盤珪不生禅
 福島兄の詩吟のうち、「我はただ」は次のものである。
    我はただ虚空を家と住みなして 須弥を枕に独り寝の春 
 シュミというのは山の名で、梵語ではSUMERU。その意味は「妙高・妙光」である。世界の中心にそびえるとされ、その中腹を太陽と月が回るという素晴らしい高山だ。虚空に「スメル」人とは何という壮大な発想であることか!
 「世にありて」というのは次の和歌だ。
    世にありて 世と遠ければ 世のなかの人に見られで 独り住むかな
 世の中の人には見られないというのだ。この2首はともに「独り」を歌っている。
 漢詩の「偶成」のほうは、読みくだして次のようになる。
    罵れども嗔(いか)らず讃むれども喜ばず
    乾坤一箇の大癡(チ )頑
    東西南北縁に任せて趨(おもむ )く
    醜拙蔵さず宇宙の間
 これを平たく現代語に訳すると、
    人に罵られても怒鳴らず 褒められても喜ばない
    天地にのさばる大馬鹿・頑固野郎がここに一匹おるわい
    東西南北どこにでも縁があればスタスタ出かける
    醜く拙いところも宇宙にあけ広げにしておるよ
 七五調にでもしてみたいが、うまく行くかな。俺も暇だなあ。
    悪口お世辞に知らん顔
    天下ご免の馬鹿頑固
    縁に呼ばれりゃどこにも行くさ
    裸丸出し音痴で歌う
 福島兄には感謝状と私の醜吟拙詠をテ−プにして送った。ついでに、この本の原稿に目を通して磨きをかけてくれませんかと頼んだ。OKなら数章づつ送る予定である。(文部省ではヅツをズツと書けと指導しているが、どうも気に食わん。大砲を昔は大筒と言ったが、これは今でもヅツと書く。私は私なりのカナヅカイで通すつもりである。)


4.貧道人

 昔、霞が関書房というところからAZシリ−ズという本を6冊出した。私は30代で酒は飲まない頃だったのに、読者の誰かが「酔っぱらったような文章だ」と批判したことがある。ヘンナノと思ったが、そのうち45歳から本当に飲み助になり、16年間来る日も来る日も一升酒をやりながら乞食行脚をしていた。そのため、泥酔保護や暴行で留置場や拘置所に何度も入れられた。12年前になるが、最後に懲役1年執行猶予3年を食らってから、よほど自制するようになり、警察沙汰はやんだが、まだ飲み続けていた。1988年に昭和天皇崩御のころ、3ヵ月日田のアルコ−ル病院に入れられた。日田というと、詩吟をやる人なら誰でも知っている広瀬淡窓(1782〜1856)の地である。淡窓は生来虚弱で、数え切れぬほどの病気を抱えていたから、遠地にはおもむかず、もっぱら他国からの子弟を受け入れて教育した。因みに九州では、淡窓流の詩吟が主流を占めている。 今、ガスの集金が来た。4850円。そんな金はない。「女房が買い物に出ているから、あとで頼む。」これにはウソが入っている。最後の3番目の妻・愉美子からは昨年8月18日に離縁されている。原因はやはり酒乱のためだ。今年の2月に20日ほど印度に渡って、神人サイババのもとで修行をした。帰ったら不思議に酒がやんだ。しかし、愉美子にヨリを戻してくれというわけにもいかない。子供を6人も生んだ41歳では、もう性交が煩わしいのである。避妊法には必ず失敗があると言っている。そんなことをしてまでセックスに執着したくないわとも言う。一々尤もである。私は引き下がって21歳以前のチョンガ−に戻った。女も酒も終わり。あとは坊主にでもなるしかないではないか。それで盤珪さんの本を書き出した。
 淡窓に戻るが、結核を含む多病の人だったのに当時としては長寿の74歳で物故した。有名な門人に、高野長英(シ−ボルトからは蘭学を学んだが、のちに幕府に責められて自殺)大村益次郎(靖国神社に銅像あり)その他がいた。この二人はともに非業の死を遂げた。長英は46歳で1850年に他界したが、その師・淡窓のほうはあと6年長生きした。長英は淡窓より12歳年下だった。
 私は放浪中、伊豆の下田に住んだことがあるが、私の家の傍に吉田松陰がその弟子とともに密航しようとして捕らえられた場所があり、松陰の歌碑があった。彼は1830〜59の人だから、その生涯は淡窓とタブっている。しかし、松陰が淡窓からどういう影響を受けたかは私は知らない。私は松陰捕縛のあの小島で、オキアミを撒いて黒鯛をねらったが、掛かったのはボラだった。当時生まれた息子が今は高1の悠久。私の父が「悠久の大義」に生きるように命名してくれた息子。しかし、現代の人はなかなかユウキュウと読んでくれない。
 福島一雄さんは、今朝の手紙のなかに墨痕淋漓(若い読者のためにボッコンリンリと発音を書いておこう)たる寒山の「貧道人」という詩を同封してくれた。今、買い物から帰って来た愉美子がそれを壁の上に見て変なことを言った。「これヒンドゥ−に似ていない?」なるほど、と感心した。貧乏では世界一のインドの宗教はヒンドゥ−教、つまり貧道教である。それじゃ、ますます私にピッタリである。ヒンドゥ−教の神の化身サイババの「大凝視」に遭って、私のアル中と鬱病の根っ子がこそぎ取られたが、貧道だけは相変わらずである。それにしても、名にし負う唐代の詩僧・寒山の「ヒンドウジン」をご披露いたそう。若いかたがたも、もう一度高校に戻った気持ちで勉学されたい。

    身貧未是貧    神貧始是貧
    身貧能守道    名為貧道人
    神貧無智慧    果受餓鬼身
    餓鬼比貧道    不如貧道人

 イタリックになっている字は脚韻を踏んでいる。(まるで漢文の先生。)
 意訳すれば、大体つぎのようになる。
    身体が貧しいからといって それではまだ貧乏ということにはならない
    精神までも貧しくなったら 初めて本物の貧乏と言える
    身が貧しくとも道を守り切れる者を 貧道人と呼ぶのだ
    精神が貧しく智恵もないということになれば 餓鬼に生まれ変わるぞ
    餓鬼と貧道を比較してみよ 貧道人ほど立派なものはない
 福島一雄兄は私に寒山は7〜8世紀の人だと教えてくれた。
 それから1200年たって、今の日本には貧道人などどこにもいない。金丸が象徴する経済大国である。私は貧道人のはしくれかもしれない。道はあまり守れなかったから、半貧道人くらいにしておくか。愉美子がツケで手に入れた「短い平和」をくゆらしつつ、これを書いている。その次は17:14の遅い昼食。うどんに当村名産の椎茸と手作りの細葱、それから茄子の古い天ぷらが泳いでいる。