盤珪不生禅
 サッチャ・サイ・ババの場合も、ある日、隣村の男たちが示し合わせて、「あのサイババというのは神の化身と持て囃されているが、みんなでインチキを暴いてやるべえ」というようなことで、道々腕時計の交換をし、サイババに会ったら、どの時計が誰のものかテストをしてやろうと相談をして、プッタパルティ村のアシュラムにやってきた。サイババは彼らの姿を見るとすぐに、「ここは神を試すための場所ではない。まじめな修行者の妨げになるからすぐ帰りなさい。ほら、その交換した腕時計を元どおりにしてからね」と言ったそうである。
 似たようなことが盤珪にもあった。あるとき、禅師が伊予の喜多郡の観音堂に住んでいたころ、庄屋の勘太郎という者がたびたび参禅し、盤珪を論破しようといろいろ工夫したが、どうしても言い負かされてしまう。そこで一計を案じ、吉野与次左衛門という友人と連れ立って参詣する途中でこう言った。「俺が参詣すると、いつも禅師は"勘太郎きたか"というのが癖のようになっている。今日もきっとそうだろう。そこでだ。もしあの言葉が出たら、"そういう者は誰だ"と言い返してやろう。」ところが、二人が観音堂に着くと、禅師は吉野には挨拶したが、勘太郎には知らん顔をしていた。暫く我慢してから、勘太郎は「いよいよご機嫌よろしいですか」と声をかけた。すると、禅師はすかさず「そういう者は誰だ」と言った。勘太郎は平謝りにあやまったという。
 こういう現象は超能力といえばそうだろうが、「身どもの宗は明眼宗なり」と言った盤珪としては、不生の仏心から発する日常茶飯のことだったにちがいない。人の心を見抜くというより、自然に解るといったほうがいいのではないか。
 私もZA時代、そういうことがよくあった。カズコと初めて大分駅に降り立ったとき、彼女に「ここからあのバスに乗って、七つ先の停留所で降りてZAをし、すぐ駅に帰りなさい。私はここで待っているから。」彼女は短い時間でタクシ−で帰ってきた。大金が上がったと報告した。
 カズコのことでは、一つセックスの点で奇妙なことがあった。それは私が特に好きだった八幡宮に参拝して、その地で泊まると、必ずその晩は性交不能に陥るという奇現象である。鎌倉の鶴岡八幡宮でも京都の石清水八幡宮でも豊後の宇佐八幡宮でもそうだった。今になって思うと、祭神がオキナガタラシヒメノミコトという女神だったから、嫉妬されたのかもしれない。迷信みたいだが、体験上の事実だから仕方がない。同種の体験をした人がほかにあれば、ある程度の証明になる。
 盤珪は貧道と仏道を歩み、私は色道と貧道を歩んだ。盤珪は偉大だが、私は彼の真似はできないし、真似をしようとも思わない。


18.悟る悟るとこのごろせねば

 ある俗士(僧でない一般人)が雑念処理について、盤珪に伺いを立て、「念は起こるまま、止むままにせよ」と教えられた。その後、工夫を続けたがどうしてもうまく行かないので、また質問をしたところ、禅師は「汝、起こるまま止むままにする法があると思う故に、なりがたし」と重ねて示した。
 瞑想に入ると、平生より雑念が激しくなってどうしようもないという訴えはよく聞くところである。止めようとする力が、心の底のドブ泥を掻き回すわけだ。題目か念仏を唱えて雑念にかぶせるという方法もあるが、それは押しつぶすようなもので、唱題や唱名をやめれば元の木阿弥になる。私もマントラ(真言)を唱えることがあるが、結局それも邪魔になって止めてしまう。しかし、それが助けになるという人もいるから、私の「方法でない方法」を強いて人に勧めることはない。蝋燭の炎をただ見ているだけという「方法」を初心者に勧めることはあるが、炎の代わりに雑念を使っても同じことだろうと思っている。 無念無想でいると、奥から大切な示しが湧くこともある。雑念というより正念であろう。しかし、それも流れて消えてしまう。あとで思い出しようもないこともあるが、すべて忘れていいことである。必要な時には自然とまた浮かぶものだから。
 ヒンドゥ−教やイスラム教では、仏陀の涅槃は「虚無」にしかすぎないという説を立てる人が多い。もしそれが本当だとしたら、盤珪の境地は釈迦の上を行くと言うこともできるかもしれない。仏教では神を立てないから、「神実現」はできないとサイババは言ったが、私にはあまり納得がいかない点である。私はもともと「名もなき神」が好きで、無名なら当然「形なき神」となるだろうとずっと考えていた。サイババは、そういう無名・無形の神も認めているが、一般大衆には向かないから、自分の写真を飾って「サイラム」と神の名を唱えるのが一番の近道だと教えている。それはそれでいいだろう。サイババ自身は、以前からやっている宗教を続けていればよいとも言っている。「どの形、どの名にも私はいるから」と説く。南無妙法蓮華経でも南無阿弥陀仏でも南無大師遍照金剛でもア−メンでもアラ−でもいいのだ。結局は「名もなき神」になるが、人々はあまり私の言葉を理解しない。
 生まれ変わりの問題で、ある僧が尋ねた。「不生を信得した場合、この肉体が滅びたとき、また生まれるものか生まれないものでしょうか?」盤珪の答えは「不生の場には、生まるるか生まれざるかの沙汰はなき也」であった。
 輪廻転生は印度教徒と仏教徒は信じるが、キリスト教徒とイスラム教徒は、大体において、バイブルとコ−ランにその記載がないという理由で信じない。もっとも例外はあり、エドガ−・ケイシ−は敬虔なクリスチャンであったが転生を信じた。科学的証拠もいろいろ出てきているので、クリスチャンで信じる人は増えているようだ。しかし、生まれ変わりを信じたからといって、それと死の恐怖や不安とは関係がないと思う。
 迷いと悟りの二元対立について、面白い問答がある。ある僧が盤珪に言った。「私は悟りを目当てにして修行しています。これでいいでしょうか?」盤珪の名答は次のとおり。「悟りは迷いに対してのことなり。人々仏体にして、一点も迷いなし。しからば、何を悟り出すべきや。」僧は反論した。「そんなことでは、ただの阿呆ではありませんか。いにしえより、達磨大師を始めとして名僧知識と言われたかたがたはみな、悟ったとき初めて大法成就ということになったではないですか。」禅師の答えはふるっている。「如来は阿呆にして人を済度す。来たることもなく、去ることもなく、生まれつきのままにて、心をくらまさぬを如来といふ。歴代祖師みなかくの如し。」          
別のところで、「親の生み付けたる心には、一点の迷いなし」とも言っている。それを弁えずに、自分は凡夫だから迷うというのは、親に無理難題を言いかけるものだと断言している。だからこそ、盤珪は次の歌を残した。
     悟る悟るとこのごろせねば 朝の寝覚めも気が軽い