こちらもお酒。ちょっと飲みすぎたと思うけれど、例によって眠気が来ません。また睡眠剤か。
 今夜も12時近くなってクスリだそうです(「おやさま」に伺って)。それじゃ、どうしてもこの[ゆっくり]という本も、早く終わってしまうのではないかと思います。来客があると、それだけは「ゆっくり」になりますが、去ればまた元どおり。どうしても、この頭脳を動かし通しでないといけないようです。

 いつも云う通り、私には特にあなたに与えるメッセ−ジというものがありません。何にもしていないと苦しいので、こうやって書いているのです。強制観念に似ています。近ごろ、タバコを吸うと、その煙が自分でもたまらなくなり、北側の引き戸を明けて、煙を出すという奇現象も始まりました。タバコが止まるのも近いのかな。

 いっそ入れ歯を外して寝てやろうかと思います。9時14分。どうせ駄目でしょうが。床中の欠伸と涙も尽きて起きてきました。9時34分です。いっそのこと、残り酒を飲んでやろうかと隣室の引き出しのところに行ったら、五月はまだ彼女の牙城である台所でまだ起きていました。空腹で眠れないのではあるまいか。私は下痢を覚悟して、酒を飲んでいます。(牙城の牙は"大将の旗"という意味。いっしょで本拠ということになります。)
 堂本正成さんは味噌汁も酒も辛いと云っていました。神戸生まれの彼は、生粋の関西人、何でも甘く柔らかい味が好きだとのことです。五月と私は辛いものが好き。妙なところで一致しています。あすは一味を買うというから、七味にしてくれと頼みました。ちょうど今、五月がこの部屋に置きはなしにしてあった茶瓶を取りにきました。何を独りで考えているのだろう。考え深い女であることは確かです。

 私は終わりのない酒に戻りました。神様にはいつもストップをお願いしていますが、崇教真光の人にこのことを話したら一笑に付されました。彼女らには問題にならないのです。そんなもの、「手かざし」で消えてしまうからです。彼女らは至極健康です。昨日(だったか)、彼女ら3名が私をここに送りとどけたあとで、ニュ−タウンに帰った一人が、自転車に乗って様子を見にきました。15分ほど待っていたときです。喉が焼けるように乾いていたので、ジュ−スをその人に買ってきてもらおうとして、財布に手を伸ばしたとき、雨のなかを傘さして五月が帰ってきました。崇教真光の人は安心して去りました。五月は、創価学会は嫌いだが、崇教真光の人はいいわねと感想を洩らしていました。

 5月20日は五月の誕生日。そのことをヘルパ−に云ったら、「その日はちょうど土曜日で私たちが来るから、ケ−キを買って上げるわよ。それをプレゼントして」とのことでした。おんな同士には独特の発想があります。男には思いつかない。女同士仲良しなのはとてもいいことです。男同士はなかなか仲良しになりにくいものです。拮抗心や対抗心や闘争心が働くからでしょう。

 男は女を想って独り酒という俗歌が多いですが、私はあまり感心しません。それをやりすぎたせいかもしれません。女だって、男を想って独り酒というのはあるわよ、と云われるかもしれません。よく分かりません、女の世界だから。−−ああいうのは、男が男心で勝手に女ごごろを作るのではないかな。女は、愉美子やワコのように別れた男にあっさりしています。五月は本当に赤の一枚毛布にくるまって、寝た模様です。10時14分。


どうしようか
               在樫原平成12年4月28日午後10時16分
 一升パックを飲み干したら、それをビニ−ルバッグに入れて、あすヘルパ−の目に届かないようにせねばなりません。オンナは怖いのです。女を苛め抜いたからこそ、こんな風になってしまったのです。私の痔は背骨の骨の一つが突出しているからだ、とドウモト氏が云いました。治らぬ病気ばかりで参った参った。珠樹が来れば、どうせ飲むでしょう。アル中も治らない。ヘルニアも。また病気ばなしばかり。

 でも、「鬱」ではないという妙な状態です。「鬱」はアルコ−ルでは治らない−−それは体験上よく知っています。たまたま、「爽」とアル中が鉢合わせしたのです。

 再度、「おやさま」に伺ったら、睡眠剤を飲むのは11時半よりあととのこと。昨夜と同じです、いまは10時32分。眠りに逃げてはいけないのですね。今の私は。この分じゃ、連休中にこの本も終わってしまいそうです。

 そこらに寝っころがっていたら11時になりました。酒は休み休みでないと飲めません。それだけ、酒がこの老体に響くようになったのでしょう。老体とはnegative(否定的)な言い方でしょうか。若体とは云えないしね。「老いていない」とか二重否定をするのは面倒なのです。素直に、老人は老を認めたほうがいいというのが、私の考え方です。前に、あるヘルパ−が「十菱さんは老けていないのよっ!」と大喝を入れてくれたことがあります。あれも強度の暗示療法かもしれませんが、私はやり過ごしました。

 私は天の邪鬼かもしれません。ドウモトさんは「中途半端」と評しましたが、それもやり過ごし。私は微妙な尿意でトイレに行きます。すると、思いのほか大量の尿が出ます。医者は瀕尿症とか多尿症とか病名をつけてくれるでしょう。これが今のそのままと思って、私は病院にはゆきません。治るときは治るし、治らぬときには治らぬのです。

 11時半の大峠まで、まだ3分あります。服薬はそのあとです。クスリ嫌いの私もミン剤だけには降参です。やはり零時まで、これを書き続けるのでしょう。服薬は何時にと再度「おやさま」に訊いたら、「零時よりあと」とのお応えでした。もうどうにもなりません。徹夜は辛いです。現に今、腰が痛くなっています。寝ころがります。

 睡眠剤を飲むなというのが神意なのでしょうか。料理用に残してあったパックも台所のゴミ箱に捨ててありました。五月が飲んでしまったのかもわかりません。暫く起きていたから。−−ヘルパ−に見つかるとまずいので、ビニ−ル袋に入れましたが、生憎それが半透明で中身が見えるのです。酒がまったくないとなると、飲みたくなるものです。私ひとりの暮らしのときは、酒を切らしたことは殆どありませんでした。たまらぬ晩はタクシ−を呼んで、午前2時までやっている焼き鳥屋に行って散財したものです。今日はそこまでやりません。零時を過ぎたら、睡眠剤をのみます。
ゆっくり