無より
 以上はよろしいが、これだけでは何が何だかサッパリわからない。この林参先生が自由主義であることだけは、よくわかる。カズコも初めて、「気武道」道場を訪ねたときに、このパンフレットを見せられて、途方に暮れた。以上の8ヵ条が最初に書いてあって、あとのペ−ジは老子の言葉とか、聖書の引用とか、ヒンドゥ−教の聖典の講義とかで、読んでもほとんど分からない。それでも思い切って入門した。そして、一週間後に非常に晴れやかな顔をして、いちおう麻績村の自宅に帰った。父は内心心配していたが、娘の顔を見て安心した。その武道を人に教えて生活してゆくのかどうかも気がかりだったので、それを問いただすと、「これを職業にするつもりはありません。ただ、やはり林参先生の住むカイ市に移転したいと思っているのです。農業のお手伝いができなくなって、申しわけがないのですが、弟も来年高校をでますから、ジロウにすべてを頼むつもりでいます」と娘は答えた。
 カズコに婿を取ってどうこうというつもりはなかったから、父は娘の自由に任した。カズコはカイ市のアパ−トに移り、外堀公園のそばの喫茶店Kに就職した。勤めてまもなくして、イチロウが客としてKに来て、カズコの立派な身体と、彼女のきらきらした瞳の輝きに魅了されて、たちまち恋に落ちてしまったというわけである。

21A.深夜
                                      在天神940301/0500
 天井から紐でブラ下げてある私の腕時計がチンと鳴った。外のサイレンも聞こえた。朝の5時である。
 小説をブッ続けに書くわけにはいかない。私はもともと「大説家」であるから、小説の約束に縛られるのはイヤである。気が向いたら、また今までの続きを書くだろう。つまり、書かないかもしれない、と言っているのと同じである。
 だから、そのうちに読者は、小説"カズコとイチロウの物語"などは忘れてしまうかもしれない。それはそれでいいのだ。小説の部分ばかりを拾って読む人が出たって、差し支えはない。私は小説書きのル−ルに嵌まって書いているわけではないし、およそ書物というものの書き方規則というものにも拘束されていない。
 さりとて、読者の理解を拒否しているわけではない。ニ−チェ同様、私は当代随一の日本語散文を操っているし、哲学的頭脳においても、そこらの大学教授にヒケを取るものではない。ただ、私を理解しようとしないのは、その人の自由である。むりに口をこじあけて、給餌するつもりはない。そんなことをしても、まずいものは吐き出すだろうし、無理に食べたら下痢になってしまう。その点、私の作物は劇薬に近い。ま、良薬口に苦し、くらいに言っておこうか。
 著作家の自由というものは、たとえば、ある日の朝から寝るまでに、アクビを19回したというようなことを書いて発表することを許されることである。そういう下らぬことを書くなと命令されたとしたら、つむじを曲げてペンを放り出すような人種に、著作家は帰属する。商売人やホウカン(つまり太鼓持ち)なら、客の言いなりになるだろう。カネのためなら何でもするというのが、この別人種、すなわち99.99・・・%の娑婆人種である。
 右の手にぶつかりそうな位置に、ミニのパナソニックがかたかた音を立てているのが、やはり気になる。うるさいな、このキカイめ!
 さっきの電話で、妙神が言っていたっけ。「先生、生活はどうするのですか?」「ああ、もう投げてしまったよ。神さまにお任せだ。」それ以外に何もないのだから、仕方がない。「大変ですね」と言っていた。そうだね、きっと大変なのだろう。やはり、この辺のことは、もう哲学的論議でなく、小説形式のほうがいいのかもしれない。売れる売れないの問題ではなく、通じさせるための手段としてだ。
 世人に理解を強要しないという意味では、いっさいの手立ては無用となる。それでもいいが、やはり正直いって、私は寂しいのである。だから、世間というノッペラボウに、こうやってラブレタ−を書いているわけ。どうせ、片思いだろう。それでも、愛がこぼれるのだから致し方がない。しかし、どうもカタカタが邪魔になる。まだ、37章を打っている。55章の完結までだいぶある。(大分という漢字を避けているのは、私が大分県人だからだ。「大分人は大分怠けものだ」などと書けるものではない。)

21B.LSDトリップ
                                      在天神940301/2328
 失業4ヵ月目のついたちが来ている。朝8時に寝て、午後2時に起きるという生活パタ−ンが固定しそうである。昨日も今日も、村の酒屋に行って、小さいビ−ル1本と清酒ワンカップ一つを飲むということをやっていたが、どうも頭痛がする。気持ち悪い。やはり、飲めない身体にどんどん変わっているようだ。注意せねばならない。
 やっと『ウツと失業』の原稿整理が終わり、大阪の在神君に発送の手続きがすんだ。これから普通の人の労働8時間を、この本を書いて過ごすわけだ。辛気臭いと言えばシンキ臭い。人生パタ−ンを変えたいが、すぐに変わるものではない。むかし、足立高校の教師の仕事を変えたくてたまらなかったが、転職運動をして武蔵中学に移るまで、けっこう何か月も要した。気が動いても、物理時間の経過が必要だ。しかし、気が動くということは変化が約束されたということである。これも昔、翻訳で食っていたころ、仕事に飽きてやめたくて仕方がなかった。何年か立ったら、乞食に変わっていた。すべてそのようになっている。
 書きかけの小説が気になるが、潜在意識で充分に発酵していないので、放置してある。カズコという娘は林参先生からどんな「気武道」を習ったのだろう。先生はどういう人柄なのだろう。それからもう一人の先生(実用心理学者のイカキ氏)と、林参先生はどのような結びつきをするのだろう。飼い犬ゴロはジロウ君と郵便局に行って、どんな事件を起こすのだろう。皆目、見当がつかない。どうせ絵空事だと思うと、それほど熱心にはなれない。
 ただし、「気武道」はフィクションでなく、事実、私が開発して元三君たちに伝えたものだ。書く材料はいくらでもある。あの武道が偶然に生まれた近江の栗東町の道場では、本当にいろいろのことがあった。比叡山の雪中回峰行をやっていた托鉢僧が、あかぎれの素足に草鞋を履いて、あの家に托鉢に来たので、ご同業のよしみもあって、家に上げて食事と酒を振る舞い、一泊させてあげた記憶もある。元三はたまたま近所を托鉢中だったが、駅で知り合ったという中米の外人を連れて帰ってきた。その大男の顔を見た瞬間、私はこう言った。「あなた、LSDを持っていないかい?」顔に書いてあったのかもわからない。他心通というほど大仰なものではないが、フッと何かが分かった場合に、それを口に出すと的中することはよくある。グアテマラから来た大男は「ありますよ」と言って、薬包み