盤珪は癩病患者と食器を共にしたが、癩病を癒しはしなかった。キリストは進んで癩病を治した。それは奇跡だったが、現代医学は全世界のハンセン氏病者を激減させた。私の病気はバクテリアによるものではないから、医学も手をこまねいている。せいぜい、神経遮断剤でも投与するだけである。そして、あらゆる薬剤と同じように、それは不快な副作用を伴う。私は薬を廃して、ウツと同居して暮らすことに決めた。晴曇の交替でこの著作は進行してゆくことだろう。そして、盤珪の話はときどき視界の外に消えることもあるだろう。私の場合、書物の表題は便宜的なものである。結局、私は自分のことを語るのであって、材料または起爆剤がたまたま盤珪というだけだ。


  1. 十界十地

 あらゆる病気は、それを忘れていられれば、そこにはないようなものだ。心臓の存在も忘れているときには、その心臓は健全に活動している。精神の存在を忘れているときにも、その精神は健康であるに違いない。
 自分を語るといっても、今の私はあまり私自身に興味はない。この執筆の初めのほうでは自分のことを語った。あれがソウの状態である。あまり興味がないというのはウツの状態である。だから、今はやはりウツだと結論せざるをえないし、そういうときの私は自分自身から顔を背けているから、本当には語ることは何も出てこない。同時に、他人にもあまり関心が持てなくなるから、盤珪についても熱をもって語れないということになる。テレビや新聞の内容にも気がゆかない。人生万事が無味乾燥でつまらない。こうなってしまうのだから、無理に何かを書こうとすれば苦痛になる。したがって、黙って何もしないということになる。気張って自己表現をしようとすれば、今のように自分のウツの心内風景の描写になってしまう。それは恐らく読者にとっても面白いものではなかろうから、指を止めてしまう。人に話もしない。それが数ヵ月、数週間、数日とつづく。人には言えない心の牢獄だ。その期間中に自分の心のなかに起こることは、だいたい自己叱責や悔恨である。それは苦しいが、私には必要なことかもしれないと思うこともある。エゴの磨り減らしのような気がするからだ。そして、晴天が来る。身体も心も、すべてが爽になる。ウツだったときの苦しみも、今の爽快の花を咲かせるのに必要な肥料ではなかったかと、感謝さえできるようになる。ウスバカゲロウが美しく飛翔するためには、アリヂゴクや繭のなかのサナギの時代も必要だったのだと思う。
 しかし、こういう話、面白いですか。面白くなかろう。それは病気の話であって、あなたのような健康人にはカンケイないことだろう。だが、そういうあなたは置いておいて(ヘンな日本語だ)、私はウツ脱出のためにこれを書いている。それは、いつウツが晴れるか全く予想がつかないからである。長らく沈黙を守っているカナリヤが突然歌い出すのを録音しようと思って、マイクを手に握って待ち構えているような図である。
 何もしないわけにはいかない。生活のための仕事はない。あったところで、それは苦労だろうと思う。私がデスクに向かうサラリ−マンであるならば、周囲に気取られぬようにして何やら仕事をしているだろう。上司に誘われたら仕方なくスナックにも行くかもしれない。酒もカラオケもちっとも面白くない。盤珪流にいうならば、「世の中の人に見られど」世間からは隔絶している。独在していても、盤珪のように胸中常に爽やかというのではない。まるで違うのだ。私が八百屋なら、力のない声で「どうもありがとう」と言いながら、ニンジンの包みを差し出すだけだろう。外側からは何もわからない。問題はいつも内側にある。
 去年、私は緑が丘小学校の同期会に30年ぶりに出席した。自由が丘の寿司屋が会場だった。私は軽いウツだった。早めにその店に着いて、階下のカウンタ−で酒を2本やっていた。アルコ−ルの力でも借りて出来るだけ自分の気を引き立て、昔の仲間に陽気な姿を見せようとしたのである。うわべでは旨く行ったようである。しかし、酒が醒めれば同じこと。私の16年間一升酒時代はその連続だった。完全にアルコ−ルに依存していた。それがインド以後、気質・体質的に酒を受け付けないように変わった。今も飲めば多少ウツが紛れることは知っているが、そのあとはさらに悪くなることも知っている。その苦痛が厭目だから、酒には手を出さない。連続飲酒が不可能になっている。ウツに素面で向かい合っている。これはいいことなのだろうと思う。もう一つは、ウツの継続期間が確実に短くなっていることだ。今日にでも、明日にでも、あさってにでも、パッと晴天がやってくるかもしれない。だから、何もせぬよりはと思って、これを書いている。読者にはこれまたつまらぬことだろう。しかし、晴れたらまた面白くなりますよ、と予言はできる。ウツの所はまあ、斜め読みしてもらえればいい。そのうち何とかなる。
 私は本来快活である。ネアカだと思っている。そのネアカはもしかすると、不生の仏心と同じものかもしれない。盤珪はユ−モアや冗談を飛ばさないマジメ人間だったようだ。餓鬼大将で、川を挟んで石ころを投げ合う子供の合戦のときは、いつも彼の側が勝ったという。負けん気の暴れ者だった。それが人間の死の話をすると、たちまち恐れてションボリしたという。ネアカなのかネクラなのか、よく解らない。どちらかと言えばネクラではないのか。儒学の塾で机を並べた友人が「俺は大金持ちになるよ」と宣言し、実際そのようになったので、盤珪が郷里に龍門寺を建てたときは、その費用のほとんどを、その旧友が匿名で寄付している。
 ユ−モアや冗談については、ある人が「おどけを言うは苦しからずや」と尋ねたとき、盤珪は「信を失いたくば申すべし」と真面目な答えをした。大衆の信を失ってはならぬ立場だったから、盤珪はおどけなど一つも言わなかったに違いない。
 私はソウであれば、おどけ・ふざけに際限がないほうである。ともすると、悪ふざけにもなりかねない。ウツになれば、糞真面目である。山頂と谷底の距離が大きい。感情の振幅も大きいから、一生、天国と地獄を駆け回ってきたようなものだ。これから先、振幅がどんどん小さくなって、いつも「静かに微笑している」宮沢賢司のアメニモマケズ人間になるのかなあ。そうなってもいい。楽だろうから。
 買い物に出かける愉美子に「ためしに小さい瓶のビ−ルを一本買ってくれ」と頼んだ。少量ならソウ転のきっかけになるかもしれぬと思ったからだ。あまり期待はしていない。 盤珪は覚者であろうが、彼が私を導いてくれるとしたら、それはせいぜい仏陀や如来の境涯までであろう。本当か嘘かは知らねども(体験がないから)、その先の世界があるとサイババは言った。信じて(その%は確かでない)、「ウツとヒンの二病を取り去りたまえ」と願った。貧道というものはあるだろうが、その「道」には飽きてしまった。色道は自然消滅の格好である。射精は週に一度はまだ可能だが、角度が90度以下、45度では話にならない。もっとも、これは相手次第。アルコ−ル病院に入れられた1987年には、湘南地方に28歳の人妻と不倫同棲して(愉美子が性交を拒否したため)、一週間連日総立ち連射OKだったが、その両親と亭主にもぎ離された。乱行エピソ−ドの最後である。時に私は61歳。あれが打ち止めか。
 またぞろ露悪無恥の話を始めたが、これは求道悟達の話とは別次元。こんな話でもすれば、このウツがどうにかならないかと、切羽づまっての悪あがきである。日蓮の教説では十界十地というものがあって、それぞれの界には仏地があるという。つまり、修羅界なら修羅界の完成したところ(十番目の地)には仏がいるという。そこで修羅界を卒業すれば、次の人間界に入学できるというわけだ。多くの人が知るとおり、下から並べて、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏となる。それぞれに十地があるから、合計は10x10=100の魂住所があるわけだ。私はこの100地を全部経めぐった実感がある。今はおおかた、仏界の地獄地か、地獄界の仏地あたりにいるのだろう。
 夕方5時のチャイムが鳴っている。
盤珪不生禅