17:37。ひどい頭痛。脳天にまで痛みが及ぶ。1升酒パック残り、押し入れに隠す。愉美子が見ればパニックと思う故なり。酒、うまいものにはあらず。この頁途中までとして、冒頭から全部、一雄さんと大阪アリババに今朝郵送。Sピ−ス2カ−トン、つけにて今朝入手。2400円也。愉美子、75万の先のサラ金を考えているらし。自己破産を意図しているのか、不明。私にオ−ル借金完済を期待するならば、それは狂気の沙汰。
 私としては今、酒やめ、水のんで、アルコ−ル血中濃度を下げ、頭痛から逃れるつもり。頭痛取れれば些か正気の文章が出るかも。

 18:00。5歳日女の明朗な声。それに合わす愉美子声。私の悲観から離れた周囲進行中。手の伸ばしようもなくまた午睡。いや、夕睡。ねむれるはずもなく18:37。思考渋滞。30分、30年も一瞬のごとし。ニュ−スを見て、19:30。世間事情に全く興味なく、また酒に戻る。アル中の再燃というべきだろう。頭痛はどうにか耐えられる程度。私を狂とすれば、周囲、私以外の家族を含めて、正となる。われ狂なれば、この家族の成り行きを最悪と見ているが、愉美子正なれば、また別の展開となるべけれども、ここは狂のほうが事態を正確に見ていると思う。狂は狂判断に自信をもっているという状況だ。高校、中学の子供たち4人すべて帰宅。何も知らざれば、ただ哀れと言いつべし。それにしても、盤珪の本が何というザマになってしまったことか。出だしのところは、盤珪紹介諸著のなかでも秀逸であったのだが、途中でウツという狂疾が土足で入って来てしまった。これは不可抗であった。
 昨夜の瞑想中、今日の出来事の予報は与えられていた。私の守護神は「思わざることが起こるが、争わず、そのまま受けよ」と私に教えた。今朝になって、(1)愉美子が大声を出して和平を学校に送り出そうとしていた。子供は泣きわめいていた。私はたまりかね、「無理に行かすな」とあいだに入った。私は争ったのだろうか。(2)33歳で未婚、もと名古屋暴力団姐さんのモトコの手紙が来た。内容は予想通り。「情事を人に知らすな。書くな。逆らえば、アンタを半殺しにするわよ」とあった。私はモトコの父母にそのままを郵送によって知らせた。やはり、争ったのだろうか。むずかしい。登校拒否に関する愉美子母子の争いは、耳にセンをして聞かず、オンナ・素子からのスケベ罵倒はまことにその通り(と思ったが)と受けて反応せず、一切死んだごとくにソノママウケルか。むずかしい喃!
 今夜中に1升パックは飲み切ってしまうだろう。そしてまた、飲まない日々が続くだろう。


25.決意

NHKの「日本人の質問」というのを見ていた。皆が笑うときには心のなかで笑っており、筋の進行もわかる。馬鹿になる意味でのキチガイではないのだ。外で何が起ころうと、中身はウツで不変というだけのこと。明日はやはり和平は登校拒否をするだろうし、その母がわめいても息子がサボれば、小学校も卒業できなかった唯一の男児が、私の総計22人の子女のうち輝くオンリ−ワンとして記録されるに至るというだけ。私のほうは不まじめであり、親の情もないようなことである。しかし、解決すべき問題が多すぎると、人間は私のような投げやりにもなるのだ。
不生の仏心に背伸びを今はしていない。そういうものがあると盤珪さんから教えられる前の状態を私はやっている。やっているというより、その状態にいる。そして、意識の鋭さは酒で鈍らせているから、私がこうであることを責める私はいない。そこに幾分かのラクがあるわけだ。そのため人々は酒を飲むのだろう。意識を鈍らせ、半分は眠っているような状態を作るのだろう。
 シラフというのは辛いに違いない。誰にとっても。故に釈迦は苦界と言った。そのように娑婆は作られているらしい。睡眠から、または泥酔から目を覚ませば、それに気づくような仕組みになっているようだ。夜はこわい。まだ20:57。またテレビに気を散らして、いずれは真夜中になり、また私の意識と面接か。辛いのう! なるほどザ・ワ−ルドとか、日曜はダメよとか、そういうものを見ている多数の日本人と私と、意識を同じにできるのだろうか。無理にTVを見れば、それは自己強制である。和平はうれしそうに5歳の日女と遊んでいる。登校拒否などはコロリと忘れている。
さきほど、愉美子が私の部屋に入ってきた。私のウツを心配して、「モトコさんはアグレシブな人だからねえ」と、私の心の傷を心配している。実は関係ないのだが、正常人は何か理由を見つけたがる。100人のモトコが私をクソミソに言っても、あまり私は感じない。オンナはせめて
aggressiveに行動するしかないと思っているオンナが一人いるというだけの話ではないか! そのようにできているのだ。今に始まったことではない。
                   †
 930526/0437。4時には目が覚め、頭のなかでもう何か考えていた。「私はもはや働いてお金を稼いで家族を養うことができないのではないか。」それはほとんど、昨日、病院で癌の宣告を受けた男が言いそうな台詞である。そういう思いが湧いていた。また例のウツの想念かと思って、サイラムSAIRAMを繰り返して、余計な想念に蓋をして眠りのなかに戻ってゆこうとしたが、うまく行かない。結局、起床して洗面をした。まだ残っている酒パックからコップに注ぎ、頭痛のない自分を確認し、想いの整理を始めている。箇条書きがよいと思う。
 1)「私」にはもはや家族の扶養力がないと思う、その「私」ということ自体が妄想ではないのか。「私」は無いのではないか。無我の教えとかそういうものではなくて、今さら「無我」にしようにも、「我」そのものがないとしたら、私や我のからまる思考に苦しみが伴うというのはおかしい。事実、今の私は、「私」が性的に無能であったり、金稼ぎにおいて無力であるということを、あまり「苦」と思っていない。あまりというより、全くないと言ったほうがいい。先に行こう。
 2)昨夜、愉美子が私に教えてくれたこと: 生活保護は月に13万円くらいであるから、今のところカイロプラクティックの翻訳で月に15万円の定収があるという状態では、保護の申請は却下されるということ。
 3)愉美子の霊的直感(カン)では、6月になったら収入が再開されるから、5月末の経済的(カネ的)乗り越えは、またもやサラ金を増やすつもりであること。
4)女のカンは馬鹿にできないところがあるから、私も彼女のカンに従い、馬鹿みたいになり、あるうちは酒を飲み、あるうちは煙草を吹き(江戸時代の表現)、このようなグウタラグウタラした文章を書きながら、時間潰しをやり、一家心中の先取りイメ−ジなど忘れ、せいぜい借金生活を楽しむこと。
 5)セックスはもういいです、神さま。だいぶ前からインポ不能だし、したたかなるpettingで素子に奉仕したところで、馬鹿ネ不潔ダワネと言われるのがオチだったのだから、もう女体いじりはやめようと思う。パチンコも金があればやるという程度に、女体のバネを弾くことにして、今はなければないまま。パチンコとオソソとオサケは、無くても生きられる。サケよりタバコのほうが中毒度(依存度)が強いが(これは大分拘置所時代に確認)、タバコ切れしたら、清川村のタバコのみのあいだを乞食してもいいではないか。
 6)金儲けの早手回しは乞食。これはやはり私のショウに合っている。16年間の乞食実績があるから、乞食根性は骨身に沁みている。三日やればやめられない、か。こちらは16年ですから、3日の何倍になるか。ワ−プロの電卓機能で計算します。
    365日x16年=5840日
    5840日÷3日=1946.6666..倍
こういうところを、緑が丘恩師・見ず先センセイはお嫌いになる。
 7)5:10AMが今。酒1.7合が効いてきた。頭は冴えている。頭痛なし。タマボ−キは効いている。箒−−こんな難しい字はいつ忘れるか、わからない。脱線をやめてカネに戻る。
盤珪不生禅