むじな
雄松雌松の隔てなし
                         在橿原9904/0544
 これは「おやさま」(中山ミキ天理教祖)の有名なお言葉である。
 このお言葉の正反対を私は前章に書いてしまった。「男尊女卑」は、明治以前からの男女の差別を表した言葉である。あの時代に「隔てなし」と言い切った「おやさま」ほ偉大である。当時の社会傾向を覆したからである。しかし、男女の生理的区別ははっきりしており、男女平等を唱えても、男には妊娠や出産はできない。(インドでは男は立たず、しゃがんだ姿勢で小便をする。もちろん、公共建築物には男子用のトイレはあるが、私は田舎で男の座り小便を見かけた。)
 実はこのごろ、私は大小便をともに座ってやるようになっている。小便が出切ってから自然に大便に移行するのが、甚だ妙である。諸君も試みるといいと思う。伝統による恥ずかしさを乗り越えたら、座り小便が如何に合理的かが分かるだろう。
 だが、性交体位において、挑発的には、女が上になることもあるが、大抵の女は自分が下になる正常位で安定する。男が下になって射精すれぼ、精液は逆流して子宮に届かないだろう。

 社交ダンス一つを見ても、男がリードするようになっている。それが自然だからだ。バレエで、力持ちの女がヨイショと男を持ち上げて振り回しても、それはサマにならない。反自然は醜さを伴う。「男尊女卑」は今の時代には合わないが、21世紀には、「男上女下」がはっきりしてくると私は予感している。しおらしい、素直な、楚々とした女をみなが大切にするようになる。レストランのシェフは男であり、料理術そのものでは、男子が優れている。寿司を女が握ったら、みなはそっぽを向くだろう。役割分担ははっきりしているのである。
 それでも、人間としては「雄松女松の隔て」はないのである。マリア・テレサやへレン・ケラーのような立派な人物は男には出ない。しかし、仏陀、モーセ、キリスト、その他の神格に達したグルたちは、みな男子であった。

穴熊
                       在橿原990411/0923
 アナグマのことをムジナと呼ぶ地方もある。イタチ科の肉食獣、体長50センチ。 11月から翌春まで冬眠する。毛は硬いので毛筆用とする。
 私はタヌキよリアナグマかもしれない。ウツ中は冬眠する。髪の毛は硬い。

 昨日(10日)は菊池哲栄、とうとう帰ってこなかった。本当に高野山の木で首を括ってしまったのかもしれない。

 穴に潜っているクマのような生活に、突然お呼びが掛かった。今日は4月の第二日曜日で、橿原神宮で予科練その他前の大戦で海に散った英霊の慰霊祭がある。同じ海軍にいた那須さんが私を車で迎えに来たのだ。脚の不自由で出不精になっていた私

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も、彼の熱心さに負けて彼の車に同乗した。小雨が降っていたが、500人は集まっていた。自衛隊の音楽隊も参加して、賑やかだった。ただし、延々たる番組は1時を越しても終わりそうにないので、那須さんに家まで送ってくれるように頼んだ。昨晩から炊いてある麦飯が私を待っていた。「米だけの酒」は残り少なになっていて、これもペロリと飲んでしまった。
 日曜日なので酒屋は休み。知恵をしぼって、中華料理店に出前を頼むことにした。お子様ランチ500円とビール2本という妙な組合せである。まあまあたりることであろう。
 この穴熊はまことに飲み熊である。それにしても、菊池哲栄は相変わらずの行方不明。あれは「はぐれ飲み熊」である。

月夜の願い
                       在橿原990411/1454
 今日は3時15分から、93年香港の映画を見る。ピーター・チャンという主演俳優がどんな人か私は知らない。これを見ていると、4時にお子様ランチとビールが来る。日曜日らしい時間の過ごし方である。それにしても、私の脚は全くヨロヨロになってしまった。

 月夜の願いは映画の題名であるが、これも別のチャンと同じく武闘ものなのだううか。何でもいい。題名は充分にロマンチックである。

 カンフーは全く出ないロマンティックなよい映画だった。思いがけなくタイムスリツプをテーマとしているものだった。幼時に父を恨み憎んでいた息子が30年前の過去に戻って、若かった父親と交際し、父が素晴らしい人間であることに気づき、心から和解し、それからまた現代に戻ってくる物語だった。

 私は50代で父母と完全に和解し、彼らがあの世に去ったあとは、二人とも私にとって神仏のごとき存在である。

 ただ一つ、不思議なことがある。私たちが土佐山田の道場を「昼逃げ」したあとで、岡山拘置所に収監されるまえ、警察が私たちを逮捕に来た前の晩、私が祈っていたら、神に強く叱られ、「こういうことは二度とやるな」と言われ、そのあとで例の祈りを与えられた。「お父様ありがとう、お母様ありがとう、そして皆様ありがとう。」
 その夜のこと、父は池尻の自宅で非常に脅えたという。「リンが来る、リンが来る!」と叫んだという話である。私は父母と衆生への感謝の祈りを繰り返していただけなのに、何で逆に父は受け取ったのだろう。いまだにその理由は分からない。

 もっと前、私が鶴子と仲よく暮らしていたころ、鶴子の体を借りて、十菱家の曽祖父(茶の輸出をして財産を築いた人)の霊言が出た。妻の手を握ってみたら、氷のように冷たかった。そのとき、恐れぬようにと前置きしてから、曽祖父は「リンを一生可愛がって、面倒を見てやるよ。安心しなさい。」そう言ってから、鶴子の身体から離れたので、彼女の体温は戻った。これに似たことはその後二度と起こらな

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