民の総人口は1億2千478万という。世界の総人口は去年の或る時点で、55億5555万人の5揃いだったが、そろそろ弥勒菩薩の数56億7千万を越すのではなかろうか。西宮の武村豊助さんは、この567の数に世界人口が達したときに、ミロクの下生が起こるという新奇な説を私に告げたが、このような予言解釈は彼が初めてかもしれない。
それにしても、東京都昭島市(アキシマは立川市の西にある)で、ある親が子供に「悪魔」と命名したというのは、大きい社会問題になっている。閣僚懇談会でも取り上げられたくらいだ。自治省内部でも意見は分かれ、親権の一部である命名権に行政は介入すべきではないという考えと、親権の乱用が子供の福祉に反する場合は制約を受けるのが当然という考えが出ている。それにしても、「悪魔」と名づけた親に会ってみたいと思う。「人からアクマ、アクマと呼ばれても負けない強い人間になれよ、という祈りからだったのです」というかもしれない。悪魔呼ばわりをする人間のほうが、よほど悪魔的だという皮肉かもしれない。苗字には「神」(ジン)というのがある。それで、私もサイババ・シリ−ズを書くときのペンネ−ムを神一(じん・はじめ)にした。これは個人名にも使える。「しんいち」とでも読ませたらいい。これは誰にも文句を言われないだろう。「愛」という名前もよくある。否定的な名前に人々は敏感なのだ。「悪党」という名前をもらった子供はおそらく日本中に一人もおるまい。「悪魔ちゃん」の出現は、やはり今の日本が或る特殊の時代に入ったことを物語っている。私は思い立って、地元の大分合同新聞の「読者の声」に次の一文を草して送ることにした。

悪 魔 ち ゃ ん の 父 親 と
               清川村 十菱 麟(67歳) 以下は想定上の対談である。
私「ずいぶん思い切った命名をしたものですね。世間では、こんなひどい親が出るのは、狂った末世のしるしだ、どんな親か、その顔を見たいもんだ、と言っていますが。」
父(すこし照れて)「実はこんなことになろうとは夢にも思わなかったんです。親権の一部である命名権の乱用だとかで、閣僚懇談会で取り上げられるまでになるとは、本当に驚きました。」
私「有名になろうとしてやったのではないとすると、あなたの真意はどうだったのですか? キリスト教の国ではイエス・キリストの名前のイエスを子に付けることもありますが、誰もサタンという命名はしません。名前は子供の一生に関わる重大事だからです。」 父「はい。だからこそ、僕は悪魔と付けたのです。人から馬鹿だチョンだと言われていじけるような弱い人間になるなよ、という親の気持ちからでした。僕は気の弱い人間で、今まで人の悪口に小さくなって生きてきました。この子だけには強くなってもらいたかったのです。」
私「名前には暗示作用というものがありますよ。潜在意識で"自分は悪魔のような悪い奴だ"と思い続けたら、いい結果は生まれないと思うのですがね。」
父「昔の人に"悪源太"というような名前がありました。あの"悪"は悪い奴というのではなく、強さを讃えたのです。魔物といっても、魔除けの般若の面などまるで悪魔ではありませんか。僕は、世間の悪魔部分に直面して、それに負けない強い子供に育ってもらいたかったのです。それだけです。」
879−69大分県大野郡清川村天神 翻訳業


8.筧
                於天神940115/1042
竹かんむりだから竹製品である。地上に平らに架け渡して水を通し導く竹の筒だ。日本語では「かけひ」(懸け樋)という。
何の関係もないと思われる者・物に関係を付ける術。それには思考や行動が必要だが、現実には、必ずしも思考が行動に先立つ必要はない。「あ、美人だ。アプロ−チしてみよう」くらいは、思考のなかにも入らないくらいだが、せいぜいその辺からアクションに入れる。思考はそのつど湧いてくるはず。「奇麗なおかたですね、あなたは!」と呼びかけるのは行動。もちろん、向こうはキャッと言って逃げてしまうだろう。その経験に懲りて、次は慎重に、「近くに交番がありませんか?」この質問は真面目だから、ちゃんと返事が来る。「あのオ、お茶のみませんか?」これはまあ、見込み薄である。ところが、「交番」の一言で、美人はちゃんと立ち止まって親切に返事をしてくれる。そのあいだに彼女の美貌を楽しみ、ついでに性格の判定もできる。「財布を拾ったので、すぐ届けに行くのです。どうもありがとう」で別れる。よい印象だ。今度会ったときからは、デ−トの線に持ってゆける。電車のなかで、「あ、またお目に掛かれましたね。」「あら、こないだの・・・。お財布は届きましたか。」「はい、80万円も入っていて、驚きましたよ。さいわい、電話が入っていて、私が待っているあいだに、その落とし主が駆けつけてきて、謝礼として8万円を頂きましたよ。お礼をあなたにしなければいけません。」「まあ、わたくしは場所をお教えしただけですのに、お礼だなんて!」喫茶店くらいには付いてくるだろう。
気通しの「とい」を架けるのは実に簡単だ。これを「気の筧」という。
ウツと失業