さて、次の写真は御子ちゃん(38・杉浦浩次・183東京都府中市武蔵台3−32−5)の姪御・ミズホちゃんです。彼女については、伯父・御子ちゃんの説明がありますので、それもあとで紹介します。
(ミズホ写真)
みんな揃って縞縞模様
在橿原970601/1635
「イチ同胞」のみなさんの家庭にも、可愛いお子さんが沢山おられると思うので、瑞穂さんのキリン・ヒョウ・ウサギの絵を次の頁に入れようと思います。
私も30代に東京で個人雑誌『AZ』を発行していたころは、わが子たちが次々とこういう絵を描いてくれ、それが表紙絵になったものですが、今は彼ら・彼女らも40代のおじさん・おばさんになってしまいました。孫たちには手が届かないので、ミズホちゃんの絵をいただくわけです。絵の題は「しましまもよう」。
(ミズホの絵)
暑い暑い
在橿原970601/1646
外はもう夏でした。小学校の男の子が半裸体になって、近くの川で小鮒を釣っていました。私もウズウズしましたが、年寄りの冷や水で、あの雑草だらけの土手から滑ってドンブラコしてしまうかもしれない。足腰が弱いのは自覚しているので、もし御子ちゃんがこの錦荘に来てくれたら、一日くらい彼を助手として釣りをやってみたいと思っています。 お粥一合ではどうにも足らず、バラ銭を握って近くの中華料理店に中華丼を食べに行きました。600円。夜食用に、250円の餃子を持ち帰りました。プロの料理人の腕はさすがのもので、私は豚肉までもペロリと食べてしまいました。自分であれを作ろうとしたら、材料費だけでも何倍かになり、結局は野菜などを冷蔵庫のなかで腐らせてしまうのがオチでしょう。
もう夕方5時を過ぎても、室温は27度C。サンデ−なので、日本中が今遊んでいます。テレビは素人名人会。気持ちがどうしてもそちらに流れてしまう。次のペ−ジから、どちらかと言えばマジメすぎる哲学的・文学的な御子の作品が並びますので、あらかじめ読者をリラックスさせておこうという私の魂胆です。
私も別れた女房・愉美子から、次のように批判されたことがあります。
「あなた、今までマジメすぎて遊んだことはないのでしょう?」
「うん、そうかも。」
ところが、別の場では、次の痛烈な批判も受けました。
「あなたは、今まで命がけで女の人を愛したことがあるの?」
「いや、そう言えば・・・」とシドロモドロでした。
命がけといえば、その女のために死んでもカメヘンということではないか。
私にはそういう妻や愛人はいなかった。故に、相手が変わりつつ、人生が流れてしまったのです。
私は不まじめだったとは思わない。オンナを遊びの相手にしたことはなかった。カネで女を自由にしようなどとは、考えたこともなかった。
38歳で童貞の御子ちゃんは、きっと私とは桁外れにマジメなのだろう。
その点で、私は彼を理解している。彼が毎月定期的に私のところに来て、遊ぶなり昼寝をするなり勉学をするなりは歓迎です。
彼の父母は大切にしよう。恐怖を与えるのは控えよう。
御子もむかしオウム真理教に「出家」したことはある。一週間ほどで脱離したから、何も被害はなかった。
牧野元三も、一時は、麻原ショ−コ−の世話になっていたし、どうしてそういう縁のある人ばかりが、私の周囲にいるのかなあ。
(御子文 P1)
御子文は続く
在橿原970601/1737
彼のワ−プロ文は小さい紙に打ってあるので、あちこちにスペ−スが出来ます。そういうところには、私の肉筆文を入れてみましょう。どんな出来になるかは分からない。
彼の「おせっかい」という章(彼のP5)には、少々文句があるが、もうそういうことは言うまい。私の愛児の一人なのだからね。
(御子文P2)
(みこ文P3)
(御子文P4)
(御子文P5)
錦のたまづさ・創刊号