無より
53.番外長文レター
                                      在天神940309/0733
 早起きして、4時から3時間以上にわたって長い手紙を書いていた。相手は関東地方の私と同病の人。天才的な人物である。プライバシ−はやはり或る程度保持すべきだろう。長い手紙なので、この本の平均的長さを越えてしまう。読んでも分からないことが沢山書いてあるかもしれない。しかし、分かる人には分かるだろう。

234さん!
                                      在天神940308/2219
 アクセルどころかスタ−タ−が利かない状態。想念の堂々巡りを防ぐ一つの方法は、こうやって今在る想念を書いて眺めて、うしろに戻らないことです。鹿児島の老人にサイババ写真を郵送する手はずをして、あなたあてのレタ−を送って、また眠って起きて、相変わらずのウツと同居です。こんどはいつまで続くか見当がつきません。『無より』はどうしても続行不能で放り出しました。ソウとウツとの綴れ織(タペストリ−)が私の著作の特徴ではありますが、同じム−ドで書かれた一般の本を読み慣れた読者は、だれでも戸惑うでしょう。どうしてこんな書き方をするのかと、いぶかしむことでしょう。それが生理的なもので、それ以外の書き方はできないのだと言っても、理解はしてくれないでしょう。
 0309/0406の今です。よく寝ていましたが、唇のむける例の気持ち悪い感じで4時前には目が覚めていました。気温が上がっていて布団のなかで汗ばむほどでした。春になっています。ほかにすることもないので、この手紙に帰っていますが、思想の渋滞は同じことです。あのウツ薬を飲まないかぎり、とめどもない眠気に誘われることはないと思っていますが、この気分はどうなってゆくのでしょう。悲哀感というところまでは落ちていません。積極的に何かを悩むという状態でもありません。空白感に宙づりになっているというところでしょうか。ほとんど動きがありません。エモ−ションは情動と訳されますが、その情動がありません。判断・推理という思考力は残っているようですが、モ−タ−が緩慢にしか回っていないので、どの方向にも走り出さない車という感じでしょうか。 こういうことはあなたにはよく分かっていることです。説明はあなたにも私自身にも必要はないのに、こういうことを語り出すというのはどういうわけでしょうか。医学では愁訴と言うあれでしょう。相手が医者であれば、何とかなりませんかと訴えているのです。相手が神であれば、やはり何とかしてくださいと訴えているのです。やはり、パラグラフが長くなります。
 意想奔溢というあれになると、テ−マがぽんぽん変わるので、文章を書いていても、パラグラフをどんどん変えたくなります。聞いている人はあちこちに引き回されて、ついて行くのにくたびれるということになるのでしょう。本人は爽快ですから、周囲の人の困惑などはあまり気にしません。以前、キタ・モリオが明らかなソウ状態で阿川弘之という作家とTVで対談をしていました。北さんは明らかにアルコ−ルによる酩酊状態でもあったので、ほとんど対談にもなっていないありさまでした。あれをビデオにして、キタさんがソウから抜けシラフになった状態で見直したら、やはり恥ずかしく思うことでしょう。放送局の人は面白がってあれを出しているフシがありました。エンタ−テインメントになったのかもしれませんが、あれは一種のサラシモノです。私は思い出しても気の毒に思います。しかし、ソウ状態であれば、私だってホイホイとあのような番組に喜んで出たことでしょう。ソウとはまことにどうしようもないものです。そうして、こういう批判をしている私はウツかマトモなのでしょう。
 ソウに嫌らしい感じがするとすれば、それは自我過剰という感じです。それは天狗でありお山の大将であり、謙遜の反対であり、周囲への愛やいたわりが見られないものです。あれは天狗病とでも名づけるべきものです。そして、天狗の鼻が折れたあとのウツは悲哀病か。これも収縮して苦しがっている自我の状態で、回りに流れ出す愛などは皆無です。表れは反対でも、両方とも自我の病気のようです。自我には美しさがありません。むしろ醜いのです。ユ−フォ−リアという医学用語があります。多幸症と訳されています。辞書には、「根拠のない過度の幸福感」とあります。麻薬による陶酔感を指すこともあります。この反対はディスフォ−リアです。辞書には「不快気分」とあります。これはソウとウツの状態を説明する言葉です。こういう記述の言葉をいくつ知っても、ウツ患者には何の救いにもなりませんが、私がウツになってよくやるのは、医学書を取り出してウツのところを読んで、自分の状態に該当する記述を発見して納得するあの無意味な行為です。精密に描写されている自分の状態を認識しても何になるのでしょう。このパラグラフも長くなりました。
 意識が自分の状態に膠着するので、そのこと以外には何も考えられなくなるのですね。その反対に、ソウのときは医学書などを読みはしません。自分を極めて正常だと思っていですから、自分が関心を持つすべてのこと(それは森羅万象といってもいいくらい)に夢中です。(シンラという言葉の意味が不確かなので、今辞書を引きましたら、木がびっしりと茂って並ぶこと、とありました。)辞書を引くのが億劫でないのは、ウツが軽い証拠なのでしょうか。
 ウツからソウへの転換は、自分で気づかないまにということも昔はあったようですが、今はたいてい、朝起きた途端に自分を点検する癖がついており、「あ、ウツが取れている。しめた!」ということが多いのです。眠っているあいだにその転換が起こるようです。睡眠時間の長短などは関係ありませんが、睡眠中に秘密の鍵があるようです。ソウで入院させられた患者はまず投薬で眠らされてしまうでしょう。するとウツになってしまいます。ソウでもなければウツでもないという正常状態は、ウツが寛解する途中に来るようですが、私の場合、正常はすぐに軽ソウに移行するようで、その境目ははっきりしていません。それはちょうど虹の色の境
界線がぼけているのと同じで、「正常」というのは、比較上での曖昧な概念にしかすぎないのでしょう。軽いソウでは、天才的な着想やインスピレ−ションがあります。自分で勝手に
<以下不明;松嶌>

54.建て前と本音
                                       在天神940309/0740
 「何で、そんなに時間を分数まで記録するのですか? 無駄ではありませんか」と或る人が言った。無駄かもね。殆どの人は、この時計のチクタクを冥土までのマ−チのようには聞いていない。大抵は時間を無視しようとしている。忘れようとしている。「あなた、おいくつ?」「忘れましたよ。忘れることにしています。」そういう人もいる。老人に多い。幼い子は誇らしげに指を出して「三つ!」というだろう。女性(めんどくさくなったから、私もこのセックス丸出しの現代日本語になじもう)は特にそうだ。だから、男性(イヤな言葉だ、全く!)は女性に齢を聞くのを憚る。私は逆をやりたくてウズウズしている。女性に会ったら、だれにでもまず年齢を聞くことにしようか。「失礼ね! そんなことあんたに関係ないじゃん!」で、怒って行ってしまったら、それまで。そんな女とつき合ったって仕方がない。女はつき合いにくい。「だいぶ皺が増えましたね」とか「脚が太くなりましたね」はみなタブ−。こんなことで、男どもは思ったことを表現せず禁圧して、自分のストレスを増大する生活をしている。キリストは「人からされたくないことを人にするな」という単純な黄金律を示した。それが思いやり、優しさ、愛の行動。建て前として、私は反対しない。しかし、実際の心のなかの思いはそうではないのだがら、私はやはりクリスチャンの風上にも風下にも置かれない。
 こういう無頼風で、この本も終わりに近づいている。やがて、第55章が来て、私はしめくくりをし、書中に書いた悪い内容と失言について、読者諸氏にお詫びを言って、おしまいとなるだろう。これももうパタ−ン化している。
 時刻明記、少なくとも月日明記くらいは、手紙を書く人に要求したいが、実際には、日付