無より
 「ああそれ、悠久の大義のユウキュウなのです。僕の祖父が名付け親なので、古い漢語を使ったようです。」
 「ああ、君のお祖父さんのご命名だったの。うん、僕は敗戦のときに、まだ6歳だったけれど、父からその言葉を聞いたような記憶がうっすらとするよ。」イカキ先生は遠くを見るような目付きになった。「母は松本の空襲で死にました。・・・」
 ミス・パクは小声で、常に同時通訳をしてくれたので、オ−シン博士は場の進行をはっきり掴めていた。
 「ごめんなさい。連合国が悪いことをして。」ミス・パクは奇麗な標準語で訳してくれる。
 「いいえ、カナダが原爆を作ったのではありませんから」と先生。
 「いや、やはり他の国々もOKしたのだから、同罪です。」
 「しかし、あれは神の鞭でした。もし、日本の軍閥政府がアメリカに勝ったりしたら、世界は大変なことになったでしょう。ああいうことは、神さまがお許しになりません。」 「エカキ先生、いや、イ−カキ先生。あなたは神を信じてお出でですか?」
 「はい。禅をすこし齧ったくらいですが、宗教心はあるつもりです。」
 「おお、ゼン! 素晴らしいですね。でも、禅は神を言わないのではありませんか?」 「そうです。悟りには神も仏も消えて、人間そのままが神仏と同じ働きをします。」
 「ほう、ワンダフル! 神さまとの融合ですね。私はニルヴァ−ナを虚無と思っていましたよ。」
 ミス・パクは訳語に困っていたが、イカキ先生はうまくそれを受けて、「日本では涅槃というのですが、悟りの境地はただのナッシングでなく、何といいましょうか、"実空"とでもいうものです。」
 さすがのミス・パクも難渋していた。悠久はそれを見て同情したが、どうすることもできなかった。悠久は工業高専出身で21歳、ミス・パクは23歳になっていた。

40.獣姦
                                        在天神940305/1617
 あとで分かったが、オ−シン博士は58歳で、イカキ先生より三つ上だった。世代的にも話が合うようで、二人の先生のあいだに、ひとしきり宗教談が弾んだ。専門違いでも、明敏なミス・パクは難解な用語をどんどん吸収消化している模様であり、悠久は心から彼女を尊敬した。人間は頭が生まれつきいいというだけではない、と思った。やはり、万事に注意深く、皆から学ぶという謙虚さが大切だということが、彼女を通じてしみじみ分かったのである。彼は九州の山奥の出で、家が貧しかったから4年制の大学にはゆけなかったが、向学心は人一倍旺盛だった。
 悠久には弟妹が4人おり、田舎に月給の3分の1を送金し、非常に倹(つま)しい生活を送っていた。衣類は雇い主のお古を頂戴し、住み込みだったから、衣食住の費用は最低限に抑えることができた。労働基準法などは無視して、ひたすら主家に忠誠を尽くしていたので、電機店の主人も息子のように可愛がっていた。イカキ先生の口利きもあるし、恐山研究旅行も快く許可してくれるだろう。
 若い二人はまもなく辞去した。ミス・パクのニュ−アスコットのあとから、悠久の同じホンダのバイクが走って行った。「いい辞書をプレゼントします」というので、喜んで彼女の自宅にお供することになったのだ。
 残った初老の学者二人は、通訳なしでさまざまの話をした。英会話のコツは文法無視で単語を掴まえることだ。イカキ先生はそれを知っていたから、メモ用紙を使って、キ−ワ−ドをそれに書いてもらったり、自分も書いたりして、けっこう専門的な会話が可能だった。やはり、オ−シン博士と、「気」の先生との出会いは面白い話だった。博士は相手に合わせて、なるべく易しい単語で一部始終を話し出した。
 「トバ市は、水にもぐる女の人でユウメイじゃ。私はお伊勢参りをしてから、トバに移り、それからトウシジマに渡ったのじゃ。ひとり、シャ−マンのお婆さんがいるということでの。何でも、アメノミナカヌシというジャパンで一番えらい神さまがお下がりになるということでしたのじゃ。」
 「ああ、造化三神の中心であるアマノミナカヌシノカミですね。独り神として出現して、そのあと、タカミムスビノカミとカミムスビノカミが現れたのでした。この三柱(みはしら)の神々は独身の神で、すぐにお姿を隠されたと神話にあります。」
 オ−シン博士は、興味津々というふうで、熱心にメモを取りながら、日本神道のABCを吸収していた。
 「お伊勢のアマテラスオオミカミは、ずっとあとでございまするか?」
 「あの神はタカアマハラの主神で、太陽を象徴する女神です。イザナギノミコトとイザナミノミコトの娘に当たります。イザナギは妃神のイザナミを連れて、タカアマハラ、またはタカマノハラから下って、国生み・神生みをなさいました。」
 「それ、至極面白いですのう。ジャパンでは国や神を生みまする。キリスト教では、エロヒムという複数神が創造するのですじゃ。ヒンドゥ−教の三大神は、ご案内のごとく、ブラフマ・シヴァ・ヴィシュヌでありますが、よう似ちょりますなあ。インドでは太陽神はア−ディチャという名で、これは男の神ですのじゃ。その母神はアディティで、アディティからは沢山の神々が生まれちょりますから、"生む"という考えはシントウとよう似ておりますのう!」
 「それですが、キリスト教では唯一の絶対神を立てますから、日本やインドのような多神教には抵抗がありますでしょう?」
 「それがのう、議論の中心ですのじゃ。普通、旧約聖書にヤ−ウェとかエホバとか呼ばれる天地創造の神がおりますじゃろう。しかし、さっき申したとおり、エロヒムは複数ですのじゃ。その複数は、帝王が自分のことを"われわれ"というのと同じで、実は単数の神だとか申して、神学者どもは小うるさいことで、みな困惑しておりますのじゃ。特にカトリックで、ご存じでござろうが、聖母マリアを尊崇する者が沢山あり申す。それも天父以外の偶像を崇拝するのじゃから不可なりと主張するものが、ほうぼうにおりますのじゃ。私はもっと柔軟な考え方をしており、モンゴリアン系統のシャ−マニズムを研究するようになっておりまする。」
 イカキ先生は、聖書はそれほど読んでいなかったので、今度の恐山研究旅行で博士からいろいろ啓発されることがあると思って、心から嬉しくなった。先生のお弟子さんは青森県にも何人がいたので、そういう人たちも招いて、オ−シン教授のお話を伺わせてやりたいと念願した。
 イカキ先生は神道における「けがれ」のことをよく知っていたし、仏教の戒律にも関心を持っていた。今は世界中に道徳的荒廃が見られ、特にセックス面ではひどいことが流行していることに心を悩ませていた。サド・マゾどころではなく、獣姦に走るものもいると聞いていた。先生は思い切って、博士にその問題を切り出した。
 「人が性的に獣と交わることを、聖書はどのように言っていますでしょうか?」

41.鳥羽の海
                                        在天神940305/1819
 「ああ、それは旧約聖書の"レビ記"の20章15節に出ておりますぞ。」
 イカキ先生は、手持ちの聖書を出して、そのところを読んだ。次のように書いてあった。
 人が獣に対して射精を行なうなら、その者は必ず死に処せられるべきであり、あなたがたはその獣も殺すべきである。また、女が何かの獣に近づいてこれと交接するなら、あなたはその女も獣も殺さねばならない。それらは必ず死に処せられるべきである。