無より
「まず、君とだ」と言って、座敷の中央に立った。カズコはすこし悪びれて言った。
 「先生、わたくし、学校でフォ−クダンスをやったくらいのもので、社交ダンスは全然知らないのです。」
 「いや、これは社交ダンスとは違う。型もステップもないのだよ。わたしに合わせて身体を動かせばそれでいいのだ。」
 「ゴ−ゴ−ですか?」と、座っていたオニクマが聞いた。
 「いや、そうではない。ゴ−ゴ−だって、型が何となくあるではないか。」
 曲は哀愁を帯びた、ゆっくりとしたメロディ−だった。ギタ−の爪弾きが何とも言えない。先生はゆっくり身体を動かして、まずカズコの右手を自分の左手に取り、そのまま踊り出した。リ−ドするという意識もあまりないようである。カズコは仕方なしに、先生の手が引っ張る方向に身体を任せて行った。先生は、決して強くは引かなかった。カズコが軽く抵抗したり、ためらうと、先生は力をゆるめて、彼女の動きが出てくるのを待っている様子だった。ときどきはその手を放して、自分の好きなように踊っていた。何気なく手が触れると、またカズコを導いてくれるようだ。そのうち、何となく無心になって、先生の動きについて行けるようになった。すると、「そう、そこそこ」と言って、先生はカズコの残る左手も取った。だんだん複雑で微妙な身体のこなしになってくる。先生が腕をヒョイと挙げてくれると、何となく回転したくなって自分で回ると、先生もそれに合わせてくれる。そのうち、どちらがリ−ドしているのかも分からなくなり、カズコはだんだん恍惚としてきた。やがて、夢のように「アランフエス」は終わってしまった。
 「素質があるね。君は進歩が早いよ」と褒めてくれた。
 二曲目はモ−ツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジ−ク」だった。お相手はオニクマとなった。これもゆっくりした曲だが、先生は心持ち速く踊るように見えた。遊び慣れていたオニクマは器用に先生のリ−ドについて行った。この曲は区切りのはっきりしたメロディ−とリズムを持っている。先生はメリハリの利いた身の動かし方をして、やがて旋風のように回り出した。オニクマは敏捷なほうに見えたが、とうとうついて行けなくなり、モタモタし出した。そのとき、ト−ンと音がして、オニクマの身体が宙に浮いて、畳の上に飛んだ。カズコは目を見張った。どうしたのかしら?
 先生は呼吸も乱さず、ニコニコしている。「痛かったかい?」「そんなでもありません。高校のとき柔道をやりましたから、受け身くらいできます。」
 「どうして、君の身体が飛んだか、わかる?」
 「はい、逆を取られたからです。」
 「いや、違うね。君が勝手に逆の姿勢になったのだよ。わたしは意識して逆を取っていないよ。もう一度やってみよう。」
 オニクマは今度はよくよく用心して、先生とともに踊り出した。ところが、ある所まで行くと、勝手に身体が飛んで行ってしまう。「ヘンだなあ」と、オニクマは首を傾げた。 「ヘンではないよ。君は意識を使い過ぎるのだ。どうこうしようと思うから、身体が気についてゆけなくなる。もっとも、わたしがゆっくり身体を動かしても、同じになるがね。」
 今度は、スロ−モ−ションみたいに、先生はゆったり踊り出した。しかし、ある一瞬を捕らえて、先生がシャ−プに腕を引いたり、脚を旋回したりすると、オニクマの巨体が軽々と飛んでしまうのだ。オニクマは盛んに首をひねっている。
 三曲目は「剣の舞」だった。これは物凄く速い曲だ。先生は、カバに立つように言って、オニクマと踊らせ、自分はオニクマに付き添うようにして、勘所を教えていた。オニクマの飲み込みは早かった。カバの鈍重な肥満体は絶えず宙を舞って、踊りどころの騒ぎではない。もともと、カバは音楽などに縁のあるタイプではなかったから、曲を楽しむどころか、オニクマに投げられないように身体を固くして、警戒ばかりするので、身体がますます強張って、手ひどく投げられる。いや、自分で勝手に大回転をしてしまう。そのうち、たまりかねたか、悲鳴を上げて、「今日はもうこれで勘弁してくださいッ!」と叫んだ。

30.三日目/火曜日
                                     在天神940303/03110
 寅の刻に入っている(小説ではなく、私のリアルタイムが)。目は垂れそうだが、気は覚めている。指が動かなくなるまで、書いてゆこうか。私は栗東町の道場を思い出している。二番目の正妻のオリコの弟で義彦という男がいた。頃は、昭和47年のネズミ歳である。今から22年前だから、牧野元三はまだ20歳で、大学を中退しようとしていた。義彦は何歳か年上だったが、この小説のカバにどこか似ている。空手をやったことがあると言っていたが、身体が固く、気踊りで元三にポンポン投げられていた。早稲田を出たばかりの一子がいた。この小説のカズコのモデルであるが、本物は別に農家の出ではない。中国の文化に興味を持っていたわけでもない。やはり小説の人物とモデルは違う。ただ、現実は小説以上に奇であり、小説に表現できるものは現実のほんの一部にしかすぎない。大衆に分かりやすく表現するためには、どうしても枝葉を取って簡略にせねばならない。完全に現実そのものを体験したいというのであれば、私に入門して、もう一度"気武道"の場を展開せねばならない。ところが、元三みたいな人材がいま私の周囲にいない。大阪に30歳になったかならぬかの青年・如神がその候補だが、まだ数年待たねばならない。彼は今のところ、少林寺拳法を修行している。そのあとで植芝合気を初段までやらせて、それから"気武道"を仕込もうと思っている。他の武道をやると癖がつくが、他流との優劣の判断はつくようになるだろう。別に焦ることはない。

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 三日目は嘘のように空が晴れ上がった。コブシが咲く早春の暖かい日だった。林参先生は、「今日はピクニックだよ」と言って、カズコを中心にお弁当を作らせた。先生が去年の夏、庭で作ったという瓢箪にお酒を入れて、それを男三人が腰にぶら下げて、楽しく出発した。道々、火曜日だというので、「火」の講話があった。
 「火の車って何だね、カバさん?」
 「何でしょうかねえ。サ−カスのライオンが真ん中を飛びぬけるあの輪っかのことですか、回りに火が燃えている・・・」
 「ほう、それは面白いね。君は憶病だが、ライオンの真似はできるかい?」
 「いや、やめますよ。」
 「無理に飛べと、調教師に鞭を振るわれたら?」
 「その男を食い殺します。」
 カズコは噴き出した。「勇気があるのか、ないんだか。」
 「人間を食ったら、その場で銃殺だぞ」と、オニクマが脅かした。
 「それじゃ猫になりますよ。」
 「カバネコか」と先生も笑った。「火の車というのは、元来地獄の責め道具なんだ。悪い亡者がそれで苦しめられるのだよ。」
 「地獄ってあるんですか?」オニクマが小学生みたいな質問をした。