盤珪不生禅
19.雲が来た
                       於天神930512/0940
 「悟る悟る」はないけれども、盤珪で明け暮れている。
 儒教の四書五経の筆頭に来る「大学」に出てくる「明徳」が解らず、難行苦行を重ねたあげく26歳で大願成就した盤珪は、外側からは大悟徹底した人と見られる。しかし、本人は「悟った」とは言わず、「折ふし、気がついた」というばかりである。言葉の上では「明徳」が「不生の徳」に変わっただけであるのに、仏教界未曾有の大導師が出現した。

     古桶の底ぬけはてて 三界に一円相の輪があらばこそ

禅僧がよく色紙に丸い輪を一つ書いて済ます。三界とは欲界・色界・無色界のことだが、全世界・全宇宙のことと思ってもいい。仏教の古桶に種々雑多な理論が一杯に詰まっていたものが、底が抜けたら何もかも落ちてどこかに行ってしまった。
 ある人から達磨の絵の揮毫を頼まれた盤珪は、それをあっさりと断わった。そんな「間遠なこと」をしても何の役にも立たないというのである。そんな益体(ヤクタイ)もないことは差し置いて、「お手前の上を見やれ」である。
 「明鏡止水」という言葉がある。これを和歌にしたのが、「さしむかふ心は清き水鏡...」である。環境や外物に「差し向かう」のはこの心。親から生み付けられたままの清らかな「不生の仏心」である。ザワザワと波立つ心は、自分勝手に作り出した「身びいきの心」。不生の仏心は悟り出すものではないとし、修行も努力も無駄であるばかりか、邪魔だとも言った。経文をみだりに読み立てれば「眼をつぶす」とも言った。達磨の絵を求めた人に与えた歌は次のものである。

     我にある活ける祖師をばすておきて外に求むる紙の達磨を

ある尼が禅師に榧(かや)の実を奉ったときの添え歌は、

     たてまつる木の実は よみのかやの皮 君が徳にて破れはてめや

 よみは黄泉。不安な死後の幽界と現界との隔ての皮も、禅師の徳で破れ果てるだろうと言ったのだが、そのお返しは、

     榧のみか 諸仏菩薩も天も地も ただ一口にのみも足らぬぞ

禅宗らしいといえば、いかにも禅宗らしい。諸仏菩薩を礼拝の対象にせず、一口で噛み破ってしまった。しかし、偶像崇拝を何もかも打破するという硬い態度は取らなかった。彼は自分で鑿(のみ)をふるって観音像を刻んだり、聖徳太子の像に合掌したりしている。
釈尊に想いを致して、次の漢詩を残した。

 明星当現呼成道驀掩垢面出世間早識得黄金自貴六年辛苦不居山

上に邦訳を付けるつもりでいたが、昨日から顔を出していたウツの雲が、執筆三日目の午後、私の心一面に広がって、どうしようもなくなっている。本来霊明な不生の仏心は曇るものではないと盤珪は言うが、これだけ黒雲が広がってしまうと不生の心も働きようがない。盤珪さんなら、「ふさぎの心が出たならば、出たら出たまま取り合わぬのがよろしゅうござる」と言うだけだろう。しかし、私はこの本を書き続けたい。その「たい」という欲望が「身びいきの心」で苦しみの元ではあるが、さまざまの苦しみがあったればこそ、人々は盤珪和尚の所に集まって法話を聴いたのである。「明徳」に関する疑惑と、それが解決できぬ苦しみから、盤珪は「あがき回って」不生の仏心に到りついたのではないか、と私は思う。しかし、大聖たちは慈悲の心によって、大衆に難行苦行を勧めることはなく、直接苦の根を抜いてやる。禅宗では歴代、難行苦行を勧める傾きが強いが、盤珪は唯一の例外のようだ。戒律で人を縛ることもせず、座禅を強制することもなかった。三寸の舌頭ですべてを片付けた。釈迦以来、このような人物は、世界各国どこにも出なかったのではあるまいか。
 上記の漢詩の大意は、「明星が現れるようにおのずから成道の時節が到来し、釈迦はただちに垢だらけの顔を覆うようにして世間に出た。自分がもともと持っていた精神の黄金の尊さが早くわかっていたとしたならば、6年も山に籠もって苦行などしなかったものに」というのである。私のように鬱と爽が絶えず交替して天気が定まらぬ人間は、常に晴天が広がっているあのインドの空に憧れてやまない。私にとっては、晴天が悟りであり、曇天や雨天が迷いである。晴天執着が強いのである。だから、「悟りては悟り路をよく歩まねば悟りといふも迷ひなりけり」という精進型の或る人の和歌に答えて、盤珪は次の一首を与えた。
     悟りては悟り路を行く 迷ひては悟りといふも迷ひなりけり
晴朗の心境を長く維持できない私は、心の天候に関係がない「悟り」というものがよく解らない。観念的には理解できるが、どうしても晴天をよしとする心が抜けないから、曇天や雨天になると天を仰いで嘆くわけだ。
 精神の病いだと医者はいう。薬をくれるが効き目はない。曇った空も時節が来ればまた晴れてくる。20代は曇天が半年も続いたことがあった。だんだん、それが短くなって、特にインドから戻ってからは長くて2〜3日しか曇天が続かないようになった。数時間のときさえある。原因はほかに思い当たらぬから、サイババが私に全快とまではいかなくても、軽快を与えてくれたと思っている。そのサイババが、釈迦は涅槃を成就したが、涅槃は虚無であると言ったので、私は「日本には盤珪がいる。彼はただの空寂に堕したのではない。活発に妙機を転じて多くの人々を救ったではないか」と思った。「神実現」とは人が神と一つになって、全知・全能・全在の姿を現すことだが、サイババによれば、釈迦はそこまで行かなかったということである。盤珪にしても、同時に複数の身体を現じて遠方の人を救うということまではしなかったし、難病を立ちどころに治癒するというようなことはなかった。どこまでも仏教の枠内において、仏祖の境界に入っただけだと言われれば、反対のしようもない。
 ただ、私はサイババから一時離れて、盤珪をもう一度見直してみたかった。不生の仏心は私のウツの雲を瞬間に払うものではあるまい。雲のあるなしに拘らず、いつもそこにあるものだろう。雲海の上に出れば、常に輝いている太陽のごときものだ。雲が出たら出たまま平生の心でいなさい、という教えどおりに、今もこれを書いている。雲がどれだけ薄くなったかには今のところ気を止めていないが、なるほど突っかえもしないで、筆指は進んでいる。それ以上何もないわけだが、私は胸のつかえが出てくると、それに集中してしまう癖がある。この気癖がウツの雲を広げて濃くしてしまう元兇かもしれないが、私はそのことはあまり考えず、医者のいう躁鬱症のせいにしていた。名前をつけても何の解決にもならないが、最初からの負け戦さというか、これは一生治らぬものと心で決めていたのかもしれない。