無より
 「さようでございます。よくご存じでいらっしゃいますね」と、マダムは微笑した。
 「わたしが東京にいたころ、知り合いに学習院を出た名門の奥様がいましたよ。」先生の付かぬ話がまた始まったと、カズコは可笑しかった。「その若奥様がね、わたしの所に電話をくれるときは面白いんだ。終わりに、かならず"ご機嫌よろしゅう"と言うんだよ」と思い出し笑いをした。「初めてのときは、ほんとに驚いたよ。いろんな挨拶があるものだなあと。マダムもそういう言い方をするの?」
 「まさか、私はそんな名門の出ではありませんもの。女中の出でございます」と、朗らかに笑った。先生の注文が始まった。
 「ええと、わたしから言おう。まず、ロゼ。あとは野菜ばかりでいいよ。サ−モンがあったらちょっと添えて。カズコさんは?」
 カズコはフランス語のメニュ−を先生に読んでもらって、魚を中心に選んだ。イチロウは「僕は断然ビ−フ」と言った。
 [大説部分→小説はやたら行数が進む。これで、400字詰め一枚5000円も貰ったら、すぐ蔵が立つわい。(こんな古い言い方はもう廃れたか。)]
 「先生はよく一人で何か口ずさんでいたり、独り言をいってらっしゃるが、回りに人が聞いているのが気にならないのですか?」と、イチロウが訊いた。
 「耳障りかな?」
 「いいえ、そうではありませんが、僕にはそういうことがないから。」
 「自分の耳に聞かせているだけだよ。誰かが話し出すまでの時間ふさぎかな。」
 「先生」と、思い余ったように、「やはり、カズコさんとご結婚なさるのですか?」
 「うん、今日は彼女の返事を聞く日だったのだよ。」
 「はあ、そういうことになっていたのですか!」と、カズコの顔を見た。
 「そうなの」とイチロウに答えておいて、今度は先生に、「お答えはイエスです。」
 「ほう、それは嬉しいな。」ロゼを持って来たマダムに、「今夜は婚約記念日だ。このお嬢さんに、白い葡萄酒を持ってきてください。」
 「あら、おめでとうございます」と、マダムはイチロウに向かってお辞儀をした。
 「ち、ちがうんです。先生とです。」
 「え、あらまあ、これは失礼しました」と、マダムは穴のあくほど、先生の顔を見つめた。
 「わたしの相手だったら、むしろ、あなたご自身のほうが似合いだと思ったのでしょう。」
 マダムは「まあ」と言ったきり、赤面して走り去った。
 「先生は人の心が読めるのですか?」とイチロウ。
 「ああ、こちらの心に映るからね。」
 食事がほぼ終わったところで、先生は、
 「カズコさん、今夜はこれからどうするんだい?」 
 「わたくしの車で先生をお届けします。」
 「カバさんがいるよ。」
 「あら、まだいらっしゃるの? なつかしいわ。カバさんにも会いたい。」
 イチロウはもう質問もなくて、先に辞去した。レストランの支払いはきちんとした。
 "気武道"の道場は、案外に奇麗に片付いていた。カバは意外と器用なところがあるらしく、部屋のあちこちの使いやすい場所に棚などを取りつけてあり、男所帯ながら整頓されていた。カバは町の工務店に通って鉛管工と大工の仕事をしているということだった。二人が連れ立って帰ってきたので、カバはすべてを察知して、お茶を飲みながらこう言った。
 「こういうこともあろうと思って、実は、もう僕の転居先のアパ−トも決めてあるんですよ。カズコさん、よかったら明日にでもこの道場にいらしてください。あすは朝から片付けておきますから。」
 「それはどうも、有り難うございます。」

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 このようにして、45歳の新郎と22歳の新婦の新婚生活が始まったのだが、この先どうなるのか、小説を書き進めるのかどうか、私にも分からない。小説はキリがない。書こうと思えば、どこまでも書ける。やめようと思えば、今でもやめられる。やめたほうがいいのかもしれない。

38.大小説
                                       在天神940304/2309
 大説の世界は、この私の実人生である。しかし、私以外の人間にとって、私の人生など一つの幻にしかすぎないだろう。そして、私自身にとってさえ、私の人生はやはり一場の夢である。過去のほとんどは忘却の彼方に去って、いったいそれが現実に存在したかどうかも定かでない。5年前の5月5日に私が何をしていたかなど、とても思い出せない。誰か記憶のいい人がいて、種々物語ってくれたにしても、その全部を私が覚えている保証はない。過去の長い夢の上に、現在というもう一つの夢が乗っかっていて、そのまた上に未来という夢が重なるらしいが、実感としては人生のすべてが夢のようであって、とりとめがなく、掴みようがない。浮世の波の上の一つの泡だ。

 0305/1343になって、「大だの小だのと言っているうちは駄目なんだ」という声が聞こえた。崖っぷちから菜の花を沢山取ってきて、「これを塩漬けに」と言おうと思ったら、愉美子は土曜日朝の早起きで、給食のない中・小学生3人に家庭弁当コンク−ル用のお弁当を作ったために、もう昼寝に入っていた。そこへ魂の声が聞こえた。
 ならば、この本は「大小説」なのかと合点して、次のように始める。

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 その年(どの年か)、梅雨が明けた7月、そろそろセミの鳴き声が活気を増し始めたころ、イカキ先生の屋敷がある高台までの坂道を登ってゆく、とある外人がいた。(今の小・中・高校生はガイジンという差別語を使わず、ガイコクジンと言えと教えられているが、バカみたいな話だ。女中をやめてお手伝いさんからホ−ム・ヘルパ−にまで変身したが、内容はますます悪くなった。江戸時代の白首が今の別府にもいるが、何と呼んだらいいのか。ストリ−トガ−ルかスタンディング・ガ−ルかな−−注。)
 そのトアルは、前もって電話も掛けずに来たらしく、めざす屋敷の呼び鈴を一所懸命(一生懸命が間違いだと説いたのは谷口雅春−−注)押していたが、諦めてその辺に座り込んでしまった。そこへ、一人の青年がバイクで駆け登ってきて、英語で話しかけた。
 "What can I do for you?"
 "Oh,you are my godsend!"
 シチ面倒臭い英語を、敢えて平たく訳すならば、
 青年。「なにかお役に立てることでもあれば。」 
 外人.「おお、神の恵みか、君の現われたることは!」
 青。「どういうご用ですか?」
 外。「ここのイカキ先生を訪問に来たのでありまするが、あやにくご不在で、困じ果て    ておりますのじゃ。」