というものがあるということを納得させる方便かもしれません。個人霊の存続を否定するキリスト教会もあります。地縛霊などにならず、キリストが言われたとおり、まっすぐに天国に行かれればそれが一番いいのですね。」
 「仏教でも極楽が説かれていますが、それは六道輪廻を解脱した人間が、たとえば阿弥陀仏と一つになる西方浄土のようなものです」と、イカキ先生が言った。
 「そのロクドウとは何ですか?」
 「地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上です」と、先生は漢字を書いて、その詳しい説明はミス・パクに任せた。三人のあいだに、いろいろやり取りがあってから、オ−シン博士はこんなことを言い出した。
 「この天上というのは、ヒンドゥ−教のロカだと思うのですが、これは太陽系を含む銀河系、あるいはその他の銀河系、つまり島宇宙の多数の人類生存可能な惑星だと、私は思っています。しかし、そのロカの住人になって、寿命が延びて幸せな生活をしても、やはり寿命が切れれば、その六道をまた輪廻せねばならないということなのでしょうね。」
 「僕もそう思っています。天人になっても、それは成仏ではありません。」
 「キリストも、"われに多くの館(やかた)あり"と言っていますが、それもロカかもしれません。キリストが金星から転生したという説もあります。」
 「すると、キリストも解脱していないのですか?」と尋ねたのは、電気技師の悠久だった。今度の旅行で、彼の英会話はずいぶん上達した。通訳のコツもミス・パクから多く学んだ様子である。オ−シン教授とも非常に親密になって、近いうちにカナダの大学の奨学金が取れるようにして、教授が身元引受人になってあげようということにもなっていた。 「解りませんな。キリストは神の独り子ということになっています。そして、もう一度この世に来られることになっています。」
 「再臨問題ですね。その直前に全世界に大艱難が襲うというあれですな」と、イカキ先生が言った。「ときに、僕が学生のころ指導を受けました禅のお坊さまが、奈良の山奥で99歳のご高齢になっておられますが、お元気とのことです。博士、何だったらその如風上人にお会いになってから、カナダにお帰りになったら如何でしょうか?」
 「ほう、そんなお方がいらっしゃるのですか! ぜひ、お会いしたいものです。論文の整理ができ次第、お連れ頂けませんか。あと、三日ほどここにのんびりご逗留願えれば、私の仕事は済みます。」イカキ先生はその申し出を承知した。
 悠久もカイ市の電機店の主人に電話して、休暇の延長をお願いした。

45.その二人
                                       在天神940306/0647
 (以下は大説部分。)
 スズメが鳴いている朝。私は4AMに起きて、小説を続けていた。本腰を入れて小説らしきものを書き出したのは、20代から40年ぶりである。登場人物が勝手に動き回るもので、それを追いかけるような具合である。若いころは「私小説」を書いていたが、今は「私」が多数の性格に分化して、自由自在に活動している。予定している構想も筋立てもない。行き当たりばったりなのは、私の実人生と同じことである。何とかなるだろうとタカを括っているが、私の私家版著述の方針として、55章になれば、自動的に終わってしまう。おおかた未完成であろう。それも構ったことではない。続きがあれば、別の本で書けばいいと思っている。
 昨日は千葉の治療師・田中一邦さんから電話が来て、伊豆下田の中川気功の一週間講習会に、一緒に行きましょうという申し出があった。私の分の講習料40万円も出してくれるという。4月か5月まで待ってくれという。これが実現したら、私は小説どころではなくなるだろう。中川雅仁さんとの交流や、"真気光"が浮き出させる地縛霊の昇天などいろいろの事件を記述せねばならない。それまでは、当分「小説」でお遊びだ。金銭生活のほうは、林参先生ではないが、何とかなるだろう。それよりも、日曜日の今朝はピ−スが切れている。大阪の妙神君から贈金の5000円を崩して、1カ−トンを買って来ようと思っている。7時を過ぎたから、もう店も開いているのではないか。朝の散歩でブラブラ行ってこよう。散歩していると小説の構想が涌くこともあるが、帰宅するとそれをすっかり忘れていることもしばしばである。記憶が利かないので、いつも「今」からの出たとこ勝負。

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 その三日間、ミス・パクは録音したテ−プの起こしや、イカキ先生とオ−シン教授との談論の通訳に忙しかったが、教授が論文をワ−プロで書き出すと、急に暇になり、湖畔に散歩に出たりした。二日目に、釣りをしている悠久にバッタリ出会った。
 「なにが釣れますの?」
 「ウグイみたいな小魚です。」
 「食べられる?」
 「はい。もう、佃煮がだいぶ出来ましたよ。」
 「あらそう! いつか食べさせてくださいな。」
 「今晩、料理の小母さんに頼んで、出してもらいましょう。新しいのを天ぷらにしたほうがいいと思いますから。」
 ミス・パクは湖面を見ながら、痛風で苦しんでいる父のことを考えていた。今頃、足指の関節が痛いと泣いているかしらと思った。母が死んでから、めっきり老けた父。
 「あなたのお父様は、どうしていらっしゃるの?」
 「世捨て人みたいな暮らしをしていますよ。枸杞やらハトムギを栽培して暮らしています。ときどきは筮竹をひねって、村の人の運命を見たりしています。」
 「クコって何ですか?」
 「ナス科の小さい木で、強壮薬になるのです。」
 「お母さまは?」
 「気功師をやっています。」
 今度は、悠久からの質問だった。
 「オ−シン博士とどんなお話をいつもされるのですか?」
 「キリスト教の話が主です。」
 「どんなことですか?」 「このあいだはマタイ伝の25章のヤギの話でした。」
 「それ、どういうのですか?」
 「愛の話です。山羊というのは愛の薄い人のことを言っています。ヤギさんは信仰深い顔をして、教会に沢山献金をしたりするかもしれません。毎日お祈りも捧げています。しかし、どうしようもないホ−ムレスの人たちを見ると、汚い連中だなあ、怠けたり、麻薬をやったりしていたから、あんなになってしまったのだと、軽蔑して通りすぎるのです。
無より