むじな
かったが、守護霊の訪問は滅多に起きるものではない。奄美大島で繊子と暮らしていたころ、ひどい急性扁桃腺炎で苦しんでいたとき、亡父が現れて瞬間治癒をしてくれたことは、すでに書いたが、同じ亡父からそのあと、「旅中、金に困らないようにしてやうう」と、霊界の都市のホテルに泊まっていた父は、私に分厚い封筒をくれた。中身は現金だった。祖先霊からの助けはこの3回のみである。

てんかんではないか
                       在橿原990411/1906
 と医者が診断した原因不明の癲癇におぴえた愉美子は、深夜に私に涙声の電話をくれた。私は昭和から平成に換わったばかりのアルコール病院にいた。また赤ちやんの日女がそんな状態になったのは、「何度も退院させてくれと哀願したあなたを無視した罰だと思うの。どうか祈ってください」とのことだったので、その晩は病室に戻ってから祈った。翌日は、愉美子からまた電話が来て、「痙攣がおさまって、すっかり元気になりました」と報告があった。

 そういう小さい奇跡のようなことは、私の一生にいくつもあったような気がするが、思い出すにはきっかけが要る。平生は忘れていて、何か一旦事がおこると、私のなかの超能力が発動するが、欲でそれを起こすことはできない。神さまの仕事である。人間の関係したことではない。

菊池哲栄の出現
                       在橿原990412/0657
 今朝4時のチャイムが鳴ったとき、起きて小用に行った。5時間は寝ていたと思う。何かが起こりそうで、私はじっとしていた。すると、すぐ玄関に人が来た音がした。出てみると、5日以来行方不明だった菊池哲栄だった。
 二日かけて高野山からここ橿原まで歩いてきた。野宿である。酒は一日に一升飲むが、何も食べていないという。「完全なアル中状態です」と自分で認めた。5時すぎて帰って行ったが、家の中では眠れず、地獄の夢ばかり見て、うなされるとかで、せっかく自分の部屋があるのに、そこには泊まらず、山で寝るという。山や森林で休めば、悪夢を見ることはないそうだ。かれは自分の預金通帳を置いていった。それを見ると、福祉の金は受け取りに行っていない。3月29日にCD138,000を引き出して、301円残しているだけで、あとは出金も入金もない。CDとは何だろう。私には分からない。

 雇用主から未払いの給料が36,000円あるから、彼の代わりにその人(宮森)にかけ合って、通帳に入れてもらいたいと言う。

 急に空腹を覚え、台所に麦飯を食ベに行った。おかずは納豆。お子様ランチは固い肉のフライがあって歯が刺さらないので、戸外に出した。

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ひとりあれ、ひとりあれとのかみことば
                       在橿原990412/1322
 そのあと、「そのままそのままうけよ」と閉じる神言葉は、何年も前から私に与えられてきた。このカミコトバは、私がまだ平和に愉美子と家庭生活を営んでいたころからだったから、私にはその意味がよく分からなかった。
 しかし、神の定めで、その後私は完全独り身の状態になった。
 弟は二人。上の弟は珠樹、今日69歳になる。回りの友人が次々死ぬので、一時参っていた。今日が誕生日なので、電報を打った。曰く、

    無垢(69)の歳 幸せあれと神祈り 人多けれど兄は一人ぞ」 リン

 兄さんは一人しかいないぞ、というのは一寸押し付けがましいが、本当だからしかたがない。この歌にはウソがない。

 「ひとり」というのは集中の言葉だ。自分はひとり、その自分の面倒を見ている神さまもひとり。八十八箇所のお遍路さんが繰り返す「同行二人」(ドウギョウニニン)である。

あのれのことばはかみことば、神の言葉は己の言葉
                       在橿原990412/1322
 そのあとにもやはり、「そのままそのまま受けよ」と来る神言葉である。
 これも難しい。何度も何度も考えた。「コンテキショウ!」と怒鳴っても、それは神の言葉なのだううか。憎みや呪いの言葉も人の口から出る。それも認めたら、至純・至美の神さまの言葉はどこへ行ってしまうのかな。
 人間は四六時中、神に包まれ、神から力を与えられているのに、なぜ「バカヤ□、チクシヨウ」が出るのだろう?
 神は不可解なもので、言葉の一つ一つをも創りたもうた。それを全部人間に使わせている。「間違った」と人間が思う言葉を出すのも、人間の知恵や力とは関係ないのではないか。そういうことで、一々自分を責めていて何になるのか。強盗がわが子の首を絞めようとしているときに、「コノヤロウ!」を言わない父親はどこにいるだろう。
 理想的宗教主義者lよ、「はい、どうぞご存分にあ絞め<ださい」とでも言うのだろうか?それが、強盗への愛の言葉なのか?

 神仏は理解不能の存在である。自分でわかったつもりの神さまなどは、屁のようなものではないか。

     不動にて何があらうと不動なる明王さまを守護仏とせむ

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