無より
ない。2月も末日という夜遅く、私は『ウツと失業』という本の目次をワ−プロに打たねばならないという仕事に取りかかろうとして、どうも気が進まない。フロッピ−ディスクから感熱紙にプリントアウトして、その頁を見ながら章名を並べるというごくごく単調な仕事なので、やるまえから士気が萎えてしまった。キカイ的仕事が嫌いな人がほかにもいないかなあと思っているうちに、「そうだ、イカキ先生がいるわい」と思いついて、第18章を書き出したにすぎない。そうしたら、イチロウとかカズコとかゴロ犬とか、ぞろぞろ出てきて、どうしようもなくなってしまった。彼ら、彼女ら、それらはみな勝手に動き回るので、私はただそれを観察して記録するだけでいいのだから、それほど面倒な仕事ではないが、目次作りの仕事も気になって、いちおう気が済んだ(澄んだ)ところで、キカイ仕事に戻ろうと思っている。
 昨夜も徹夜になり、朝の8時ごろから6時間コタツ寝をしてしまった。午後の2時に起床だったから、今夜も眠れそうにない。瞑想と祈りはもう終わったから、あとは話し相手もなく、またもや一人仕事だ。機械的仕事も、仕事は仕事だから、イヤがらずやるのだよと、尚美会社員の如神にさっき手紙を書いたばかりだった。そのくせ、この私はキカイダ−ではない。私にはサラリ−マンは勤まらない。しかし、勤まっているニョシン君には、「自分の自由時間だけが楽しいと思ってはいけない。そう思うと、会社に拘束されている時間が灰色になり、刑務所の囚人みたいな気分になるよ。それはまずい。すべての時間が神さまのものと思いなさい。何をしていても、その時間の仕事を神さまに捧げると思ってやるのですよ」とお説教した。これはサイババの口まねである。しかし、そういうお説教がすぐに効くはずはない。せめてそんなふうに思えば、いくらか気が楽になるかもくらいの、お説教である。如神がいよいよ会社嫌いになれば、やめるしかない。きっともう、だいぶ嫌になっているのだろう。しかし、完全自由業になれば、私みたいなことになるのだが、彼に耐えられるだろうか。
 彼と一緒に暮らして、時間に全く捉えられない生活をしたら楽しいかもしれん。
 「おいきみ、起きろよ。俺ひとりで寝られないんだ。起きて、俺のお相手をしろよ」ということになる。もうやめよう、やめよう。キカイ的な仕事に戻る。1:02AM。

 夜中のというか、朝の3時49分である。かたわらの小さいワ−プロに、『ウツと失業』の印刷をやらせ、私は京都府八幡市の洞が峠の近くでガソリンスタンドの支配人をやっている妙神君と長電話をしていた。40万円かかるが、伊豆の下田の沖ヨガ道場での「医療気功師養成道場」で一週間の研修を受ければ、「気」を出せるようになり、気功師として治療営業ができると話したら、だいぶん乗り気の様子だった。ガソリンの仕事は、やはり彼が生命フル回転でやるような仕事でないので、人の病気を治すという大きい仕事をしたいと思うのは、よく理解できる。彼は今のところ、いわば「助っ人」であって、夫人の両親が経営している石油店の夜勤専門のピンチヒッタ−なのである。徹夜勤務の大変な仕事だが、別に彼でなくてはならないという仕事ではない。もちろん、彼としては徹夜中に客が来ない時間には、瞑想をしたり本を読んだりして自己研鑚をすることができる。しかし、そろそろ彼も世間に飛び出したがっている。37歳の働き盛りだ。中川気功で実力を出すのもよかろう。
 どうも「あっと驚く」話が出てこない。それが出てこないことに、読者はアッと驚いたかもしれない。

20.不思議な武道
                                       在天神940301/0406
 「先生の本は誰にもわからないし、読んで心が明るくなって人生に成功するといった御利益がないから、著書の出版で食ってゆくことは無理じゃないかなあ」と、ガソリンの妙神が電話で言っていた。小説家なら小説を書くことに夢中になり、その想像世界の面白さに読者は釣りこまれて、「ああ、面白かった」で、またその著者の本を買いたくなるが、私の本にはそれがないと言うのだ。小倉の物理学者・衛藤陸雄さんが言ったように、私の本は「重い」らしいのである。私の世界に入りこむのがシンドイということなのだろう。お仕着せのレディ−メ−ドの思考法を採用していないし、考え方の原点から自分自身を問い直さないといけない。そんな面倒臭い作業を大衆は嫌うのである。
 「先生に個人的興味をもたないかぎり駄目でしょうな」と妙神君は言っていた。「サイババの信者だって、先生の疑惑や突っ込みにはついていけないし、サイババ組織でも、先生の本を推薦図書にはしないですよ。つまり、先生は野中の一本杉で、バックに組織も社会的肩書きも何もないんです。」それはそうだな。私が東大教授だったら、やたら難解なことを書いても、すくなくとも学生は私の本を買うだろう。NHK教育か何かで、私がもし通俗心理学でも講義をしていたら、名と顔を覚えてくれる視聴者が、本屋で私の著書を買うだろうが、そういうオイシイものは何一つない。だから、出版社の段階で、商利的に「これは売れない」と判断したら、私が印税で生きてゆける道は全く閉ざされてしまうわけだ。
 ドイツの哲学者ニ−チェは、大学で教えていた時代はあったが、「神は死んだ」式の大胆極まる哲学を唱え出してからは、学界からは縁を切られるし、出版社も相手にしてくれないようになった。仕方がないから、彼は自費で著書を出版した。しかし、誰も買ってくれないので、友人にみな只で贈呈してしまった。彼の哲学書が売れだしたのは、イエナの精神病院で1900年に脳梅毒か何かで死んでから、だいぶん立ってからのことである。 ニ−チェ自身は、「今のドイツに俺ほど素晴らしいドイツ語を書ける人間はいない」と豪語したが、そんなことは、世間に受け入れられる材料には少しもならなかった。私も似たようなものである。時代よりいつも20年は先んじてきた私だ。いま書いているものが受け入れられるには、私が87歳の年を待たねばならない。やはり、これじゃ私は窮死する運命なのかな。
 あまりに何だから、小説の続きをすこし書いておく。ラインで区切りをしてからね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  カズコは麻績(おみ)という長野県の4000人ほどの村の出身だった。幼い時から父の農業を手伝う孝行娘だったから、骨格も筋肉もよく発達した立派な身体を持っていた。 彼女がカイ市に出てきたのは、何と武道を習う目的だった。それもありきたりの柔道とか合気や拳法ではなく、或る特殊の武道を教える先生がこの市にいたからである。その先生は「だれでもわしの武道を一週間で習得することができる」と言っていた。先生の名前は林参と言った。以下に林参先生の道場に置いてあるパンフレットの一節を引用しよう。
 1.私の「気武道」は型から入らない。その点、どこの武道とも異なっている。     
 2.型に頼らないから、記憶は不要である。
 3.「気武道」履修には、一週間の道場泊まり込み修行が必要である。
 4.修行の費用は定めない。終了した日に自分で判断して、誠実な謝礼を差し出しなさい。
 5.一週間履修中は、煙草・酒などは自由であり、食事も当道場で調理するものでもいいし、外から出前を取るもよし、ス−パ−から弁当を買いこんでくるのも自由である。要するに、外面生活上の束縛は一切ない。
 6.起床と就寝のきまりもない。
 7.男女が同室で就寝することも妨げない。
 8.私は無理な要求はしないが、なるべく素直に私の指導に従ってもらう。途中で、私に対する反抗心が起こったら、自由に荷物をまとめて帰宅するがいい。
                                                     以上