無より
らす侵入者を黙ってつまみ出した。元三や、ケネディ−の時のあの青年のような部類の人間たちは、その場にいたとしても傍観するだけで何もできなかっただろう。ただ、唖然として場を傍観しているだけではなかったろうか。今年になって、死亡事件ではないが、似たような事件が私のまわりに発生した。
 あれも天理市のア−ケ−ド街でのことだった。私は如神青年と、屋台で焼き鳥を食べていた。天理教の修養科という3ヵ月の合宿訓練に参加していた5人ほどの若者がいた。修養科生は期間中は禁酒であるのに、彼らはビ−ルを飲んで騒いでいた。親や分教会長の説得で修養科に半強制的に送りこまれた不良どもに見えた。彼らのあとから私も屋台を出た、私は何とかして、その不良たちの心のなかに入りこみたかった。アプロ−チしているうちに、酔っぱらった彼らは歓迎の表現だったろうと思うが、私を後ろから抱き上げて、私の睾丸をグリグリと圧迫したり、とにかく狼藉を働きだした。私は痛かったが、そのうち何とかなると思って、そのまま彼らに身体を任せていた。そのとき、チラと私の供をしてきた如神青年の顔が見えた。ニヤニヤしていた。例の傍観顔である。私は若者の腕から身体をほどいて、やにわに如神の顔に突きを入れた。「何だ! そのニヤニヤ顔は!」何度も彼を殴り痛めつけてから、「その若者たちに謝れ。何もできない自分ですと謝れ!」訳が分からないままに、如神は若者たちに頭を下げた。意外な成り行きに鼻白んだ(ハナジロムの辞書定義は"意外なことが起こって、興ざめるか、気後れした顔つきをすること")不良たちは、「兄さん、頑張ってください」とか、これも訳の分からぬ挨拶をして、夜の闇のなかに消えて行った。如神は「実行は何もできない」インテリの傍観者だった。なぜ笑うか! 私は苦痛に耐えても、あの不良どもの魂に飛び込もうとしていたのに、年齢の近い如神は見世物を見ているように、ニヤニヤしていただけだった。あの夜の私の「至悟気」はいまだに如神に通じていないと思う。彼は終電車で、どこかの令嬢がヤクザの強姦に遭っているのを見ても、傍観・無行動の手合いである。私には、考えられない態度である。
 元三との16年托鉢旅でも、似たようなことが何度もあった。私は意識的によく、人相の悪い男を挑発して喧嘩を起こした。元三は一応あいだに入って、それを取り鎮めようとする。その態度がどうも曖昧だった。傍観もできないのでお義理で仲裁に入るという印象が強かった。そのうち、私ははっきりと彼に攻撃を命令するようになった。奄美の喜界島にいたとき、ある酒屋の主人の首を絞めるように命じた。彼は機械的にそうしたので、鹿児島刑務所に6ヵ月入った。それからしばらくして、似たような場で、ある落ち込んだ男の気分を引き立てようとして、元三に彼の耳を引っ張って連れてこいと命じた。これも機械的に実行したので、つかみ合いになり、店の通報でパトカ−が来た。私たち二人は本署に連れてゆかれ、私たちは拘置所に1ヵ月。元三にはおまけがついて、刑務所に4ヵ月入れられた。あれは何だったのだろう。
 イカキ先生の屋敷から始まったあの小説には、穏やかで柔和な人物ばかりが登場するので、だんだん飽きてきた私は、黒い男とナイフの男を招き入れた。どうも面白くない。善人小説というのは無難だが、迫力に欠ける。実人生というものは、あのように生チョロイものではない。やはり、私は小説に向かないのだろうか。
 九ちゃんは力一杯に生きてから壮絶な死を遂げた。あの一生も幻と言えばまぼろしであるが、小説よりは遥かに迫力がある。私は自分の実人生が生ぬるいことに耐えられない。だから、若いときから自分の人生をドラマ化してきた。さまざまの限界状況に自分を置いて、そこに出てくる自分自身の生命的反応をしっかり見てきた。67歳になっても、根本は少しも変わらない。しかし、私の激しさは人々を遠ざける。私は危険な人物と目され、敬遠されてしまう。それでも、私は世間への呼びかけとアプロ−チをやめない。限りなく無数の人に手紙を出し、このような本も書く。世間と無関係ではいられない。分断と傍観は私には不可能である。何だろう、この忿懣は!

49.混迷ふたたび
                                       在天神940306/2033
 坂本九の開始時刻が27分後に迫っている。9時にスウィッチを入れるまで、これを書き続ける。さきほど、鹿児島市のマンゾウさんという77歳の老人から、私の家にいつか来たいという電話が入った。いつでもお出でなさいと返事をした。「霊気や生命エネルギ−を入れてくれますか」という問いだったので、「喜んでやりましょう」と答えた。分断・傍観人間には何もできないだろう。損得を考えて会見を断わるかもしれない。私は違う。年齢の差や性別を度外視して、私の生命を誰にでもそそぎ切る。注射する。私のエネルギ−を全部与え切るというのは、そこで「切る」のである。切るとは徹底の言葉だ。縁を切るわけではない。一度ついた縁で切れるものは一つもありえない。縁がついた人とはすべて一生の付き合いである。しかし、妻たち・子たち・弟子たち・友人たちは、縁は切りうるものと錯覚して、私から去ってしまった。私のほうでは、彼ら彼女らをつなぎ止める工作は一切しなかった。向こうから切ってくれば、それを放置しただけである。そこに無限の痛恨が残る。
 人や財産や名声を賑やかに自分の回りに集めておくという努力を、どうして私はしなかったのだろう。できなかったのだろうか。私は孤独を追求したのでも何でもないが、結果がこうなったというだけの話なのだ。私は人類を愛する。だが、人類は私を愛さない。私は神を愛する。そして、神は? 私は自分自身を愛する。だが、その自分自身とは何ものなのか?

 貧乏は限界状況。一家離散も限界状況。離婚も同じだ。私はいわゆる世間的幸福をどうして求めなかったのか? 私の求めているものは一体何なのか?

 声がした。
 全ては必然なのだ。逃れられるものではない。過去も、この今も、未来も。逃げないほうがいい。夢にも、空想にも、思想にも、現実にさえも。己れを浮かしてしまえ。その必然のなかに。必然という名の運命に。

  あらゆる言葉、あらゆる思想を信じるな、ということですか?
  そうだ。お前は神という言葉を知っているが、俺のことを知らない。俺が神だと名乗っても、お前はそれを否定するだろう。なぜなら、お前は俺を知らないからだ。

 私はあなたを待たねばならないのですか。たとえ、無限の時間でも。待つことだけが私の義務なのですか?
 待つ。そうだ。俺のほうもお前を待っている。

 紙のように薄い壁が一枚あって、どうしてもあなたが見えません。人間のことはよく見えます。世間も見えます。しかし、あなたは見えません。
 見えない。そうだ。俺は見えないものだ。見えると言えば、それは大嘘だ。嘘だけはつくな。見えない、見えないと言い続けていればいい。それでいい。あとは俺のことをほっとけ。

 あなたのことは忘れていていいのですか。あなたのほうでは、私を気に掛け続けてくれますか。いったい、あなたは私を愛しているのですか?
 それが最大の質問だ。俺は愛だ。しかし、お前の理解を越えている。