無より
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 「気武道」道場の二日目は、朝から雨だった。起床はカズコ、林参先生(これを実名として、エドガ−・ケイシ−の紹介をしている若い先生もいるが、同名異人である。この小説の人はリンサンと発音する)、オニクマ、カバの順で、ちょうど就寝順の逆だったのも面白い。カズコは父や弟のためにそうしていたように、早くから4人分のご飯を炊き、味噌汁の用意もし、汁は味噌を入れるばかりにしておいて、また自分の個室に入って、先生の机で日記を書いていた。ふと気がつくと、音もなく起きて来た先生が彼女の後ろに立って、日記帳を見下ろしていた。「あら!」
 「何だね、そのカバとかオニクマとか言うのは?」
 見られてしまったから仕方がない。カズコはその仇名の説明をしたら、先生は喜んで笑った。「よし、それじゃ今日からその名前で呼ぶことにしよう。」そう言うと、先生は早速、「おおい、オニクマ君、起きろよ」と声をかけた。オニクマは寝ぼけながらも起きてきた。「オニクマ君、きみはカバさんを起こしてくるのだ。」
 よほど眠かったらしく、カバは他の三人が食膳に就いたころ、やっと起きてきた。
 「すみません、どうも。昨夜飲みすぎたようで、二日酔いです。頭が痛くて。」
 「めしは食うかね?」と先生は聞いた。
 「いや、やめときます。眠気散じに、座敷の掃除をやってきます。」オニクマは弁当の仕出し屋に勤めていたということだったが、身体が大儀で気分が勝れないので、思い切って辞職願いを出し、退職金を持ってこの道場に来たと話した。「気武道」のことを人から聞いて、その男が失恋の痛手から解放され、やっと元気になったという体験談を聞き、自分もその「気武道」をやったら心身が蘇るかと思って、冒険的にこのカイ市にやってきたということだった。
 先生は、「君は美味いものを食いすぎているよ。うちの麦飯を少量食べて、体重をどんどん減らすのだな。」
 「はい」と殊勝である。結婚に縁がなく、この歳で独身だと恥ずかしげに告白した。「結婚はあきらめています。風采は悪いし、頭は悪いで、いいことありません。」
 オニクマはそのモシャモシャ髭にもかかわらず、女にモテるという話をした。「でも、もう飽きてしまって、まじめになりたいのです」と、なぜかカズコの横顔を見た。カズコは生理的に髭づらは好きでない。知らん顔をしていた。
 先生は朝の講義だと言って、変わった話を始めた。
 「今日は月曜日だから、お月さんの話をしよう。わたしは関東の出身だが、子供のときに一度、お月見の団子を泥棒したことがある。わたしの家のそばに老人夫婦だけが住む大きな邸宅があって、近ごろは廃れているけれど、中秋の名月というような晩に、白木の台を庭に出して、そこに野菜で作った動物のようなものやお団子を並べて、そこの奥さんはお琴を弾くのだ。わたしは塀の隙間からその様子を見ていて、あのお団子はお月さまに供えたものらしいが、わたしがお月さまに成り代わって、ちょっと失敬してやろうと思った。それで、老夫婦が寝静まるのを待って、塀のあいだから旨くもぐり込んで、そのお団子を掻っ払ったんだ。」
 「悪いじゃないですか」とオニクマ。
 「いや、そうじゃない。それから何日か経って、わたしがその邸の門前で友達と遊んでいたら、その老夫婦が散歩か何かで出てきた。わたしは後ろ暗いもので、友達の背中のうしろにそっと隠れていた。すると、5〜6歩先からお婆さんだけが戻ってきて、こう言ったよ。"ねえ、そこのお月さま。お団子はおいしかったかい? 食べてくれてありがとうよ"というわけだ。どうしてバレたか、さっぱり分からなかったが、ついゴメンナサイと言ってしまった。すると、お婆さんは"いいんだよ、いいんだよ。来年もお月さま、お願いね"と言うと、お爺さんのあとを追いかけて行ってしまった。」
 「珍しい話ですなあ」
  と、カバが言った。
 「いや、そうでもないのだ。あとで、母親に聞いたら、昔は子供たちが月見団子を盗むのは公然の秘密で、大人たちは喜んで許していた、と話してくれた。つまり、泥棒はいけないよと叱ってばかりいると、子供がいじけるから、ああいうやり方で盗みの衝動を解放してやる大人の知恵があったということらしいな。」
 「こうしたらいけない、ああしたら駄目よ、だけでは、やはり子供にいけないのでしょうか?」と、カズコは質問をした。
 「そうだ、禁止というやつは、道徳を守らせる早道だが、その分だけストレスが子供心に溜まってくる。それで、思春期に入ってから親と衝突するようなことがあると、突然、非行に走ったり、家庭内暴力をやらかしたりするのだよ。教育者の子供に不良が多いということも、聞いたことがあるだろう?」
 カズコはなるほどと思った。彼女の死んだ母も、娘を厳しく拘束することはしなかったし、父親も同じだった。それでも、彼女は性的にふしだらなことは何もしなかったし、人は信じてくれないが、22歳のこの齢まで処女を通してきた。何となく父親を悲しませたくないという気持ちで、男友達に深入りをしなかったのである。恋愛小説やベッドシ−ンのある映画などは本能的に避けていたし、その代わりに中国の古典などを読んでいた。そんなことから気功に興味を持つようになったのだ。

29.気踊り
                                      在天神940303/0146
 祈りと瞑想をしたが、また目が冴えて起きてきて、ここまで書いた。もうお雛祭りの三日となっている。私が小学校一年生のころ、悦ちゃんという色白の可愛いガ−ルフレンドがいて、雛祭りに私を招待してくれたことがある。夢見心地にぼんぼりが灯って、紅白の重ね餅が飾ってあり、奇麗なお雛様と、嬉しそうに晴れ着を着ている悦ちゃんを眺めているうちに、何ととも言えないいい気持ちになったのを覚えている。悦ちゃんは、杉並第五小学校のそばに住んでいた私を毎朝、誘いに来てくれた。「ジュウビシさん、行きましょう。」私は喜んで彼女と登校していたが、そのうち、悪童どもから、「やあい、やあい、男と女のまあめいり!」と冷やかされて、悦ちゃんの朝の誘いを断わるようになった。「まあめいり」がフライパンなどで「豆を煎る」ことだと知ったのは、だいぶあとだった。その意味はまだ完全には分かっていない。豆を煎るとパチパチ爆ぜるのと、男女交際とどういう関係があるのだろう。熱くなって踊り出すからだろうか。
 私が大学を出て高校の教師になったころ、恋仲の、そして不倫の音楽教師と連れ立って退勤しようとすると、年配のこれも女の体育教師が、「今夜は雨か風よ」と私たちをひやかした。あれもよく分からない。中国の故事か何かを踏んまえた言葉なのだろうか。

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 その月曜日。月に関するいろいろの話があった。満月の日には霊的な活性が増すとか、人の臨終に月の満ち干が関係するとか、月経という言葉の由来とかいろいろあった。カズコは先生って本当に博学なのだなあ、とすっかり感心してしまった。
 10時になると、先生は「それでは気踊りをやろう。これが"気武道"の根本だから」と言った。座敷を片付け、カズコはイ−ジ−リスニングのテ−プのなかから、一曲選ぶように命じられた。カラベリの「恋のアランフエス」を選んだ。曲が流れ出すと、先生はカズコに