出したサイババ講話集を読んでください。)
 そして、あの Pneumatic Plague(肺の猛烈疫病)の新新聞記事を、私は、割り当てられたBombayの五つ星のホテルで読みました。辞書には、プレイグ(猛烈伝染病)の一種として、たしかにペストはありますが、日本の新聞の誤訳(?)により、それは今まで何度もインドにあった「肺ペスト」なのだと日本では報道されていましたが、実は、種類不明・対処不能の新型ヴィールスによる「訳の分からない伝染病」であって、エイズのように

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接触感染ではなく、空気感染の恐るべきものでした。インドの医学権威者たちは、高熱を発し1〜2週間で吐血して死ぬその病気の死体から血液を抽出して、ジュネーブのWH Oの国際研究機関に急送したと、ボンベイの新聞には出ていました。ボンベイのすぐ北にあるスラートからは、44%の住民が大恐慌を来たして、他の都市に逃げ出したということでした。首都ニューデリーでは厳戒態勢を敷きました。この病気は、エイズ以上に世界中を震え上がらせるかもしれません。(10月6日朝8時の朝日テレビでは肺ペストの特集を組んで、ネズミから腺ペスト、次に肺ペストという医学的解析を発表していました。しかし、バクテリアやビールスは常に変質します。大正15年収来、日本にはペストはありません。その年に生まれた私が68歳になって、ペストのそばまで行ったわけでしたー−後記。)やはり、9月が限界だったのかと私は思いました。

奇病を創るのは全能の神
 癩病も梅毒も中世期のペストも20世紀のエイズも、大量殺戮原爆もヒットラーも、筋萎縮症その他の奇病も、今度の「肺炎状悪疫」も、すべて全知・全能・全在・全愛の宇宙絶対神の創作物であると、私は信じています。
 神は「全在」(OMNIPRESENT)ですのに、人間側からは、汚い淋病患者の売春婦のなかに神が存在するはずはないとか、ドストイ工フスキーが悩んだ問題、「強欲金貸し老婆は殺してもいいのだ」というラスコーリニコフ青年の論理とかは成立しません。アヒムサ(不殺生)は例外なしです。トルーマン大統領はヒロシマ・ナガサキ大殺戮のOK命令を出しましたが、一方、小さい範囲で行動している庶民の私たちは、可哀相な子雀の串焼きをウマイウマイと食べても大したことはないということになるのでしょうか! この問題は、これからの3年間、日本人が考えて考えて考え抜かねばならないようになります。「いったい神は存在するのだろうか!」皆がそれを思うようになります。
 惨たらしい神は存在しないはずなのだというのが99.9999・・・%の人類の考え方です。自分好みのカミサマだけ必要だという人間の考え方!ムゴイ神、残虐な神−−それがあったからこそ、二つの世界大戦は勃発したし、今もアフリカで赤ん坊が飢えでドンドン死んでいます。国連は“悪いほう”の軍隊に爆弾の雨を降らし、その陰で、無辜(ムコ)の女子供が多数殺されております。
 私は熊本で“F E A R L E S S”というアメリカ映画を見て、深く感動しました。
 あれは本物映画です。
 サイババは、インドの青年にクダラヌ映画を見るなと戒告していますが、それはインドでのことで、われわれ金持ちグウタラ文明人は、むしろ、あのU S映画を見るべきです。だから、教条主義のサイ組織が何を言おうと、放っておけばいいのです。日本人には、サチャ・サイババの直訳はむしろ害になるからです。
 ジャパンはLAST/MOSTというサイババ発言は、額面通りに取らねばなりません。インドの宗教を丸飲み込みしたところで、日本人の「ミソギ」(身を剥ぐこと)はできません。
 絶対に、インドという貴重な国を救うカがあるのは日本だけです。
 たとえば、インドの乞食に親切に恵んでいる国民は日本人だけでした。私のボーイあての説教は、同行日本人たちからチップをタップり貰った同僚絵仕人を羨んだ彼の欲望への叱りでした。「欲望は際限ないのだぞ! この馬鹿め!」という叱りでしたが、通じたかどうかはわかりません。叱っても仕方がないのでしょう。サイババはあらゆる御利益要請に対して、神の知恵において、ある程度それを叶えてお出でです。とにかく、「肺ペスト」(???)は日本の厚生省や外務省に大きな影響を与えるでしょう。そして、アヴァタールに会いにゆきたい日本人の出足をも止めるでしょう。しかし、サチャ・サイババは、今年中に7000人の日本人を呼び寄せると言っています。

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SUPER RINはバンガロールに移住する
 シルデイ・サイババの村では、Zグループ全員が満足しました。
 道端にはウンコが山積し、徳島のアキラさんなどは「これは牛の糞だ!」と強調してい
ましたが、彼のサンダルを汚したのは人間のクソでした。
 毎朝、インドの子供たちは男女とも公道に出て、通行人を見ながら排便をするのです。女児の陰部も露出されていましたが、それをたしなめる両親はいないようでした。
 サイババ大学のあるホワイトフィールド(バンガロール郊外)でも、同じことでした。サイババ学生も鼻をつまんで川治いの小道を歩いていました。
 ホワイトフィールドは、プッタパルティよりも遥かに緑の多い美しい所です。それでも
同じこと。サイパパを信じない回教徒(スリナガルから来たムスリム宝石商人が主です)は二つのアシュラム門前町に沢山の店を構えていました。そして、ニホンジンは最高のお人好しのカモでした。
 去年の2月には、日本人はチラホラだったのに、最近は門前町の商人&乞食は日本人の顔を覚えて、、「ジャパン、ジャパン」の連発です。すべては、スワミご解禁の日本マスコミ(JTB&ニッテレ)が為せるワザです。サイババはすペてご承知でした。さればこそ、N H Kの取材をすべて拒否してこられたのです。民放には人材がおります。渡印七千人の元種から、スワミは何かなさるのでしょうか?
 もちろん、それ以上の日本人はいくら億万長者でも、もはや印度には行けません!
 そして、運命の3年間(1994〜1997)が日本を訪れます。
 私は、出来れば、肺ペストの終息を待って、年末にバンガロール市に移住したいと思っていますが、そうなれば、3年間は」A P A Nに帰れないかもしれません。
 ボンベイでたくさんの看板を見ました。そのなかに SUPER RINというのがありました。洗濯石鹸の広告です。クリーナップ用です。何かが静かに始まっています。船井予測の
なかで、1994年冷夏米不作説は外れましたが、それは人間の予言の限界ですから、船井幸雄氏を責めるわけにはいきません。「何が起こってもおかしくない」と船井氏が仰ったとおりです。


忘年会予告
 おそらく私の最終渡印直前となるでしょうが、福岡市唯一の天然温泉「清水荘」で、イ
チ同胞の忘年会を催します。本年最後の「月会」(月と日が会う日に開くもの)ですから、もちろん12月12日の12時(正午)からの24時間です。
 申し込み用紙は11月号の『天神だより』に添付しますので、それによって参加申し込
みをなさってください。
 宴会は150人、宿泊は70人定員ですが、近辺の分宿は可能です。