無より
と信じています。映画や小説は恋愛を美化しすぎています。そういう蜃気楼を世間にはびこらせること自体が罪だとさえ思っています。だから、私はテレビなど見ませんし、映画を見にゆくこともしません。宗教は神の愛を説きますが、人間の愛も信じられない私には、神の愛など人間が勝手に作りあげた観念くらいにしか思っていません。私は、今夜なぜここにいるのか解らないくらいです。ただ、イカキ先生のご著書には興味が少しあったので、何となくここにお邪魔しただけです。」
 場の空気は一瞬冷たくなったようだったが、先生は微笑を崩さず端的に質問した。
 「あなたはお母さんを憎んでいますか?」
 「憎んでいます。母が死んでから、お墓参りをしたこともありません。間違って生まれてきたのですから、死ぬまでは仕方なく生きているだけのことです。」
 「それで、人生が空しくありませんか?」
 「もちろんです。空しさ以外に何がありますか!」
 「あなたが心理学に興味を持った動機は何だったのですか?」
 「生活のためです。こういう索漠とした社会で、人々に混じって生きてゆくためには、一般の人の心の動き方の法則を知っていれば、それほど手痛い目に会わないですむと考えただけです。」
 黒い男はそのまま押し黙ってしまった。他人から愛や優しさを期待しない決意に凝り固まってしまった不幸な人間の標本がそこにあった。
 「音楽もお聞きにならないのですか?」と、ミス・パクも質問した。
 「ああいう感情に訴えるものは嫌いです。」

47.黒い人とジャックナイフ
                                      在天神940306/1812
 場は完全に硬直したと見えたが、そのとき椿事(チンジ)が起こった。
 外に車が急停車する音が聞こえたと思うと、荒々しく玄関のドアを開けて階段を駈け登ってくる足音がした。その部屋に一人の男が飛び込んできた。
 「あいつは、あいつら、どこに隠れている!」
 血相を変えた背の高い革ジャンパ−の男が立ちはだかっている。手にはジャックナイフを握りしめ、ワナワナと震えている。
 ミス・パクは脅えて、悠久の腕を掴んだ。
 「たしかに、ここにいると聞いてきたんだ! おまえら、隠しているのじゃないだろうな!」
 ロッジの主人も慌てて駈け上がってきた。
 「お、お客さん、困ります。ここでそんなことをされては!」
 「え、お前は主人か。ほかの部屋はどこも真っ暗だ。キヌエをどこに隠した!」
 「そんなお客さんはいらっしゃいません。昼間のお客はみなお帰りになりました。お泊まりはこのかたがただけです。お引き取りになってください。」
 男は主人を突き飛ばして、ナイフを振り回した。「外人と一緒と聞いたんだ。外人、ほれそこにいるじゃないか! おまえ、何者だ。どこにキヌエを隠した?」
 黒い男が無言で立ち上がり、ナイフを叩き落として、その腕をねじ上げたまま、階段を引きずり下ろした。そのまま戸外にもつれ合って出た様子である。主人はすぐに110番を回していた。外では闖入者の大声がしたが、そのうち呻き声がして、急に静かになった。黒い男は静かに階段を登って、また元の席に座った。呼吸も乱していない。皆はその顔を見た。
 「眠っていますよ。気がついたら帰るでしょう。」
 やがてパトカ−が来て、外に倒れていた男をパトカ−に乗せ、黒い男にも参考人として同行するように促して、二人の警官は去った。
 「同気相引くというあれですよ。あの黒い人がここにいなかったら、あんな事件は起こらなかったでしょう。どんな人間でも或る波動を身体から放射していますから、その波動に乗ってああいう人も飛び込んできます」と、イカキ先生が話した。
 「思いがけないこと、偶然というのはないのでしょうな」と、オ−シン博士も言った。「私たちはあの黒い人の話を静かに聞いていただけでした。誰も彼に迫ったり、彼を変えようとはしませんでした。」
 「場は生きているのですね。場が人を呼びこむのです」と、先生は付け加えた。

 一行が東京行きの新幹線に乗りこんだころ、カイ市の"気武道"道場では、林参先生がカズコに語りかけていた。
 「今日あたり、イカキ先生たちが帰ってくるような気がする。夜になったら遊びに行ってみよう。」
 暗くなってから、カズコの赤いウィ−ヴに乗りこんだ先生は、「まず、駅に行ってみよう。会えるような気がする」と言った。駅に着くと、ちょうどイカキ先生の一行が改札口を出てくるところだった。皆でイカキ邸に行った。

 一同が屋敷に落ち着いてから、林参先生は、黒い男とジャックナイフの事件の話を聞いて、「"気"は何でも知っている、と言いますからね」とコメントした。それよりも、イカキ先生がオ−シン博士を案内して、奈良の99歳の如風禅師を訪問するという話のほうに興味を示した。
 「カズコ、ご一緒に伺ってみないかね。」
 「ええ」とうなづいた。

48.分断と傍観
                                      在天神940306/1856
 スカスカと穴が開いた食パンを食べているような気持ちになってきた。小説から気が離れている。影絵芝居でも見ているような気持ちである。これを書いている私さえも、この影絵芝居の一人物みたいである。まぼろしのようで、実体感がない。大説も小説も本来差がないという感じがずっと私にまつわりついている。
 あと2時間、9時になると、「上を向いて」歩いて行って大空に散った坂本九の番組がある。「知ってるつもり!?」で、九を取り上げるようだ。九は1941年に川崎市で生まれた。1985年8月に飛行機事故で死んだ。44年の短い生涯だった。この辺から私の潜在意識を掘ってみるか。
 坂本九は、私より15年遅れてこの世に出てきた。彼が死亡した日には、私は59歳で牧野元三とZA托鉢旅をしていた。あのニュ−スを天理駅のプラットホ−ムで聞いた元三は、嬉しそうな顔をして私のところに駆け寄ってきた。「九ちゃんが死にました!」私は急に不機嫌になり、彼を叱り飛ばした。「何で嬉しがるのだ!」有名人の死亡を聞いて嬉しがる奇妙な人間を見たのは、それが二回目だった。
 ケネディ−大統領が暗殺されたのは、1963年(昭和38年)だった。大宮駅に近い上尾市に住んでいた私のところに、やはり嬉しそうな顔をして、ある青年が暗殺事件のニュ−スを持ってきた。私の家にはテレビもラジオもなく、新聞も取っていなかったから、ニュ−スには間違いがない。しかし、その嬉し顔の青年を、私はやはり厳しく叱責した。だが、いまだに、有名人の死を喜ぶ一部の人間たちの心理が不可解である。それはきっと他人意識から来るのだろう。自分の親兄弟が死んだのだったら、あの二人も嬉しい顔をしなかったと思われる。
 世間と自分の分断。恐るべき自我意識とでも言おうか。あの「黒い男」ですら、場を荒