盤珪不生禅
 私が天皇陛下や大統領やキリストや仏陀だったとしたら、あなたは聴く態度を改めますか? もし、そうだとしたら、あなたは外側の「なにものか」に耳を澄ましているのであって、決して「あなたのなかのあなた」に聴いているのではありません。そして「外の人や神や仏や真理」に注意しているあいだは、あなたは「その声」を何かの参考にしている程度のことであって、どうせすぐ忘れてしまいます。覚えていたところで、それは知識にとどまっているのですから、あなたの人生にあまり役に立ちません。
 あなたは今、自分が本当にやりたいと思っていることをやっていますか? そうでないとしたら、きっと今あなたがやっていることは「やらなくてはいけないとあなたが思っていること」でしょう。それはあなたを今、幸せにしていますか? 答えはNOでしょうね。「やらなくていはいけないこと」は義務とか生活の必要とか呼ばれるものです。それをやりたくないという自分の本心があっても、あなたはそれを本心ではないと決めたがり、いろいろ理屈をつけて、やはり「やりたくないこと」をやってしまい、それでますます自分を不幸にしています。
 ある宗教の先生は、次のように教えます。
 「日常の普通の仕事がどんなにつまらないものだと思っても、それを神さまに捧げるのだという気持ちでやれば、あなたの毎日のすべての仕事は輝いてきますよ。」
 私もそれを信じて実行してみたことがありますが、うまく行きませんでした。だから、やめてしまいました。観念操作などで人生がそう簡単に旨く運ぶものではありません。「やりかた」(how to)を教える教師は、世の中に、大昔から数え切れないほど存在してきました。それをあなたは無限回数生まれ変わって、片端から試してみました。服を取り替え引き換え試して着るようなものです。しかし、既製品がピタリと自分に合ったことは一度もありませんでした。それなのに、あなたはあっさり断念することはせず、まことに執拗に、何度でも無駄な努力を重ねてきました。そして、今もまだ諦め切れないでいます。「どこかに、自分にピタリと合うものがあるはずだ」という幻想は、とても根深いものなので、それを棄てることなど、とんでもないとさえ、あなたは考えています。
 しかし、もうやめようではありませんか。
 そう「あなたのなかのあなた」が言っています。
 今はこのくらいにします。また、「あなたに!」と呼びかけたくなったら、別の時に別の内容を語りましょう。


あなたのなかのあなた

あなたに!
                       於天神920408/0155
 あなたは自分で考え、それよりもっと大切なことは、自分で感じることから、すべてをやり直したほうがいいと、お考えになりませんか?
 それとも、そんな力は自分にはないと、初めから諦めていますか?
 この直前の手紙(開始の時刻を見てください)で、何かを諦めなさいと私は言いましたが、今は「諦めるな」と言っています。一見矛盾していますが、よく読めば同じことを私が言っているのがわかるはずです。
 自分に能力がないと諦めるのは、それはそれでいいのです。誰もあなたの自由を侵害しません。
 無能力感から、何かをやりますか? なにかやれそうですか?
 落ち込んでいて何もやりたくないから、好きなことをやれと言われても、それは無理だというのが、あなたかもしれませんね。
 そういう時は確かにあります。それに抵抗しても仕方がありません。布団をかぶって寝てしまうか、ウツ病とかノイロ−ゼとか、お医者さんから病名を頂いて、お金を払って入院したり、お薬をもらうのもいいでしょう。そういうことは、全くあなたの自由なのです。 何につけても、それはいけません、それはだめだと、私は言いません。そういう私は、何度も繰り返しますが、「あなたのなかのあなた」なのです。だから、安心して聴いてください。どう転んでも大丈夫です。私が見ていますから。あなたは、いわゆる失敗や貧乏や病気や不幸などを経験して、どんどんあなたらしくなって行きます。あなたがこの世にこの時代に生まれた目的はそれしかないのですからね。
 人まねをやめて、あなたらしいあなたになるのが、あなたの人生の目的です。ほかに何もありません。
 価値を付けるのは回りの人たちの仕事です。かれらにはそれしか仕事がないのですから、やりたいようにやらせておけばいいのです。
 「あなたのなかのあなた」に気づいている人は、地球中見回しても、驚くほど少数なのですから、あなたが私、つまり「あなたのなかのあなた」に気がついていないのは不思議ではありません。みなが、「気がつかないでやろうよ」という名前のゲ−ムを夢中にやっているのですからね。
 そのゲ−ムに飽きてしまったら、「イチ抜けた!」と抜けたらいいのです。事は簡単です。やるかやらぬかだけです。
 ひとりぼっちになって寂しいですって? 大丈夫ですよ。私がいるから。私があなたを優しく見守っているからね。そして、必要な時には、知恵も力も与えてあげますから。
 私は毎日24時間起きていて、たとえばあなたの心臓の動きなども責任を持って見ていますから、あなたは眠くなったら、いつでも眠っていいのです。何も、心配することはありません。
 あなたの食業(食べるための仕事)についても、私が非常に精密に設計していますから、あまり心配しないでもいいのです。めちゃめちゃに贅沢をしたいから、沢山のお金が欲しいと、あなたが思ったら、私はそれもいいねとも思うけれども、やはりあなたの全体的な幸せと健康を考えると、もっとあなたに親身になって、最上の設計をして、それを実現することにしています。それがあなたの予想や期待に反することもあるから、あなたがふくれっ面をすることも、ちゃんと見込んであります。行き届いているから、おまかせください。外にいる神さまというものは、なにか、あなたの側で誓いを立てたり、大事なものをお供えしたり、立派なことをやったり、溺れる子供を助けたり、要するに「神さまが喜びそうなこと」をしないと何も聞いてくれない存在ではありませんか? すくなくとも、あなたはそういう風に神さまのことを考えてきたのではありませんか? そういう交換条件は面倒ですね。条件付きの神さまなんか要らないよ、とあなたは思いませんか?
 無条件で飛び込める神さまなら、私も好きですが、「お前は汚れているぞ。まず、身体と心を清めてこい」という神さまは私には向きません。それから、ダイヤルをある周波数に合わせないと、何も聞こえてこないラジオみたいな神さまも、私には気に入りません。むずかしいダイヤル合わせは、人間にはほとんどか絶対にできません。相手が無限の存在なのに、どこにダイヤルを合わせたらいいのでしょうか。合わせるという考えそのものが、大間違いではありませんか。