無より
 青:「僕は電気屋で、先生のステレオを修理するように頼まれて、ここに参りました。」
 外:「して、キ−は?」
 青:「先生から預かって参りました。とりあえず、一緒に入りましょう。」
 外:「それは痛み入る。」
 その外人はカナダから来たということで、なるほど、着ているシャツの胸には赤いモミジの葉っぱが輝いていた。青年がステレオを修理しているあいだ、ガイジンはイカキ先生の大きな屋敷の天井を見ていた。高い所に空気抜けの窓もあって、何百年かの煤をかぶった逞しい梁や真柱は黒光りしている。カナダ人はワンダフルの連発である。修繕はわりに早く終わって、青年はカナダ人に語りかけた。
 青:"My name is UQ.You are very welcome here,sir."
 これも平たくして、自己紹介でUQと名乗ったら、ガイジンさん、面食らって、スペルはどんなのかと聞き直したのである。
 UQ:「アルファベットのUとQです。」
 カナ:「日本人では珍しいですのう。」
 UQ:「漢字もありますが、外人さんにはいつもそう説明しているのです。失礼ですが、お名前を伺えますか?」
 カナ:「OSHINと言いますのじゃ。」
 UQ:「それでは、心当たりに電話をいたしますので。どなたのご紹介と言ったらいいでしょうか?」
 オ−シン:「リンサン・シェンシェイと言うてくだしゃい。」
 オ−シンには、どことなく九州訛がある。UQはカントリ−クラブに電話をして、イカキ先生を掴まえ、先生から、すぐ帰るから、おもてなし頼むと頼まれた。その旨を言って、部屋のク−ラ−を入れ、冷蔵庫から7upを取り出して、オ−シンの前に置いた。
 「これはとてもありがとう。そろそろ、エイゴをつかうのやめたいとおもいま−す。そうせんと、えいきゅうにニホンゴうま−くなりまっしぇん」と、のたもうた。
 あとは英語交じりの日本語になるが、なるべく分かりやすく転記する。
 「それにしても、このおうちスゴカですたい。もっともニュ−なエレクトロニックスのキカイと、でんとうてきなジャパンけんちくといろいろブレンド、すごいわいねえ!」
 「はい。でもここの先生は機械が苦手で、ちょっとした故障でも僕をお呼びになります。商売のほうでもいいお得意さまですが、心理学のほうでもお世話になっております。」
 「シンリガク、それ何ですか?」
 「サイコロジ−です。それも実生活に役立つものです。」
 「おお、プラクティカル・サイコロジ−なのね!」
 「それが分かれば,商売も恋愛も真理探求も自由自在ということです。」
 難解な日本語が並んだので、オ−シンは目を白黒させて、また英語に戻ったりした。
 やがて、イカキ屋敷に紫のニュ−アスコットが登ってきた。ホンダの車である。UQは迎えに出て、イカキ先生と、先生をドライブしてきた30代の清楚な女性を連れて、戻ってきた。
 イカキ先生は会話はうまくないが、大学出だからヴォキャブラリ−は豊富だった。筆談を交えて、オ−シンと充分にコミュ−ニケ−トできた。その骨子を箇条書きにしよう。

 1.オ−シンはカナダから来た大学教授で、日本の田舎を回って、シャ−マニズムの研究をしていること。
 2.志摩半島の二見が浦の東にある答志島(トウシじま)の或るシャ−マンを訪ねたとき、鳥羽市のホテルで、新婚旅行中の林参先生とレストランで昵懇になったこと。
 3.そのとき、シャ−マニズムの研究には、心理学が必要であるから、日本アルプスの麓にあるカイ市のイカキ先生に会うように勧められたこと。
 4.これから下北半島の恐山(おそれザン)に取材に行きたいのだが、日本人の心理学者として、イカキ先生のご同行とご助言が頂ければ、幸甚であり、取材費は充分に用意してある故、お礼も充分に差し上げたいこと。

39.悠久の大義
                                       在天神940305/1447
 イカキ先生が快諾すると、「サンキュウ、サンキュウ」と、オ−シン博士は大喜びだった。オ−シンは哲学博士で、カナダの首都オタワの有名大学の宗教学教授だった。すこし古風な英語を使うが、これは博士の趣味で、シェ−クスピアの読みすぎもあるということだった。
 イカキ先生は言った。「そういうことであれば、ここにおられるミス・パクに秘書役をお願いしたら、どうでしょうか。録音や写真やビデオやワ−プロや、何でもおできになる才媛です。」
 「そんな・・・」と恥じらいながら、彼女も承諾した。今は平成不況で寂れたゴルフ場の令嬢であり、大学を出たばかりで今は暇ということだった。それから、流暢な英語でオ−シン博士を相手に、取材の方法について、難しいことを話し出した。脇から観察していたUQ青年は、思わずため息をして、
 「羨ましいなあ! 僕も電機関係ならお手伝いできるのですが、あいにく英語があまり上手くないからなあ・・・」
 「構わないじゃないですか。もし、行きたいなら、君の将来のためにもなるし、僕からお店のご主人によく話してあげるよ。君はもともと、北米の大学に行って電子工学を勉強したいと言っていたではないですか」と、イカキ先生は乗り気だった。
 「そのお方・・・パクさんが助けてくれたら、喜んでお供します。」UQは決心した。 ミス・パクの通訳で、その場の成り行きを知って、博士はたいへん喜んだ。
 「それはタタマスマスベンズで−す。人数、多いほうがいいのです。いろいろ役者が要ります。イタコさんに会うときは、やはりムスコさんみたいな人が愛されていいで−す。エイゴ? この人、とてもうまいよ。」
 それから、「いたこ」という、多くは盲である東北の巫女の話に花が咲いたが、イカキ先生の説明では、今は恐山も寂れて、山の麓にホテルもだいぶ出来、観光客の部屋にイタコを呼ぶというような、一種のサ−ビス産業に変わっており、本物のイタコは非常に少なくなっているとのことだった。
 「恐山はカルデラのある火山で、たしか標高879メ−トルです。"ハナク"と覚えたのですがね・・・」
 「なんですか,そのハナクというのは?」とUQが尋ねた。
 「ハナ肇ってかた、ご存じ? ええ、亡くなった人です。ハナは始めという意味ですね。最初は "苦"だが、あとで救われて楽になるという意味の連想記憶術ですよ。」
 ミス・パクは、まごついている生真面目なUQ青年を見て、笑いを抑えるのに懸命だった。彼女は大学で秘書学を修め、同時通訳の資格を持ち、国際会議によく呼ばれるという文字通りの才媛だった。それでなくても、韓国人は日本人より会話は上手いものだ。
 "What does UQ stand for? What is the Kanji for it?"と、オ−シン博士はミス・パクに尋ねた。
 「UQの漢字をお聞きになっていますが。」