の世界大戦において、たとえばドイツの神父・牧師はフランス兵の戦死を祈り、フランスの神父・牧師は同じく、敵国ドイツの兵隊を殺すように、わが最愛の独り子であるキリストに祈った。そのような不条理な茶番劇を私が許すと思うかね、リンよ? 教会は滅びるのだ。なかんずく、壮大な崩壊をするのは、VATICAN宮殿だ。ペトロによって権威を与えられたと自認するロ−マカトリック教会およびギリシア正教会を始めとし、すべてのプロテスタント教会は滅びる。ただ、主よ、主よと言うのみにして、主の真意を実践しないクリスチャンに比べて、「エホバの証人」は尊い存在と言わなくてはならない。

恩讐の彼方とは、恩や恨みを越えた世界である。
そういうことを考えていたとき、突然、東京から未知のH夫人から助言を求める電話が掛かってきた。私のエドガ−・ケイシ−翻訳書の読者の一人だった。壊れかかっている結婚のなかで、もがいている哀れな女性である。私は「女性」という言葉を好まないが、やはり男女ともに、性の問題で悩んでいる人々はこの世に多い。彼女は不思議な縁で、私がかつて教えていた高校の卒業生だった。H夫人は私の都合を確かめてから、懇談したいので東京まで出てくれないかと哀願した。旅費をあす送るという。電話口の向こう側で泣き崩れる彼女に同情せざるをえない。私は行くことにした。離婚になるか、彼女の希望するとおりに、夫が昔の優しい姿に戻るかは、私の知るところではないが、彼女の乱れた心を少しでも恩讐の彼方に連れ出すために、全力を尽くそうと覚悟した。
失業していても、食業に関係のない仕事はひとりでに舞い込んでくる。今はそれどころではないと突っ撥ねることはできない。今のところ、私の「仕事」はこういうことなのだろう。神の側からの救済を待っているより、少しでも人の助けをせねばならないというお示しなのだろう。天理教祖も、「人を助けてわが身助かる」と言ったことがあった。この身が助かろうとして、人を助けるわけではさらさらないが、結果としてそういうこともあるのかもしれない。「捨てる神あらば、拾う神あり」はすべての人々に当てはまる諺であろう。本来は、捨ても拾いもしない神であるが、人間にはそのように見える。
彼女にサイババに祈りなさいと勧めたら、すぐにインドに電話を入れると言っていた。直接のお話はできないにしても、そのような行動によって、サイババと見えない糸はつながると信じる。しかし、正直なところ、人の苦悩のなかに飛び込んでゆくのは、いささか気が重い。私自身が試される気がする。


24.子供のような手紙を書いた
                            在天神940119/2232
その後、H夫人からまた電話が入った。落ち着いた静かな声に変わっていた。プッタパルティに電話したところ、牧野元三君はいなかったが、サイババとの見えない糸はつながったようだ。鎌倉の太母さんからの助言もあって、朝の2〜4時の祈りと瞑想に励むということになり、私の上京の必要も消えた。彼女にはAUM SAI RAMのマントラを教えた。サチャ・サイが直接のご指導をなさるだろう。私の「意訳」がこういう形に決まったことをうれしく思う。天変地異は避けがたいが、同時に個人の心や家庭も毒を噴き出して、大きな浄化があちこちに進行しているようである。アメリカでは13歳の少女が6ドルのタクシ−代を払いたくないために、ピストルで運転手を射殺したという記事が、夕刊に載っていた。信じがたいことが次々と世界中で起こっている。サイババが言うように、「悪を見るな、聞くな」を忠実に守るならば、新聞も読めず、テレビも見られない時代に、世界中が突入しているようだ。「悪を聞くな」であれば、不幸な離婚の電話も聞かないで切ればいいのだろうか。私は耳を傾けてしまう。いけないと言われても仕方がない。

940120/1711の今。3ペ−ジ先に出てくるサイババあての手紙を書いたあとである。よく眠って身体がほどけ切っている。不眠の前夜、全身を占領していたウツが消えてきたような感じがする。でも、精神に敏活さが欠けている。トロトロと眠い気が残っている。サイババあての手紙はどうしても、馬鹿な子供の手紙のようなものになってしまう。世間を相手にしているときの手紙とは、まるで質が違ってしまうのだ。世間に対してはどうしても気張るし、知的装飾を試みる。いわば説得性を加味しようという意志がはたらくのだろう。あるいは世間との共通言語を使おうという気持ちがオ−トマティックに働いてくる。それがババを相手にすると、そういう必要がないので、子供みたいに単純な内容になってしまう。
お説教内容の吟味など全くせずに、ただ切羽づまった自分のことを並べ立て、あれ下さい、これ下さいになってしまう。相手が大学教授で、こちらが卒業論文を提供する学生というような関係であれば、知力の限りを尽くして教授を感心させようと努力するが、相手が「神人」(GOD−MAN)であれば、そういう努力は一切消えてしまう。漢字もあまり使わず、子供みたいな文体になってしまった。
あの手紙に書いたとおりに、去年の3月以降の私は「サイババの宣伝マン」として就職を願ったようなものだった。しかし、膨大なサンスクリット語の処理に忙殺され、ある程度は難解の言葉を修得したけれども、そういうことと私の心内のよろこびとは関係なかった。インド思想と、日本人の一般的考え方との大きいギャップばかりが気になって、これを訳しても、読む人、また読んでわかる人が何人いるだろうかという考えばかりが浮かんだ。一生、こういう翻訳ばかりをするのはたまらないという気が強くなった。機械的で、喜びを伴わぬ食業になって行った。それをひた隠しにして、依頼者には自分があたかも帰依者になろうとしているような素振りを見せており、苦しくなると酒を飲んでいた。報酬は充分にあったが、仕事に喜びがなかった。仕事中に一度サイババの声が聞こえて、「そんなに苦しい気持ちでこの翻訳をやらなくてもいいのだよ」と言っていた。一時ホッとしたが、やはり苦しさは消えなかった。翻訳職人として最善を尽くしただけだった。
サイババの説教は繰り返し繰り返し、ダルマの実践を強調していたが、そんなことは出来るはずがないという反対感情が強くなって行った。はては、サイババ思想は日本人には合わないという結論を出していた。それでも気になって仕方がないサイババであったから、サイババ思想の研究報告という目的で書き出した『サイババ発見』の続きに、失業後とりかかった。これは主として、シルディ・サイババの研究にする予定だったが、これもだんだん面白くなくなってきて、途中で止まってしまった。シルディ・サイババやサチャ・サイババがどんなに偉大であっても、それと自分の幸福生活とどういう関係があるのかということばかりを考えるようになったのだ。(背中が痛い。もうすこし休養をする。5:44PM)


25.果報は寝て待て
                       在天神940120/2222
2が四つも揃った時刻に目を覚まし、びっくりした。4時間48分も眠っていたのである。愉美子は言った。「お父さんは寝れば治るのよ。ノンレム睡眠のとき起きてもボオッとしてだめなの。レム睡眠のとき起きればいいのよ。」私の青春時代は空襲で無理やり起こされていた。レムだろうとノンレムだろうとお構いなしに行動に駆り立てられた。いわば、意志で睡眠リズムを無視して行動していた。「眠がりません、勝つまでは」の生き方を強制されてきた。勉学時代でも、睡眠は悪だくらいの思想を持っていた。富士宮で1964年(昭和39年、東京オリンピックの年)に「幸福心理研究所」という名の超能力錬成道場をやって
ウツと失業