自転車泥棒
                                       在橿原970622/1030
 返せば泥棒ではないという理屈は成り立たないと思うのですが、村井君は駅前のロックしてない自転車に乗ってきました。彼はタバコはやらず、酒もビ−ルを少々というところですが、うちの風呂に入れて汗を落とさせ、そのあと食事をしてから、「大阪の天王寺にセンセイを遊びに連れて行ってやる」ということになりました。その泥棒自転車のうしろに乗れというので乗ったのですが、私だって51キロはあるし、彼は60キロを越えているしで、とうとう途中で転倒し、私は左の膝小僧を少し痛めました。「かなわんな。タクシ−にしようよ」と言ったが、彼はその車を返さないといけないし、結局私が乗って、彼がうしろから走ることになりました。私はもう2年間も自転車に乗っていないし、自信がなかったが、慎重運転でどうにか駅に着きました。ワコ時代に、彼女から「もうお年だから自転車はおやめ遊ばせ」と言われ、ずっとやめていたのです。明日香マンション時代に持っていた赤い自転車も盗難にあって紛失しました。
 私と元三が、西大分の「八崖の家」(蜜柑小屋を改造した家)に住んでいたころ、大分駅からロックをしていない自転車に二人で乗って帰ったことがあります。私たちも泥棒だったのですから、村井英人君を無下に非難もできません。酔っぱらっていると盗心が生じます。私と元ちゃんとの16年間乞食旅中も、あるホテルから洒落た浴衣を持ち帰ったことがありました。これらは懺悔です。このごろも、ちょこちょこと箸置きのような小物をポケットに入れることがあるから、どう考えても私は聖人ではありません。
 自分のものと他人のものとの区別が無くなるという悪癖は根深いのです。私の著書30冊ほどは一冊も家に置いていません。みな、人にやってしまうのです。一番ひどい例は、愉美子との新婚時代、十和田湖あたりの飲み屋で、ある男と意気投合し、「どうだい、この女房可愛いだろう。何だったら君にやるか」と言ったことがあります。愉美子は激怒して、タクシ−で先に八戸の実家に帰ってしまいました。あれは大失敗。夫としては、口が裂けても言ってはならない言葉です。もっとも、「じゃあ、頂きましょう」という男はいないけれども。


大阪でのパチンコ
                                      在橿原970622/1053
 ムライはパチンコで儲けようと思って、私を2軒ほどに誘いました。私は賭博に興味がないし、私がそばにいるだけで彼の運も尽きるようでした。「トロピカルってどんな意味かい?」と聞くから、「熱帯という意味だよ」と答えたら、首を傾げながら「まあ、そういうことか」と、私を或るビルの屋上のビアガ−デン・トロピカルに招待しました。白人の美女が4人出てきて、肉体美を誇示して華麗な踊りをしました。私は「こんな俺の娘みたいな女が、こんな稼業で青春を空費するのか!」と悲しい思いで見ていました。ムライによれば、ああいう女を一晩自由にするのに60万かかるとかでした。ますます悲しくなって、私は枝豆と黒生ビ−ルに集中していました。
 あいだの時間に無料カラオケサ−ビスがありました。「センセイも出ろ」というので、美空ひばりの「真っ赤に燃えた・・・」と「人形の家」を歌いました。どこかのおばさんが舞台に飛び出して、私とデュエットしました。ムライの精一杯の謝恩でありました。
 しかし、彼はカミを信ぜずカネを信じている男でした。彼のサニ−サイドホテルは西成のドヤ街の真ん中にある一泊1100円の宿でしたが、3畳ほどの大きさで、彼の布団で一杯。部屋脇に6万で買ったという創価学会の中古の仏壇がありました。あちこち壊れていましたが、それを私に贈呈するという。私の娘の一人・マリヤは学会の家の嫁になって子供も儲けていますが、私は今更、池田大作を拝んだり日蓮上人を「本仏」と崇めるわけにはいかない。断りました。すると、「家事を取りしきる下女を大阪から派遣してやろうか」と言い出す始末です。シャブ漬けの女など桑原ですが、彼の好意はよく分かるのです。
 「センセイはそこで寝ていろ。1チャンを押すとポルノが映るよ」と彼は「仕事」に出て行きました。おそらく花札でしょう。「センセイはあすの朝帰ればいい」とか言っていたが、私はすこしまどろんだあとで、迷い迷い、ホ−ムレスが鰊(ニシン)のように眠っている道を通って、阿倍野橋にたどりつき、橿原神宮前に戻りました。ああ、大変だった。 神仏を信じていない男でも、私が彼の収監中いろいろ激励指導したということで、それを恩義に着ています。私は「プラ大」(プライバシ−大公開)の男ですから、彼を逮捕することができるかもしれないが、110番に持ってゆく気にはならない。
 彼は私を信じているのだから。
 シャブ中は殆ど不治かもしれない。私のアル中とニコ中と同じように。
 それこそ、オヤサマ・カミサマの不思議な助けで、彼は救われるかもしれない。
 「あいつはだめだ!」と私には言い切れないのです。
 彼とオ−ラ−交換をすると、非常に疲労します。微子のときもヘトヘトとなったが、一人一人と丁寧こまめにつき合うのが私の仕事(天職)ですから、これはどうにもならない。 運を天に任せて、一人一人に祈るばかりです。


ツチラッキョ
                                      在橿原970622/2049
 私は物価というものを殆ど知らないので、ツチラッキョを、A−COOPで一袋780円で売っていたとCO−OPの紙きには、まさに飛びついて買ってしまいました。
 ラッキョウを甘酸っぱく漬けたものは苦手で、口にすることは滅多にありませんが、塩で押して一夜漬けのようにし、3〜4日経ったころは絶妙の美味を発します。買い物から帰って、早速バケツ水に浸しておきました。
 普通の奥さんの買い物を見ていると、6000円くらいはチョロッと買ってしまうので、目を丸くしていました。私の伝票を見ると、合計が3732(みなさんに)とありました。自分のために買い込んだという実感がありません。ミナサンから集まった寄付金で買ったものですから、「ミナサンニ」還元したような気さえします。
 印刷が明瞭に出るかどうかは不明ですが、レシ−トをここに貼っておきます。私の日常生活をお察しください。
 あと4分すると、勝新太郎の追悼番組で、1883年松竹の「迷走地図」をやります。松本清張の原作です。それにしても、勝は何であんなに早く死んでしまったのかなあ!私より5歳若いのです。


みんな死んでゆく
                                      在橿原970623/2033
 座頭市の彼が世を去ってから、コスタリカの海でザトウクジラの猛烈な生殖活動が始まっています。(これが多くの人が懇望する「日記」ではない「一般的情報」なのかな?)
 そういう生物情報とか、今日本で徴兵制採用が、秘密裡に橋本と彼の親分のあいだに進んでいるというような政治情報も、諸君には興味ががあるのかな。私には全くない。そんなことに気を取られているような「時期」ではないのだ。マスメディアには情報が氾濫しています。人々には基準も方針も原理もないので、そういう情報を漁って、毎日を空費しています。そして、「何といったってカネが要るのだから」と、金儲けに奔走し、心身を極度に疲労させ、医者通いをし、毒薬浸けになって、寿命を縮めています。何という憐れな文明社会の現状でしょう! 私は21世紀を目ざす仙人だから、そのような情報を
錦のたまづさ・第2号