無より
そういう人が山羊だということです。」
 「よく解りません。もっと教えてください。」
 「いいわ。バイブルにこんな言葉があります。"これら最も小さな者の一人にしなかったのは、それだけわたしに対してしなかったのです。"つまり、お金持ちの牧師さんや神父さんにどれだけ多額の献金をしたり、新聞に出るほどの寄付金を養護施設にしても、その人は"最も小さい人 "、たとえば道端の乞食さんに冷たい目を向けたりしたら、その人は山羊で、イエスさまも喜ばれず、山羊は天国に行けないのですって。」
 「ふうん。イエスさまって、そんなことを言ったのですか!」
 「主よ、主よと言うだけでも駄目だそうです。」
 「主って何ですか? たとえば、大石内蔵助の主人は浅野内匠頭とか、ああいうのですか? 世間の奥さんたちが主人というのも同じですか?」
 「そうね。ただ、人類全体の主はキリストや、神さまなのです。」
 「しかし、宗教はいろいろですから、キリストだけが主ではないでしょう。いわば、"うちの主人"みたいなもの?」
 「そうかもしれないわ。そりゃそうね。私たちが主と呼んでいるのだから、みんな同じ呼び方をしろと言うわけには行きませんものね。」
 「僕の友達にも宗教をやっている人が案外に多いのです。天理教の人はその教祖のことを"親様"と言っていますし、大本というのをやっている人は出口王仁三郎を"聖師"と呼ぶし、創価学会の友達は日蓮のことを"大聖人"と言っています。僕は特にどこの宗教ということもないので、そういう呼び方に馴染めません。うっかり同じ言い方をしていると、その宗教に引っ張り込まれるような危険感があります。」
 「それはそうね。韓国では仏教が盛んですし、うちもそれですから、私は小さいときからお釈迦さまと言っていますが、なぜか、キリスト教の人はイエス、イエスと呼びつけにしています。どうして、ああなのかしらねえ。」
 「西洋人の真似じゃないかなあ。」
 そのうち、そんな話にも飽きて、若い二人は無公害車の話に移った、太陽電池と蓄電池を組み合わせた自動車の場合、太陽エネルギ−だけでは足りないために、やはり昼間の走行でも蓄電池を使うだろうから、深夜電力が安いにしても、どのくらいのコストになるだろうかというようなことを、わりあい熱心に論じ合った。二人とも経済性を大事にする性格のようで、よく気が合った仲間だった。

46.氷人間
                                       在天神940306/0928
 夜になって、イカキ先生の「実用心理学実践会」の会員が3人、ロッジを訪れてきた。夕食を一緒にしてからの場で、オ−シン博士もあとから参加した。
 三沢から夫婦で来た市村氏がこんな話を始めた。「長年イカキ先生のご指導を受けておりますが、先生がよくおっしゃる"無心で人の話を聴け。そこからすべてが始まる"というのは本当に深い内容を持っていますね。もう5年間もその修行をやっていますが、なかなかこれという所まで到達できないでいます。私は市役所に勤めておりますが、窓口では"無心傾聴"に心がけています。お陰で市民のかたがたは喜んでくださいます。個人的相談を持ちかけてくる人もよくいらっしゃいます。ところが、家に戻りますと、我儘が出まして、どうしても女房の言うことが聞けないで、つまらないことでつい諍(いさか)いを起こすことがあります。困っております。」
 夫人も横から、「主人は私の何倍も頭の回転が上ですので、私の言うことなど、言わない先から解るとか申しまして、すぐ短気を起こして、私を叱りつけるのでございます。もう、結婚いたしまして30年にもなろうとしているのですが、私のほうには少しも進歩がないようで、悩んでおります。」
 先生は笑って言った。「昔の僕のところもそうでしたよ。幸か不幸か、うちでは家内のほうが短気の度合が上と言いますか、子供たちが社会に出ますと、もうあなたに用はないとばかり、自分のほうからサッサと離婚して出てゆきましたよ。牛は牛連れ、馬は馬連れという諺がありますが、どんないざこざがあろうとも、末永く連れ添うのが一番ですよ。」 市村夫人は少し怪訝な顔をして尋ねた。「先生はどこから見ても温和そのものなのに、どうしてご離婚ということになったのでしょうか。不思議ですわねえ。」
 「きっと、僕に家内の心理が見えすぎたことが原因だったのでしょう。それに、僕は冷静なほうで、実は家内とのあいだに口喧嘩ひとつしなかったのですよ。家内としてはそれが不満だったらしく、普通の夫婦のように、たまには取っ組み合いの喧嘩をしたいものだと、よくこぼしていましたよ。家内は何かというとカッカするほうで、僕が取り合わないので感情の向け場がなくて困っていたようです。"あたしをモルモットにしないでよ"とよくヒステリ−を起こしていました。結局、相性が悪かったのでしょう。」
 「先生にも恋愛時代というのがあったのですか? それともお見合い結婚でしたの?」と、ミス・パクが訊いた。
 「恋愛結婚だったのですが、そういう炎は2〜3年で消えてしまいますよ。恋愛ほど当てにならないものはありません。恋愛でしか結婚しないアメリカでは、日本の見合い結婚よりずっと離婚率が多いでしょう。だから、欧米人のなかには、日本の見合い結婚というシステムを羨ましがる人も沢山いるようですよ。」
 ミス・パクの通訳を聞いてから、オ−シン博士も発言した。「それは同感です。周囲の人生経験豊かな大人たちが判断して決める組合せのほうが、遥かに旨くゆくということはあると思います。もちろん、政略結婚とか利害がからむアレインジド・マリッジというのはよくありませんけれど。」
 「それでは、私たちもこの先、仲良く喧嘩を続けていればいいということなんですか」 と、市村夫人が少し笑って言った。
 「夫婦喧嘩は相互の微妙調整です。喧嘩もできなくなった冷たい関係というのもありますからね。その冷たさの終点は離婚ですよ。」
 ミス・パクはイカキ先生のほうをまっすぐ見て言った。「私は幼いときから両親の不幸な関係を見ていて、こんなに苦労するものなのに、大人たちはなぜ結婚をするのかと、いつも不思議な思いでいました。私は一生結婚をしないつもりでいます。」
 悠久はそう言うミス・パクの理知的な横顔を見ながら、(こんな人が僕の奥さんになってくれたら、僕の精神レベルはどんなにか高められるだろう)と思っていた。
 そのときまで押し黙っていたもう一人の来客は、黒い顔をした中年の男だったが、いらいらした口調で急に話し出した。「私は恋愛だの結婚だのに全然興味がありません。どうして、皆さんがそういう話題をいかにも大切なテ−マであるかのように語り合っているのか、私には理解がつきません。ごらんのとおり、私は混血児として生まれました。もちろん、そういう運命のいたずらを呪ってきましたし、異性に興味がなく独身を通してきました。私は男女のあいだの愛などは信じていません。それは性欲と独占欲以外の何ものでもない