しかし、私は「予言屋」にはならなかった。予言でメシを食う気はまるでなかったし、私
の予言はしぼしば外れた。「末世災害待望症」というようなものは、たしかに世の中に出
回っている。私も、そのような症状を流行させた犯人の一人かもしれない。
 とにかく、私は老人ホームに入ろうとも、『遺文』の形式で何かに書いてゆくつもりである。その内容と表現が完全にボケてしまえば、少なくとも読者はそれに気づいてくれるだうう。[9608 04後記一一ワープロなど持ち込み禁止が原則と判明。]

あと49分の夕食が待てずに
                                      於橿原園960729/1613
 パンを少し齧っている。それでもやはり、ご飯はお代りをするだうう。ずいぶん体力が
付いたから、高石市の「ほんみち」lこ行けそうな気もしてきた。しかし、あそこは無料で
食事と宿泊にありつけるとはいえ、朝早くから行事一杯の苦行的なところだし、すでに2
回足を運んでいる私に対して、彼らの心証はだんだん悪くなっている。特lこ、二度目lこはシゲを連れて行った。彼は酔っぱらった顔を向こうの鼻に突きつけるようだったから、忌避された。帰りlこ、ある老人幹部が、シゲにではな<、いくらかシラフの私に戒告した。
「ここはお道を広める人を鍛え出すところですから、物見遊山のような気分の人は歓迎し
ませんよ。ご遠慮ください」と厳しい口調だった。
 それはそうだな。「ほんみち」は天理教同様に、既に完全に宗教化している。もう行かない。

正座が好きで 
                                     於橿原園970730/0616
 私が章の初めの右上に年月日時分を刻み入れるとき、ある種の悦びがある。大邸宅の執事の朝仕事の一番は、豪華な大型芸術日めくり(そんなもの、どこに売っている?)を一枚めくって、今日のルノワールを出すことである。それは彼の悦び。悦びーーそれは神へのゴールイン)という「リン諺」もある。次は時分だ。見上げるばかりの大時計の傍に脚立(キヤタツ)を持って行って、精密に6時23分と、二つの針を動かす。それに似たことを、私は一つの文章の書き出しごとにやっている。
 さて、私は正座が好きで、すペての坐り会合を正座で過ごした。椅子での会合には、お
婆さまのようlこ、椅子のシートlこ上がり込んで、正座を決めたものだ。
 とこうが、衝撃的事件が私の身に発生した。あれは、日本のサチャ・サイババ組織としては初めての全国大会の時だった。バジャンが始まろうとしていた。婦人は左、男子は右の列lこ居流れた。もちろん、男は奇麗なサリーで着飾った女のことが気になって、チラチラ視線をそれとなく左lこやる。私もその一人だったが、きちんと正座をしていた。そしたら、印度人の指導員が来て、私の膝をひっぱたいて、「胡座にしろ」という。アグラを胡座と書くのは、おおかた、ペルシャあたりから長安へ、それから日本lこ渡ってたものかもしれない。
 [あぐら」は背中が丸まって、どもならん。猫背の原因だ。清川村の子供たちは、みな背中を丸くして斜め座りをし、まるで猫のような格好で、食膳lこ向かっていた。「こら、きちんと坐れ。背中が曲がるぞ」と注意すると、すぐ直すが、私が裏畑の見回りなどに行っているあいだは、また元の猫背に戻っていたlこ違いない。
 牧野元三あたりが、猫背男の出だしだったようだ。その連中がもう50歳lこなんなんと
しているのだから、背中を丸くしてモーターバイクに乗っている暴走茶髪族に到るまで、
背中の曲がった日本人のほうが、圧倒的lこ多い。
 サチャ・サイババも軽い猫背である。あの体型のほうが自然でいいのだという人もいる。

                         −7−
 私みたいな正座・背中真っ直ぐ派は、大日本陸軍の伝統によって軍事教練を受けた学生の生き残りだということになる。なにしろ、故・鶴田浩二は、私よりやや先輩とは言え、同世代であることには間違いない。彼は「男」や「傷だらけの人生」を歌ってから死んでいった。
 さて、正座の続き。あれはいつだったか。中村重雅さんがアスマンに来て、二人で大酒し、私が布団いっぱいにオネショをして、それを大急ぎで干したり、あの大変な日々。そのため、アスマンは尿臭ただよう異形の住処(すみか)となってしまった。いくら洗っても、畳からは小便の悪臭は消えないものだ。あれは悪いけれども、家主さんにお返しして、次の店子さんのために新畳(にいだたみ)を入れてもらうしかない。
 襖(ふすま)を黒板代わりにして、いろいろ書きなぐったから、家主さんも□あんぐりだろう。私は平身低頭して謝罪の言葉を述べる。「わたくし、東京で精神病院に入ったこ
ともありまして、すペてこれ、この乱行は躁期のなせる業(わざ)なのです。」訳わからぬが、家主さんが怒ることは必定。敷金のバックなどないかもしれない。
 そしてまた正座の話。あとで、ある印度人から、正座は縁起が悪いのだというようなこ
とを聞いた。しかし、ヨーガの座法のなかlこも、ちゃんと日本式正座は入っているのであ
る。だが(ここからが私の新発見)、シゲ騒動後に来た足の麻痺は、正座で長年圧迫してきた足の甲と足裏を直撃したのである。直立歩行のバランスも崩れ、面食らった私は、部屋から部屋へと這って移動したが、私の身体が動いたあとには、コップ・茶碗・急須のたぐいがひっくり返るので、そこらは水浸しの惨状となった。
 正座も、ほどほどにしたら良かったのかもしれない。

みんながもう帰るの
                                    於橿原園970730/1527

 と別れを惜しんでくれる。「いっそ、ここに入ってしもうたらええんとちやうやろか」というお婆さんもいる。しかし、今日午前中lこ、福祉関係のお役人が3人も来て、それぞれの見解を述ペた。
\A\老人ホーム入居lこは、あらゆる借金を奇麗にしてからでなくてはなりません。
\リ\自己破産を今進めております。
\A\しかしな、仮に入居できたとしても、入るともう、あなたにはお小遣いがー銭も出     ないと思ってもらわないといけません。
\リ\お菓子代もないのですか。
\A\ないな。それにな、あんたみたいに夜中の3時に目が覚めて、ワープロを打つというわけにはいきません。二人部屋どころか、最近は3〜4人部屋も珍しくありません。
 Aは私を少なからずガッカリさせた。
 Bはデイサービスとか、「短期・老人ホーム」の渡り歩きをして、食費を浮かしたらどうかとか、一週問に2回はホームヘルパーを派遣できるから、ご飯だけでも数日分作って
もらったらどうかと言った。小母さんlこ会えるのは大歓迎である。
 Cはもっとも私の身を案じていてくれることが、全身のオーラで分かった。彼は私の過
去の職業生活(都立足立高校から英瑞カンパニー社長退職まで)lこおいて、ナントカ費支払いが眠っていて、そこから年金を一つ絞り出せないかな、とお考えのようだった。

 とにかく全部御破算。イチlこ戻るしかない。そして、自炊のやり直し。部屋の片付け。
自己破産すると、家中の金目の物を持ってゆくと聞いた。ワープロは? 大問題だ。

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