盤珪不生禅
なんで煙管というのかなと思って、今、愛用の「日本語大辞典」を引いたら、「中間が竹で、雁首と吸い口だけが金(かね)で作られているから」と出た。奥沢の自宅まで懸命に逃げて、途中の家の生け垣に潜んで、傍を走りすぎる恐ろしい「地獄の鬼」の足音を聞いていた。 その後はこのキセルについて反省し、「10円のキセルでも罪は重い」というプリントを印刷して、みなに配ったことがある。ところが、それから40年も経って、60歳を過ぎてからまたやってしまった! それは別府の温泉に泊まりに行ったとき、飲みすぎて帰りの汽車賃がなくなった。私の降りる豊後清川駅が無人駅であるのをいいことに、キセルをひさしぶりでやった。愉美子に話したら、「そんなことしないほうがいいわ」と正解。 その他の悪行数知れずの66年。「善根に誇り、貪著(トンチャク)する」ということはなかったつもりだ。たまには善いことをしても、悪事のほうが多いのだから、少しばかりの善事を誇りようがない。「悪しきことを憎み嫌う」ということも少なかった。他人の悪に寛大であっても、それは己れが悪人であることを知っているからで、これも褒めたことではない。仏心は善悪を超えるということは盤珪の説法によく出る。次の歌はもう紹介したかもしれないが、何度味わってもよかろう。

       善もいや悪もいやいや いやもいや 事事物物は時のなりあひ


27.念は消滅するなり   

 「念」の問題について、次の示しがある。長いが岩波本のP100より。
念は元来生まれつき無き故に、自心不生の仏を肯(うべな)ひ信ずる心のうちに、念は消滅するなり。たとへば、酒を好きこのむ人、病にあたれば禁酒になる。しかれども、酒の縁に会へば、飲みたき念おこれども、飲まざる故に、病にあたらず酔ひもせねば、酒の念起こりながらの下戸にて、つひに無病の人となる。迷ひの念もまたかくの如し。起こるまま、やむままににして、用ひず嫌はざれば、妄念はいつとなく、不生の心中に消滅するなり。
女に会って妄念が起こり、この女と寝たいと思う。その妄念が相手の妄念を刺激し、共謀して邪淫を犯すということを、私は何回やったか分からない。キセルどころの微罪ではない。下戸(ゲコ)は酒を嗜まない人(飲むことができないか、酒量の少ない人)のことだが、私は一時、この言葉の意味について、どちらが上戸か下戸か分からなくなったことがあった。飲まない人は上等だから、上戸と言えばいいのにという思いが潜在意識にあったせいだろう。下戸という言葉を作った人は飲み助だったと思う。自分のほうを「上」と決め込んだにちがいない。
 飲み助は下戸を嘲って、妙な諺を沢山作った。「下戸と化け物は無い」というのは、人間だれでも飲めると言いたかったのだが、それは嘘だ。また「下戸の肴荒らし」というのは事実だろうが、肝臓をこわすよりもどれだけいいか分からない。「下戸の建てたる蔵もなし」というのは、酒を飲まぬから金が溜まれば蔵くらい建ちそうなものだが、そんなことはないじゃないかというのだが、これも酒飲みが下戸を嘲る言葉。私の16年間一升酒を銭に換算したら1000万円と出た。こういう金を大切に扱っていたならば、今の貧窮もなかっただろうが、これも後悔先に立たずの一例。
 「念を用いず」は分かりやすいが、「念を嫌わず」は難しい。たとえば、色欲の念に負けてエイズを背負い込んでしまったとする。ああ、色欲の念は嫌なものだと思う。しかし、「嫌う」はその念にこびりついた状態、一種の愛着であるから、「これは悪い、駄目だ、だめだ」と思いつつ、つい万引きをしてしまったり、ソ−プランドのドアを押したりするアレである。私は若いときに「悪を嫌う念」が強すぎることがあった。例えば、恋人(最初の結婚の相手)と道を歩いていながら勃起して、非常に自分の性欲を嫌ったことがあった。ここに逆向きの執着が起こる。私は悩みに悩んだ末に、小学校の友達で職工の倅・キンちゃんの家に行って教えを乞うた。彼は色町の女を知っていたから、その道の先輩だったのである。キンちゃんはサラリと私の悩みを取ってくれた。「自然だよ。ジュ−ビシさん、自然のままに任せるしかないぜ。」
 しかし、その自然主義が30代からの私の大不行跡の原因となり、やがては留置場・拘置所の連続となったから恐ろしい。自然は曲者である。「善悪を超えて」の取り違いは、前の章に出した超禅という男の過ちに落ちるのである。


28.楽園復帰

 今日は5月27日。私の「大聖シルディ・サイ・ババ小伝」を読んだ人から2000円の喜捨があり、有難くそれを私のキャンペ−ン・レタ−(campaignはもともと軍事行動を意味する英語だが、選挙運動や資金募集にも使う)30通の郵税に使った。母校武蔵の卒業生9000人のうちから、私に翻訳仕事を回してくれそうな人たちに少しづつ手紙を送っているのである。けさは5時に起きてそれをやり、あとこの原稿書きの仕事に移った。
 愉美子が昨日はまた大分市のサラ金会社に行って、ロ−ンの枠を広げてきた。印度から帰国して以来、もう3ヵ月近くになる。食業がないために、自分の著作は進捗したが、武士は食わねど高楊枝もそうそう続かない。「不生にて一切が調う」のかどうかと私は怪しんだ。どういうことをやったら収入の道が開けるのか、そこまで不生の仏心は教えてくれるのかといぶかしんだのだ。
 こういうとき、私はオカルト能力に頼りたがる。霊感が閃いて「今すぐ甲府市のアレ山コレ夫に連絡せよ」とか、その類いである。そういうカンがよく閃いた時期もあったが、それを黒魔術として悪用したせいか、最近はあまり働かない。盤珪もある時期に、大洲の城主からオカルト能力について或る批判を受けて、それ以後奇妙不思議のことを外に出さなくなったとあるが、私はその城主の意図がどこにあったのか、まだよく分からない。
 「なにげなし、そのまま、素直に」フイと浮かんだ想念に従って行動するようになってはいる、私は。無理にこれは神のお告げか別物かなどど力むと、大切なものが逃げてゆくようになる。盤珪は次の言葉を残している(岩波本、P107)。
ただ真っ正直に身どもが言うところを信じて、生まれつきのままにて、あとさきを分別せず、鏡に物の写るごとくなれば、一切万法通達せずといふことなし。疑ふことなかれ。「あとさきを分別せず」−−これが大切のようだ。エデンの園で「食べるなよ」と神さまが注意したのは「知恵の木の実」だった。知恵とは分別である。あれは善い、これは悪いと、「分」けて区「別」を立てる。しかし、分別知のおかげで科学も進歩したのではないかと反論する人は多い。しかし、科学は地球人類をどこまで幸福にしたか。偏差値で表される「知恵」は子供たちをどこまで幸せにするか。私はエデンの園で、陰部も隠さず、エバと仲よく暮らしていたころを懐かしく思う。それは人類全部がどこかで覚えているパラダイス体験である。
 分別知が生まれてから、男女の性別も分かり、イチジクの葉っぱで前を隠し、プライバシ−をうるさく言うようになってきた。