こを差し出した。
 それはあのころ一緒に住んでいた男女7〜8人に充分の量だったので、「よし、今夜はLSDトリップ・パ−ティ−をやろう」と私は言った。子供たちも数人いたが、子供はトリップから外した。栗東道場には20代の美女が二人いた。一人は妻の織子、もう一人は愛人の一子である。グアテマラはラリってくると、美女たちを意識してそのマラを露出させた。私の子供たちが面白がって、竹の棒をどこかから持って来て、そのマラを代わる代わる叩きに来た。さすがに痛いもので、グアテマラはマラを隠してしまった。ただのグアテになったのだ。最初はみんな壁にもたれて、車座になっていた。LSDが回ってきた天台宗の修行僧は何となく憶病な男だった。私はテ−プレコ−ダ−で故・鶴田浩二の「男」を鳴らし、台所の刺身包丁を持ち出し、剣舞を踊り出した。グアテには、「これからジャパニ−ズのサムライ・ダンスを見せてやるよ」と予告した。そして、座敷をグルグル回っていたが、なぜか坊主のところに来ると、悪さをしたくなる。「こら、お前、パンツを脱げ!」と脱がしてしまって、陽物に包丁の刃を押し当てたりしたので、坊主はガタガタ震えていた。弱い者いじめというより、彼のなかに潜んでいる弱虫根性が歯がゆく、胆力をつけてやろうと思ったにちがいない。
 一子はベ−ビ−ベッドに乗って、鉢植えの花をじっと見ていた。あとで尋ねたら、「いくら見ても見飽きないほど美しかったのです」と告白した。腹が減ると、めしをその場に持ってこさせたが、ラ−メン作りに行ったはずの元三がなかなか戻らないので、私が様子を見にゆくと、台所と座敷のあいだの敷居がまたげなくなって、同じところで両足を交互に何度も踏んでいた。そのままに放っておいた。あとはいろいろさまざまのトリップ風景だった。
 あれは、私にとって生まれて二度目のLSDだった。千葉県我孫子に住んでいたころに何度も服薬した。原子力潜水艦のアメリカ水兵から、カナダ製の純良なのを貰ったので、刑事を恐れた私は、千葉興業銀行の地下室の金庫にそれを隠匿した。ときどき出したが、自宅ではヤバイと思って、仙台まで家族その他の希望者を連れて旅をし、ホテルの密室でトリップをした。横浜の東急ホテルで、T出版のJさんとやったこともある。Jは宇宙が「飛ぶ飛ぶ!」と感激し、私に抱きついて喜んだ。私は最初の感覚の揺れのあとで、深い哲学的意識に入り、神と問答して非常に苦しんだことを覚えている。父親の背中にオンブされた幼児のころの記憶がよみがえって、父の髪の毛の匂いを懐かしく思ったこともあった。当時は新日鉄の翻訳をやっていたから、ホテル代などには困らなかった。
 メ−ヘル・ババその他の大師やグルたちは、LSDは悟りに似た境地に人間を連れてゆくが、あれはまがい物であり、霊的成長に害があるからやめよ、と異口同音に言う。私も栗東以後は全くやっていないが、サイケデリック剤は、自分の潜在意識を掘り下げる助けにはなる。また、医者が賢明に処方すれば、末期癌の患者の死の恐怖を軽くするような効能はあるようである。もう時効と思うから、これを警察が読んでも逮捕には来るまい。来たらどうしようか。忘れましたとでも言うか、あれはみんな小説ですよと言おう。

  1. 形ではないのやで               在天神940302/0100
 LSDは幻覚を起こすが、シラフのわれわれだって、やはり幻覚のなかに生きているのだから、薬剤トリップは二重の幻覚に生きることになる。アルコ−ルと同じことだ。節制というのではなく、自然に私の身体がアルコ−ルを受け付けなくなって来ているというのは、マ−ヤ−(幻妄)の世界に飽き飽きしているからだろう。今やっている貧乏暮らしもそのような幻の一つである。何かの弾みで、もし私が億万長者になっても、それは新手の幻であり、何の差別もない。どんな生活条件でも脱幻(ダツゲン)修行はできるが、富には人を迷わす作用が強烈にある。貧乏のほうがやはり恵まれている。少なくとも、貧乏人は高ぶらない。謙虚にならざるをえない。乞食をやったり牢屋に入れられれば、だれでも或る程度エゴの天狗鼻をへし折られる。皇太子や財閥の長男坊に生まれたら、これは大変だ。釈尊ほどの強い求道心がないかぎり、とても解脱などできるものではない。
 私は苦労をしたが、それでもエゴの残滓(ザンシ)があって、まだまだ窮屈だ。このあいだ、天理教の先生が来たときもそうだった。例によって、テ−プレコ−ダ−を回すように決まり切った「おやさま」の話をやり始めた。それが彼の職業なのだから、くたびれるまで話させておけばいいのに、私の内心は、「また始まった。記憶から出て来る話は人の感動を呼ばないのに、どうしていつまでも、ああいう所に安住しているのかなあ」と甚だ不服だった。昔の私だったら、「センセイ、もういい加減にしてくださいよ」くらいのことを言って、断絶したかもしれないが、今はそこまで行かない。しかし、腹のなかではNOと言っているのだから、結局は同じことだ。機械が話しているにしても、天理教祖の尊い物語がまた聞けたと思って喜ぶほうがよほどいいのだが、そこまでいかない。相手の天理教教師への人間批判が出て来てしまう。弱ったね、まったく!
 「親様」は大徳寺昭輝さんを通じ、芹沢光治良先生に語りかけた。その体験を題材として、作家・セリザワは高齢にも拘らず、あれだけの冊数の書物を著して世を去った。天理教組織からは破門され忌避されたが、あの二人は立派な活動をした。とくに、大徳寺昭輝さんはまだ若いので、今後の活動が期待される。私が大徳寺さんに会いにゆくと、いつも彼を社(やしろ)として、親様が私に著述の心がけを諄々と説いてくださる。少しも自己紹介をしないで伺った最初の日からそうだった。「あんたはんにはときどき筆を持たすことがあるで、しっかりお書きや。形ではないで、心をお書き」と言われた。「形」とは何かと、そのご何度も考えたものである。結局、理論や理屈や論理や思想はみな「形」なのだなと合点した。親様のいう「こころ」というのは、そういう外部衣装の内部に秘められた「曰く言いがたし」の何かであろう。だから、私はこのような無法な本を書き続けている。言説を超えた幽玄な何かが「こころ」である。それを表現するには、論理的辻褄が合おうと合うまいと、そんなことはどうでもいい。また、悪趣味や犯罪的なことであっても、臆面もなく出したってよい。すべて、それらは「形」にしかすぎないのだから。

  1. 犬が噛まれた                 在天神940302/1710
 突然、電話が鳴った。イカキ先生が取った。
 「はい。エッ、ゴロが噛まれた! どこの犬だい? え、違うのか。・・・ふうむ、まあいいだろう。そうそう、そのようにしてくれたまえ。では。」
 相手はイチロウだと見当はついたが、カズコは先生の話を聞いて、本当にびっくりした。 「ゴロちゃんが人間に噛まれるなんて、可哀相! どんなキチガイなんでしょう!」
 「その人を連れてくるというから、顔を見てから判断しようよ。何でも、その男が郵便局で突然ゴロの尻尾を噛んだらしいのだ。ゴロはキャンと言って、脅えっぱなしだと言っていた。」
無より