かち合ってしまったということらしい。カズコが二人を迎えに出たとき、男たちは間違えて「奥さん」と呼びかけたので、彼女は慌てて打ち消した。「わたくしも一週間の講習を受ける者なのです。」「えっ、あなたが?」と二人は顔を見合わせた。
 一人は髭だらけの、いかにも武道が好きらしいむくつけき30男で、カズコは思わず「オニクマさん」と密かにあだ名をつけてしまった。もう一人は少しくたびれた感じの40男で、首あたりの肥り加減がカバを連想させたので、それもカズコ用の仇名となった。以下はその仇名で話を進める。
 林参先生は、3人を前に座らせて、一週間講習の予定を話し出したが、それは予定がないという予定であって、要するに、「あなたがたの気をよく見て、それに応じて"場"が展開してゆくでしょう」ということに尽き、入門案内書と同じように雲を掴むような話だった。就寝時刻の定めがないということで、4人は深夜まであれこれと話し合った。
 布団は先に敷いてあったので、誰でも眠くなれば勝手に眠ればいいことになっていた。 カバはいける口らしく、林参先生と同年輩ということもあり、やけに意気投合したという風であって、盛んに酒の応酬をやっていたが、カバのほうはすぐにダウンしてしまい、先生とオニクマが寝床に抱えてゆくような始末だった。
 カズコは、わりに夜型だったし、男たちの正体を見極めるまでは、眠りに就かない覚悟をしていた。30を過ぎたばかりというオニクマは、適齢期の健康美人カズコに強く惹かれるらしく、何かと質問をした。
 「カズコさんはなぜ武道なんかに関心があるんですか?」
 「地方新聞の案内欄で"気武道"のことを知って、なぜ"気"という字がついているのかと気になっていたのです。わたくしは別に強くなりたいとか、護身術を身につけるとか、そんなことではなかったのです。実は、前々から気功に関心があって、太極拳などはやっていましたが、外気功というか、自分の気を外に出すことを体験したかったので、家のある麻績村から先生に電話したのです。」
 「そうしたら?」と、オニクマは興味津々の様子である。
 「先生にズバリ伺ったのです。"気で相手を倒したりするのですか?"と尋ねたら、先生は"うん、そういうこともあるよ"と答えられました。」
 「本当ですか?」と、林参先生のほうに向き返った。
 「たとえば、君が煉瓦の上に立っているとするだろう。そのとき、君の目を狙って白い鳥が飛んで来たら、どうする?」
 「よけるでしょうね。」
 「足がぐらついたら?」
 「転ぶかもしれません。」
 「だろう?」
 少し考えてから、オニクマは言った。「先生、それは何だかインチキみたいですよ。それは偶然であって、別に気功ではないと思います。」
 「わたしは、初めからこの"気武道"が気功だとは言っていないよ。」
 「そりゃそうですが・・・」
 その途端、何か白いはためくものがオニクマの目を襲った。彼は慌てて顔を伏せて、膝の前の土瓶を引っ繰り返してしまった。カズコがすぐ雑巾を取りに台所に立った。
 戻ってみると、先生が笑っていた。
 「ハンカチ一枚でそんな騒ぎになるとは可笑しい話だな。なぜ、そんな大げさな反応をしたんだい?」
 「だって、俺は本当に鳥が来たと思ったのですよ」と、まだ息を弾ませていた。
 「鳥の話から君の意識が離れていなかったから、そういう錯覚が起きるのだよ。もし、もう一度、わたしが同じことをしたって、君はビクリともしないだろうよ。」
 「先生、やはり気功ではないようですね」とカズコも言った。「どっちかと言うと、人の心理を操っているみたいだわ。」
 「まあね。しかし、今のハンカチの飛ばし方には一つ呼吸があるんだ。」
 「呼吸と言いますと?」オニクマは傾聴した。
 「文字通り呼吸さ。君が息を吐き切ったときに、"虚"が出来るだろう。そのとき、アタックするのだよ。」
 それから、先生はカズコに、オニクマと対座するように命じた。自分は立って、オニクマの背後に回り、手拭いで目隠しをしてやった。
 「さあ、両手を出したまえ。これから、カズコさんが林檎を一つ君の手の上に放るから、黙って受けたまえ。危ないことはない。」
 林参先生はかたわらのリンゴをカズコに渡し、「よく観察して空気を吐き切ったときに、そっと投げなさい」と耳元でささやいた。カズコはその通りにした。予想以上に、オニクマは慌ててそれを掴んだ。「今度は相手が空気を吸い切ったときに、投げてみなさい」と二度目の囁きだった。その通りにしたら、オニクマは平然と林檎を受け止めた。

27.実と虚
                                       在天神940302/2236
 道場の場から3ヵ月あとのイカキ先生の邸の場では、イチロウの恋愛観から始まって、ひとしきり恋愛論に花が咲いていた。半白のイカキ先生までも、若い頃を思い出して、いろいろ回想談を始めていた。
 「今まで誰にも話したことはないけれども、僕が心理学に興味を持ったのは大学生のころでした。そのころ、女性の心理がどうしても掴めなくて、悩んでいたのです。」
 「恋愛でもしていたのですか?」とイチロウ。
 「そうです。男同士ならこうも考え、こうも感じるだろうかという予想を、彼女は全部引っ繰り返すのでした。それで、僕は家に帰って母に悩みを打ち明けました。」
 「すると?」と、今度はカズコが促した。
 「母は笑っていました。暫くして、こう言いました。"男と女って、一生お互いのことは分からないものなのよ。分かったと思うのは、みな錯覚よ。あなただって、このお母さ
無より