在天神940215/1645

 メーヘル・ババについて書くことは多い。何冊書いたら気が済むか分からないが、とりあえず「序曲」という題をつけて、その第1冊目を書くことにした。昨年(1993年)インドのサイババのもとから帰って以来、サイババを中心に数冊の本を書き、正式出版の縁がないまま、私家版としてそのコピーを知友に配って、こんにちに至っている。
 私の食業は翻訳であるから、その方面の仕事が立て込んでくると、この種の書物を著す時間がなくなる。食業の切れ目が来ると、失業のお陰でこのようなものが書ける。今は昨年2月以来の二度日の失業中である。お金につながる仕事が切れると、お金に関係ない仕事ができる。失業あれば得業ありというわけだ。どちらの仕事をしているときのほうが幸せかというと、やはり正直に言って、お金にならない仕事のほうが楽しい。そのかわり、大人二人子供六人の生活は日々に窮乏の度を増してくる。これは仕方がない。貧困は生身の人間にとって辛いものであるが、神さまのご都合によって、お金が回ってこない時には、やはり諦めて余暇を善用するしかない。
 二月の初めに、東京のサイババ・センターの牧野元三君の口利きで、気功師として有名な中川雅仁さんの関係で、多くの書物の英訳の仕事が舞い込みそうになって喜んでいたら、
今日、牧野元三君から「その話は流れました」という報告があった。がっかり落胆気落ちして、もう何もやる気力も消えてしまうかと思ったら、「いや、やはり一歩前進」とばかリに、私の指と頭脳はこの著述のために動き出している。
 この家の未娘である十菱日女(6歳)が四月に小学校に上がるので、ランドセルその他準備をしてやらねばならない。長女の王玉(オウギョク)はこの3月に高校を出て、久留米の仏教系短大に入る。その内地留学にも費用が要る。子供らの母親である愉美子は大変である。先ほども、「鎌倉の太母さんにお願いしてください」というので、太母さんに救援依頼の手紙を書いた。太母さんも無欲の人だから、彼女のお寺である霊鷲寺(リヨウジュジ)の破れ屋根の補修もなさらぬようなかたで、いつぞやの台風で瓦が動いたために雨もリが止まったとかいうお話を聞いたことがある。助けてくださるかどうか、それは皆目わからない。
 メーヘル・ババもそのアシュラムで、弟子たちとともに窮乏の生活をしていたことがあったが、月々の支払いもままならぬのに、どこかから入金があると、それをあちこちの困っている信者に送るように、会計係に下知(ゲチ)した。その金額は入金を上回ることがたびたびだったために、会計係が頭を抱えるのだが、支払日が来ると何となく帳尻が合ったという。メーへル・ババのような聖者にとっては、貧乏は生活のアクセサリーのようである。日本でも、駿河の国に過ぎたものが二つあると言われた富士山と白隠禅師。その白隠(1685〜1768)が80歳を過ぎたころ、村の娘を孕ませたという濡れ衣を着せられて、迫害と窮乏に耐えたという話は講談でも有名であるが、私は別に聖者でも何でもないから、聖者たちのようにシャアシャアとしているわけにもいかないのだが、今まであまりにも七転八倒したので、取り越し苦労と持ち越し苦労にくたびれ果ててしまい、悩む能力を剥ぎ取られてしまった。
 家庭の主婦に、無収入と借金の山積みに悩むなと言うほうが無理である。私も愉美子に

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そんなことを言いはしないが、私が悩みの加勢をしたところで、状況は改善されないのは明らかである。愉美子はサチャ・サイババとクリシュナの信者で、神さまは信者の生活のこまごましたところまでも面倒を見てくださると信じているが、支払いに追われながら、その信仰を堅持するのはむずかしいだろう。
 神仏や聖者への信仰から、物質的ご利益を引き去ったとき、その信仰の深浅が明らかになる。古くは、旧約聖書に出てくるヨブの物語がある。これでもかこれでもかと苦難が襲ってきても、それに耐え抜いて信仰を貫いた人に、最後の栄冠が輝くという筋道である。空間と時間の制約枠のなかで、肉体を保ってゆかねばならない地上生活の定めでは、物質や肉体や金銭を無視するわけにはいかない。だから、御利益を求めて集まってくる人々lこ、サイババは惜しげもなく多くの恵みを振りまいてお出でだ。ところが、メーヘル・ババは変った聖者で、「わたしは奇跡を起こさない」と公言した。それにもかかわらず、世界中から信者が集まった。彼は「わたしを愛しなさい」と言い続けた。ご利益という餌を与えないで、「我を愛せよ」ということだけを言った聖者lこ、なぜ民衆は引き寄せられたのか、その辺にメーヘル・ババの秘密がある。「ご利益のない聖者か、それはつまらん」という多くの人々はこの本を読もうともしないだろうが、この選抜のふるいの網の目をくぐった人は、私のこの本からも何かの開眼を体験するだろう。
 死んでから浄土に行けるという約束と信念を得るためlこ、中世の日本人民衆は南無阿弥
陀仏に走った。日蓮宗でも禅宗でも、昔の日本人は物質的利益を第一目標として仏教を信
じたわけではない。もちろん、四国の八十八箇所巡りのように、弘法大師の霊験と奇跡を待望した信仰もあったが、現代の日本人ほどは物質的ではなかったような気がする。時代は堕落の方向に走っている。科学文明による物質的進歩に気を取られているまに、人類全体の霊性レベルは確実に下落してきた。




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 メーへル・ババは理解のしようがないし、説明のしようがない。そんなはずはなかったと、彼の主著である『講話集』(DISCOURSES)その他の書籍をパラパラ読んでみたが、手のつけようがない。私は30代から40代にかけて、彼の著書はたいてい読んだし、彼と文通もして、彼の思想のあらましは分かっていたつもりであった。それが、サイババ思想に深く沈没してから出てきたところ、メーヘル・ババはまるで分からない存在に変貌していた。同じインド人であっても、ヒンドゥー教のにおいはほとんどしない。言葉としてはアラビア語や、ゾロアスター教の観念などが入っているが、そういう外側の表現は別として、中身が分からない。サイババの言葉と相通じるところは各所にあるが、それでも分からない。私はサイババに洗脳されてしまったのかもしれない。そして、メーへル・ババの本を読んでいると、限りなく眠くなる。今日は何度もうたた寝をして、そのたびにさまざまの夢を見る。まったく話にならない。
 そのあいだに、愉美子は税金のことで役所に行ったり、サラ金の枠を増やすことに努力したり、東京のたま出版から未払いの印税を送ってもらおうと電話をしたり、大忙しだった。私は何の助言も助力もできない。白痴のように彼女の苦闘を見守っているばかりである。サイババとは奇跡でどうにかつながリそうな気がするが、メーヘル・ババは、法則どおりに会ては厳密に進行するばかりだと言い、「わたしは奇跡を行わない」とニベもない。人間の義務として、私はこの家庭を貧窮から救い出さねぼならないが、そのためのヒントなど、メーヘル・ババからは何も出てこないようである。私は無活動になり、眠くなるばかりである。頭の働きは止まってしまい、何もできない。それより、もう完成している『サイババ発見』をワープロ

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メーヘル・ババ序曲
王神如風・著
1.はじめに
2.完全お手上げ
メーヘル・ババ序曲