むじな
ことになった。皮肉なものである。

 和正さんは九十九里浜の片貝という田舎に妻と住んでいたが、よく孝養をつくし、父が世に旅立ったときは、手製の棺桶を自転車のうしろに乗せて、焼き場に遺体を持って行ったと聞く。自転車を押しながら、どんなにか泣いただろう。

脱肛
                       在橿原990406/1256
 豚肉が災いしたと思うが、便秘から切れ痔と脱肛になってしまった。便所に行くのが厭で、なるべく我慢するので、とうとう週に一回の排便になってしまった。切れたところからポタポタ血が落ちる音がする。地嶽の苦しみだった。夏休みだったので、脱肛は化膿した。座っていても痛い。外出なんて思いもよらぬことだった。1週間の最後の2日くらいになると、どうにか歩けるようになって、子供らしい遊びを外でやった。
 ある日の散歩で、私は私鉄の踏切のほうに行ったら、人だかりがしている。大人たちの脚のあいだから、軽トラックが電車と衝突したところで、運転手の頭が割れて、中の脳味噌が見えた。人が事故で死んだのを見たのは、生まれて初めてで大変なショックを受けた。また、そのドクドク出る血液が、私の脱肛を連想させた。急いで家に帰った。父母にも親類にもその話はしなかった。脱肛のことも父母に話さず、私だけの秘密として、窓に凭れて電車の走るのを見たり、兄ちゃんたちの古雑誌を読んでいた。〔子供の科学〕や〔立川文庫〕が私の愛読書だった。お陰で学校に上がる一年まえに新聞も読めるようになった。
 新聞小説に「投げキッス」というのがあっためで、おねえちやん(あとでエレベーター会社の社員に嫁いだ)に、二階からその真似をしたらキャッキャッと笑い転げていた。私はむしろ、大人はどうしてこんな何げもないことに興奮するのか、それガ不思議だった。
 翌年、学校に上がるころは脱肛は治っていた。元凶は豚肉の過食だった。


                       在橿原990407/2321
 長眠病にでもかかったみたい。朝の9時から夜の11時まで寝ていた。実に14時間も寝ていた。もちろん、途中のオシッコや食事はあった。しかし、眠りたい、眠りたいが人生の主眼になっていて、仕事はしたくない。合間合間にウイスキーは飲んでいた。それが72歳の今日の一日。でも、やっと真夜中近くなって、仕事みたいなことをしていた。
 私の幼児期は、「かあちゃん、オチル。」[お汁はまだよ」と母の答え。台所でネギを刻んでいる音がする。「ちやう。リンチャン、オチル。」「ああ、おっきするのね」とやっと了解して、寝巻きを着替えに来てくれる。晴れ晴れしい朝の陽光。私はしあわせだった。

 なんです、今は? だれも味噌汁を作ってくれない。お茶もこない。−人暮らしはやってみないと分からぬだろう。料理を作るのが面倒くさいから、ホワイトを飲んで誤庵化している。夜型人間はこれからが活動だから、ハラが減れば、仕方

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なしにレトルト・力レ−でも作るのだうう。ああ、カアチャンが欲しい。

 小学校1年のこう、秋山先生が、「ひかりという字を書ける人は黒板に出てください」と言った。私も黒板の左端に出て、光という字を書いた。それから、ほかの子の字をみた。みんな揃って「ひかり」である。私は失敗したのだううか。秋山先生は両方ともいいですよ、と言ってくれた。教室のうしろに立ち並んでいる母さんたちはどよめいた。だって、新聞小説を楽に読める私だったから、反射的に漢字が出たのだ。

生卵で下痢
                       在橿原990412/1832

 これはあとから書き足している。
 杉並第3小学校に入学の日に、醤油と生卵をご飯に掛けて朝飯とし、そのまま母ちゃんに手を引かれて学校に行ったが、生卵には下痢作用があったのだろう。ウンコをしたくてたまらない。とにかく我慢して、校門から便所に飛び込んだ。
 今は生卵に強くなった。めったに下痢などはしない。むしろ便秘で、寝る前に下剤をのむがあまり効かない。私は幼いときからウンコに苦労している。下剤をのみすぎると、下痢になるし、困ったものだ。

 大酒飲んで下痢することはある。

つまらんことを書いている
                       在橿原990412/1948
 抽象的に高尚なことを書けばいいのだ。
 ところが、身辺にくだらぬことしかないので、こうなってしまう。
 隣の菊池哲栄の部屋に行っても、ロック開け放しの無人の部屋である。彼は大阪の住吉連合の大物のところに行ったのだ。馬場くらいの大男で、焼肉は一度に10人前を食うという。毎日の食費が5万円というから、普通の人間ではない。沼に嵌って動けなくなったトラツクを、あらゆる機械を利用せずに、自分の腕力だけでヨイショと引き抜いたという。菊池哲栄はこの大男に惚れ切ってしまったのだ。その男を徹底的に「利用」しようとして、大阪に行ってしまった。
 惚れるのと利用とがどういう関係を持っているのか分からないが、菊池哲栄が憑霊中であることは間違いない。高野山の行者ともだいぶんつき合ったというから、今朝早朝私のところに来た彼方からは、修験道(シュゲンドウ)の霊どもがムンムンと吹き出ていた。
 今、私はその悪霊どもの浄化に必死である。
 早く晴れやかな日が来ないかなと思っている。
 霊障は、特に私のような人間に多い。無感覚で鈍磨している人間はテレビでも見ていたらいい。こちらはそうは行かない。

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