無より
生は自分の美しいところだけを見せて、生徒をがっかりさせないようにしようという、一種の義務意識みたいなものを持っているのかもしれない。(かもしれない、と言ったのは、例外がありうるからだ。)
 すべての人の神性を見て、それを拝みましょうと説いていた谷口雅春先生が、私の前で白面の英国人青年フセイン・ロフェに蒼くなって激怒した。私が理想化していた「先生」のイメ−ジが私の前で崩れた。あれ以来、私は谷口雅春を「先生」と見ることをやめた。20代の私の幻滅である。大学生のころ、尊敬する鈴木大拙に会いに行った。禅の大家が「きみ、紹介状を持っているか?」で、「ありません」と答えたら玄関払いを食わされた。あの有名な禅学者も世間的な応対しかできないのかと幻滅して、「僕はもし将来偉くなったら、無名の青年がやってきても、ああいう応接はするまい」と心に誓った。大学を出て、すぐ高校の英語教師になったから、職業上での「先生」という呼称を受け入れざるをえなかったが、10年間教師をやってたまらなくなったあげく、辞めてしまった。その後は「センセイ」になることを拒否した。みなに「自分のことをリンサンと呼んでくれ」と頼んだ。それが通称になった。
 この本のペンネ−ムは偉そうな「王神如風」である。名前で格好をつけているのではない。戸籍名の十菱麟に飽きてしまったことと、こんな名前で生きたら世間はどんな扱いをするだろうかという好奇心的いたずらごころからである。そしてまた、「地上の真の王は神でしかないし、その神にあやかろう。神と人と区分して、いつも自分を卑しめてきたが、"神は人、人は神"という真理に飛び込もう。そのような存在になったら、そのような人は風の去来にも似て、行動の捉えどころもなくなるだろうから、風の如しということにしよう」という考えもあった。
 その辺で本題に入ろう。まず一番だ。愛神さんは戸籍名「酒井克己」である。酒という字が嫌だといつも言っていた。地球神政府運動を30年前に始めたころ、彼は「星霧愛神」と名乗り出した。あとで、愛神だけになった。その愛神さんが20年の精神病院生活から抜けて、また娑婆に戻ってくる。生活のあてがなく、労働もしたくないということで、今まで受けていた生活保護を大阪に移す形で大阪に移住する計画を、私や大阪の仲間たちが助けている。大阪の在神さんを中心に、愛神さんのアパ−ト確保に皆が動いているところである。その愛神さんに、しばらく前に、私はこんな手紙を出した。
「病院から支給される薬を拒否して、早く薬害から抜け、UFOのメッセ−ジを敏感にキャッチできる昔の愛神さんに戻ってください。それから、地球から見たらロ−カル政府に過ぎない日本政府からお金を恵んでもらって生活するというのは、一時の便法として、はやく生活保護から抜けてください。保護を受けていると、旅券の申請もできません。愛神さん、あなたには世界中どこにでも旅をしてもらいたいのです。あなたの経済生活を助ける青年がいま兵庫県明石市の刑務所に入っています。あなたと違って、よく世間の裏表を知っています。ヤクザの仲間に入っていましたが、今は前非を悔いています。できれば、あなたの家僕(ハウスボ−イ)にして、彼にお金のことは任せるといいですよ。彼は聡明だし、お金儲けのベテランです。彼を善導して、二人で力を合わせて生きてください。」大略、そのような手紙だった。「批判をしましたね」という言葉には、一種の反発の響きがあったが、私は聞き流した。若いころの彼は円盤狂だった。国連の事務総長に会いたいばかりに、成田空港に行って、切符なしでパンアメリカンの飛行機に乗りこみ、警察に引き渡された。家族は彼を精神病院に入れた。世間ダルマを彼は無視していたから、世間側の対応としては、彼を警察に引き渡し、つぎに精神病院というのは当然だったろう。「批判」しないかぎり、彼はうまく社会に適応していけない。彼はもう60代に入っている。
 第二に、ショパンのCD未払い問題。3000円台の月賦でピアノ全集を購入する申し込みをしたときは、私はまだ失業してなかった。今年に入って振込み手続きを怠っていた。ために、その催促の葉書が来ていた。愉美子に相談したら、「どうせ払えないのだから、ほっておくしかないわ。」良心が咎める。ダルマ(人の正しい生き方、道徳、倫理)に反することは明らかである。このまま頬被りをしていたら、詐欺である。私は若い頃、月賦が払えなくて何度も未払い詐欺をやって来た。引っ越しをしてそのままにしておいた。また、その癖が出てきたようだ。手続きを取って、払えなくなって裁判沙汰になっても、それを正面から受けるのが筋だろう。私はダルマを絶対ダルマと世間ダルマに分けるという考え方をしたことがある。世間ダルマは国法や常識に従うことである。婦人の前では裸かにならないとか、夜更けの交差点で人の子や猫の子が一匹もいなくても、青信号が出るまでは道を渡らないというようなことである。
 戦後、闇で食料を買わなかったために餓死した検事がいた。新聞には賛否両論だった。馬鹿なやつだというのと、立派な聖人だというのと、真っ二つに分かれた。しかし、大半は、食うためには法律を破るのも仕方あるまいの意見で、それが国民の考え方だった。六法全書は悪魔の聖書という言葉がある。それから44年間、人々は法律の裏をかいて、金持になったり政治家になったりした。処罰されなければ何をしてもいいというのが常識になった。姦淫罪が廃止になったので、不倫もまた常識になった。アメリカと同じく日本も道徳頽廃の一路を辿った。私の月賦詐欺も、そうした風潮のなかの一つの表れだった。そこに、サナ−タナ・ダルマ(永遠の道徳)を掲げたサイババの登場である。泥沼の栄養を吸収して蓮華は開花するというが、日本の泥沼にも蓮華は咲くのだろうか。
 この不道徳な世間であるからこそ、ダルマの美しさは一段と映えると希望したい。
 さあ、どうするか。

  1. 小さい悪事
                                       在天神940227/0502
 去年の秋、私は自宅の近くを散歩して、空地同然のところに生えていたコスモスを摘んでいた。すると、向かいの家から主人が出てきて噛みついた。「あんたは大学まで出ているのだろう! 何だ、その泥棒行為は! おれが育てたコスモスなんだぞ!」私は平身低頭して謝った。サイババがその主人に化身して私を叱ったと思った。昔の私だったら、「けちめ!」と喧嘩を始めただろうが、そんな気は起きず、怒りも生じなかった。花一本でも泥棒だ。人を殺すのは絶対ダルマに反するが、花泥棒は世間ダルマに反したにすぎないから、後者は大したことではないという私の自己正当化は詭弁にすぎないと思った。
 学生時代の私は、東横線でキセル乗車をやって駅員に追いかけられたことがある。あのときは本当に強く反省した。「10円のキセル乗車でも罪は罪だ」というパンフレットを作って、人に配布したくらいだった。そういう立ち直りの努力は何度もしたが、いつのまにか悪に流れて、人妻を3人も掻っ払って平然としていた。そのたびに、いつも何らかの形で処罰を受けていた。人妻泥棒も花泥棒も等価値だと、観念するしかない。絶対ダルマと世間ダルマの区別などないのだ。やはり、ポリド−ルは手続きを取ろう。貧乏だからというのは言い訳にならない。品物を返せるものなら返してしまおう。それが駄目なら裁判でも何でもいいと、いま腹を決めた。
 貧乏はカルマなのだ。前世は大泥棒だったのかもしれない。私の盗癖は根深いからだ。道でハンカチを拾うとすぐポケットに収めてしまう。「どうせ、誰も取りに来やしない。泥に汚れてゴミになってしまうだけだ。俺はこれを洗濯して生かしてやろう」と正当化して自分のものにしてしまう。「道に遺を拾わず」というシナの言葉がある。世が治まり、道徳が行われている時代には、人々は拾い物すらしないという意味である。
 今月の初め、中川気功関係の翻訳の仕事が貰えるかもしれないというので、私は田原さんからの資金で上京した。その仕事は結局流れてしまったが、何年ぶりかで牧野元三君と