事件ものはやっと終わりました。五月は台所に去りました。彼女の性質として、台所の片付けを済ませてから寝に入るでしょう。私のためのウナギが効いたのか、「手かざし」のお陰か、いくら飲んでも酔わないし、眠くもなりません。大島さんの本には、MOA(元・愛神さんご推奨)のことは独立では出ておりませんが、岡田茂吉が大本から脱会して創立した

世界救世教については2ペ−ジ書かれています。MOAの正式名称は「財団法人MOA美術館」です。世界救世教の分派の一つです。岡田の教団は昭和25年には「世界メシア教」の名で知られていました。彼が昭和30年に74歳で他界すると、例によって教団内に分裂・対立が続き、幾多の新教団が出来ました。しかし、元の岡田茂吉の浄霊の仕方は各派に受け継がれています。対象から30センチの距離をおいて、「手かざし」をして、霊光を照射し、相手の霊魂を浄化するものです。分立をかずかずくり返しても、この浄霊はどこにも見られるというのは、岡田茂吉の偉さを物語るものでしょう。

 私は暑くてたまらぬ室温22度の11:15PMです。酒にも宗教にもキリがない有様。宗教談義には少々飽きてしまいました。酒だけには飽きないから、やはり本アル中かな。今夜はミン剤をやめて、起きていられるだけ起きてみましょうか。もう子の刻に入っています。そして、丑寅の勤行となります。新日鉄の仕事をしていたころは、カネのために午前4時までタイプを打っていて、身体をこわしました。今はカネのためでも何のためでもありません。寝られないから起きているだけのことです。

 よく飲めるものです。「のために」を文芸のためにと云う人もいるかもしれませんが、私は文学・文芸には、さほどの関心がなくなりました。だから「何のためでもない」のです。60人の読者のためにと云えば、ずっと正確でしょう。でも「為になる」かどうかは不明です。手紙としても、相手の「為になる」手紙を書ける人なんか、世の中にいるのでしょうか。五月の猛烈な喘息を隣室にして、これを書いているのです。彼女は私の書くものに一切の興味を持ちません。イチ同胞であっても読者ではありません。


ヨヨと泣く
                           在橿原平成12年4月29日午後11時37分
 五月もごくたまに大酒をすると、シクシクまたはヨヨと泣き崩れます。だから、あまり飲まないのです。私は泣き上戸でも笑い上戸でもありません。怒り上戸だったことは、昔ありましたが、今はそれも消えました。ただ、やはりこれだけ書き続けると、草臥れますね。この字は、長旅で草に臥してばかりいると、くたびれるから来ているのでしょう。私は家ぐらしですから、その意味のクタビレはありません。書きくたびれるのです。あと13分で午前零時です。ミン剤を飲もう。

 あとは指がヨロヨロになるのを待つだけです。通常の不眠症者のやることをやっています。スイスの法律家・哲学者・政治家にカルル・ヒルティ(1833〜1909)という人がいました。かれの[幸福論]は読んだことはありませんが、[眠られぬ夜のために]は若いときに読んだことがあります。ただし、その内容は忘れてしまいました。この本の存在を皆さんに知らせるだけです。彼は76歳で死去しました。今の私より三つ年上です。
 眠られぬ夜のためには[眠られぬ夜のために]を読めばよかったと朧げに覚えています。
朝寝朝酒                在橿原平成12年4月30日午前9時59分
 9時40分まで寝ていました。早寝の五月は5時半に起きていたと云っていました。その後、崇教真光の人が二人お見えになりました。毎日のようにセッセと「手かざし」をしてくださいます。ミン剤にも「手かざし」です。大抵の人はこんなことをしてに何になるかと思うでしょう。私はこれでいいのです。毎日、お人が来られるだけで幸せです。

 お中(夏目漱石の表現)が空いてきました。五月がちょっと待ってねと言っていました。待つのは平気ですが、待ち酒をやっています。酒と食事が分断されたのは、私にとって奇跡です。前は、酒をやれば飯が食べられぬという定式が出来ていました。それが壊れたのです。

 朝も昼も食べ、特に昼は続けざまのウナギの蒲焼、「手かざし」もあってか、午後は2時間も昼寝をして、今は2時47分。それで今は酒中です。黒い下痢は大歓迎とあって、私の意識は変わりました。変わったら逆に、下痢が止まりました。「阪神大震災」の年には、私はワコのサポ−トで玄米食をわずか食べていましたが、便秘に悩んでいました。あのころは世界救世教の人が遠くから来て、ときどき「手かざし」を施してくれましたが、だんだん退屈し、何も効かなかったようです。でも、親切な人で無農薬の野菜をよく持ってきてくれました。世界救世教は信者が83万5000人いますが、分派を入れれば、全国の「手かざし」人口は何百万人となるでしょう。


昼寝をしない五月も
                            在橿原平成12年4月30日午後3時11分
 彼女は5時半に起きたせいか、いま隣室で毛布にくるまって昼寝中。私はもともと風船のような存在。風が止まれば、そこらに漂っています。興奮でもしてみたいが、酒すらも私を興奮させてくれません。若さは興奮そのものでしょう。何でもないことにキャアキャア言っているのですから。

 崇教真光の人は生まれ変わりを期待しているようなことを言っていたので、「私は霊界行きっきりになりたい」と言ったら、「幽界のご修行が長いのですね」との返答。食い違いはありますが、私は議論をしたくないタイプなので黙ってしまいました。議論は観念上の波立ちです。その人の本性が変わるわけではありません。

 4キロ増えて、その肥えはまず腹に出ます。最近そういう体験がないので、今後どうなるのか分かりません。五月は規則的に食べているのに、まだ30キロ台のヤセッポチです。でも、客が来れば、接待を優先させて、自分の食べるご飯がなくなるという人ですから、規則的とも云えません。昨日奮発した1万円の自転車にもなかなか乗りません。生活スタイルを変えるのに時間がかかるという頑固タイプなのかもしれません。すべて放置してあります。彼女には彼女の人生があるから。自転車事故で死なれでもしたらたまらない。
 もうすぐ第3章はおわります。宗教話が身に付いて、なかなか俗話が出てきません。新宗教(そして恐らくは旧宗教も)は、信者が圧倒的に女性です。男は女に引きずられます。特に今は、全庶民に女上位の姿が見られますから、これは理の当然でしょう。女が首相や大統領をやっている国もあります。憲法を改正して、日本にも大統領を置き、その人が婦人だったら、ずいぶん物事が変わることでしょう。「父の厳、母の慈」と云いますが、厳父など居なくなったみたいです。「ナニナニに優しく」が世間の通り言葉です。下手に厳しくすると、その父親が息子に殺されてしまいます。大変な時代になったものですね。
ゆっくり