主筆.発行人:十菱 麟
                       879−69 大分県大野郡清川村天神
                       п彦ax:0974-35-2140
                       振替口座:熊本1−3030








村には金木犀のかおりが
                                        在天神941004/1805
 長い印度旅でありました。AとZのニグループに分かれて、それぞれの空港からインドに旅立った150名のダルシャン旅行団は、7〜14泊と旅の期間もまちまちでしたが、めいめいの深い感動を抱いて日本に帰って来ました。
 私が同行したZグループ30名は9月10日夜に準備会を開いてから、11日に新関西国際空港から飛び立ちましたが、帰国の際は、カルカッタ空港の閉鎖(原因はストライキ)によって、一日遅れの9月25日(日曜日)に成田に着きました。美しい清潔な空港を見て、正直「ここはこの世のパラダイスだなあ!」と感嘆しました。汚濁と乞食に満ちたボンベイ市との相違は正に天と地の差だったからです。
 東京東上野の「サイババ全国大会」には間に合わず、重いゴロゴロ荷物を宅急便で清川村に送った私には、コーヒを買う金もなかったので、大阪からの妙神マツシタ・恩納オカベの二君のか介護で、大阪までの新幹線に乗りました。大阪では在神マツシマ君(世間名は松嶌徹さん)が27日の「インド・サイババ香縁会」を用意していてくれました。インドなら六つ星かと思われる一流ホテルOA K Sに一晩私を休ませてくれました。
 明けて27日の香縁会(徹さんの造語)は、40名が予想されていたのに、ロコミで90名の盛会となりました。恐らく世界でも初めての「自由価集会」は、無記名封筒による自由額寄付で賄われました。印度線香を燻らせた会場には座れない人も沢山おたれました。
立会い講演会のように、何人ものかたがたが体験発表をしました。その模様は、世話人の松嶌徹さん(562大阪府箕面市白島2−21−34−302・電話0727−24−7694)がビデオテープに収めましたので、関心あるかたはそのテープのコピーを取り寄せてください。
 その後、小倉、福岡、長崎、熊本と旅をして、有縁の人々と逢ってから帰宅しましたので、「帰天」は昨日の夜となりました。天神を出発してから25日間の長い旅となったのです。さすがに疲れて、今日も居眠りばかりしていましたが、午後郵便局に出かけたときには、あの懐かしい金木犀の香りがふと鼻を撲ちました。日本には秋が来ていたのです。


風船カヅラの種子を同封します
                                        在天神941004/1841
 36分で上の序章を書き終わりました。この号は長くなります。先ほど、東京の「たま出版」の重役である韮沢潤一郎編集長から電話があり、『旅路の果て』(ハワード・マ−フェット著)の翻訳出版契約が取れたから、翻訳lこ掛かるようにとの連絡がありました。その仕事に書手する前に、この機関誌原稿を完成しようと思っています。

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天神だより
《復刊第3号・1994年10月》
『天神だより』は「イチ同胞団」の機関誌で、自由期刊であります。販売はせず、団員の自由額贈金によって維持されます。縁があって、この機関誌の存在を知り、新たに送付を希望する人は、今までお読みになった号数、フリガナ付き住所氏名(郵便番号)、電話番号、生年月日、職業を郵便またはFAXでお知らせください。
 今日は郵便局の帰りに、玄関横の風船カヅラの種子を沢山採取しました。これは「お猿さん」の顔をしている可愛い種子で、日女が大好きです。彼女はハート型のノツペラボウ
の顔に、ペンで目鼻を書き入れるのを楽しみにしていました。どうかイチ同胞の皆さん、日本中にこの蔓草を茂らせてください。花は白い小さいものですが、風船が風lこ揺れるようになると、なかなかの風情があります。窓辺に長い竿か紐を用意して伝わせると、屋根までも伸び、立派な日よけになります。播種は来年の4月でよいでしょう。同封した種子は、窒息しないように紙袋に入れて、風通しのよい所に保存してください。鶏糞か油粕を加えたE M農法で見事に繁茂すると思います。

本当に単なる肺ペストか?
                                        在天神941004/2041
 今は横尾忠則と五木寛之との対談で、8:45PMまでN H K教育で続けています。
 しかし、内容は幼稚で、仏教的な空(クウ)や涅槃(NIRVANA)の論議に終始し、日本の最高の知性というものが奈辺(ナヘン)にありや?という問題を考えさせられます。
 言葉の芸術家のイツキよりも、右脳アルティストのヨコオのほうが、本当は正しいことを言っているのだけれども、理屈では小説家に敵わないので、ヨコオは何となくイツキに靡いてしまいます。情けないけども仕方がない。サチャ・サイババは言われました。「仏陀は涅槃に達したけれども、“成神”はしなかった」と。仏教も超えるべき宗教です。
 イツキは「この混沌たる娑婆世界」を言うが、毒蛾やナメクジの臓器の高度の知的設計
のことは言わない。ナニモワカッテイナイと評したら、失礼に当たるでしょうか。
 さて、9月23日にエアインデイア機が飛ばないことを知った私たち(出発時の30人が38人に増えていました)は、航空会社の慣例によって、泊まりと食事が無料のホテルに収容されました。昼飯は90ルピー(270円)以内という制限を受けました。私はブランディー1本(印度国産)を order しました。ルームサービスのボーイには300ルピー(900円)の代価を支払いましたが、彼はなかなか部屋を去りません。欧米人が残したチップの悪習のためです。2ルピーしか小銭がなかったので、それを渡したら突き返して来ました。「あとで何とかするから、今はお帰り」と帰してから、よく見ると栓抜きがありません。私はまたボーイを呼ぶのが面倒だったので、直接フロントに降りてゆきました。なぜって、葡萄酒に必要な螺旋の栓抜きをボーイがわざと持ってこなかったことが明らかだったからです。インドでは、フロントとボーイがグル( guru ではなく)になっているところがあります。フロントの紳士は、「よろしゅうごわす。さっそく給仕人に命じましょう」というだけで、私に直に栓抜きを渡しませんでした。部屋に帰ってみると、件んのボーイが opener を持ってニコニコ立って居ました。私は説教をしました。
 「それが君たち印度人のモラルかね?」なるべく忘れたフリをして、何度でもロウドウを
し、その分だけチップを請求するのが、ほとんど全てのインド・ホテルのボーイのやり方です。(絵美子はここのところを読んで、みんな貧しいのだから、日本的な道徳観で責めてはいけませんよ、と私に忠告しましたーー後記)
 貧しいからです。乞食業も、本気の労働であり正業でありました。私はそれを知ってはいたが、ときどきは彼らの良心とやらをテストしました。そんなものはないのです。貧しさはすべての不正直を生みます。英国が犯人かもしれない。だからこそ、サチャ・サイババは印度人の道徳頽廃を嘆き、あれほどのお説教をなさいました。(東京のサイババセンターが