狂った時代には自分も狂わなければなりませんが、神狂いが一等です。神に狂うと、ほかの人はもちろん「ヘンな人」と云いますが、本人は安泰です。モノカネ狂いの人をどうにかして上げたいという大慈悲心が働きます。それが今の最上の生き方です。

        退屈にとどめ刺さむと思へども手も足も出ず意思も消えたり


                        第4章

いよいよ5月1日
                              在橿原平成12年5月1日午前1時52分
 クスリ抜きで寝ようとしたら、夢続きのうたた寝みたいなもので要領を得ず、午前1時半 には起きてしまいました。丑の刻にあります。トイレに行ったら電気の点けっぱなしでした。私は消すように心かけているので、このことを五月に注意したこともありますが、身に覚えがないという風で、「先生だわよ」で済んでしまいました。そんなことで争っても仕方のないことなので、私が引き下がってしまいました。

 やっと5月になりました。五月とまぎらわしいので、算用数字のほうを月名に使います。この小鹿版のほうは、来客があり、うたた寝をするにも拘らず、スタスタ進み、とてもゆったりとはゆきませんでした。題名[ゆっくり]に反します。しかし、これも抗しがたいことです。五月が喘息に抵抗しがたいのと同じです。

 雑誌の[崇教真光]に、ベネズエラ国のカラカス小道場のファニ−・アラウホ(女性)さんの報告が載っていました。昨年の12月中旬に、ベネズエラ共和国を「今世紀最大級の災害」と評された大洪水が襲いました。政府の発表によると、被災者はおよそ45万所帯、最終的犠牲者は3〜10万人と言われます。カラカスの「お浄め所」を取りしきっていたファニ−さんは、ご神体・ご尊像を持って高台の施設に避難しました。その夜は、カラカスの年間総雨量に匹敵する集中豪雨によって、猛烈な土石流が発生し、民家を軒並み押し流し、何万人という人々を泥に一瞬のうちに埋めてしまいました。

 翌朝、雨が小降りになったのを見はからって、ファニ−さんは「お浄め所」に戻ってみました。すると、驚いたことに、周囲は土石流で壊滅的打撃を受けているにも拘らず、「お浄め所」の建物だけが全くの無傷で残っていました。ファニ−さんは感動のあまり、言葉を失って立ちつくしたということです。

 また、マクトというところでは、真光隊(そういうのがあるのですね)の隊長ガルシアさんが、分隊長レリダさんの家に行っていろいろ用談をしていたところ、洪水に迫られ、二人ともその家の屋根に逃げました。すると、少し先の十階建ての大きなビルが崩れ、それが土石流と一緒になって、周囲の家を次々と押し倒しながら分隊長の家に迫ってきているではないですかた。二人は「救い主様」(教祖・岡田光玉)、「教え主様」(現教主・岡田恵珠)の「ご尊顔」を思い浮かべ、迫り来る土石流に向かって必死に祝詞を奏上し、「手かざし」をしたところ、まず直径5メ−トルほどの大きな石がやってきて、分隊長の家の隣の家を崩し、そこでピタリと止まりました。そして、そこに見る見るうちに沢山の石や木々が積み重なって、大きな砦(とりで)を築き、分隊長の家に向かって押し寄せて来る土石流を左右に払いのけたという話です。


勤勉
                              在橿原平成12年5月1日午前9時25分
 私は勤勉のように見えて、勤勉ではありません。ボヤッとしている時間もあります。この本だって、ゆっくり、ゆっくり書こうと志したのですが、つい書き続け、塵も積もれば山となっただけです。

 昨夜は(というより早朝)2時半に目覚めましたが、結局ミン剤を服んで寝て、けさ9時に起きました。それから10時の朝食となり、あと眠くなってうたた寝。昼過ぎまで寝ていました。私が牛肉100%のハンバ−グなら食べるよと言ってあったので、彼女はその製作に熱中しています。そういう女なのです。4日に来る珠樹は「剣菱」が好きだと言ったら、それを歩いて買ってくると言います。せっかく買ってやった新品自転車も、おチビさんの彼女にはサドルが高すぎ、それを低くするレヴァ−が固くて、彼女の力では回転できず、宝の持ち腐れになっています。あす、ヘルパ−二人の力で回してもらいましょう。
 五月が明日ヘルパ−に買ってもらえというのを、列記させられました。チリメンジャコ、牛肉だけのミンチ、胡椒(大)、生のパン粉、ナツメグ、細め大根先半分(おろし用)、大根バナ2束、昆布茶などです。特に、大根バナとは何だねと訊いたら、大根菜つまり大根の葉っぱのことだと答えました。標準語圏の人なら大根の花と解釈するでしょう。私は一汁一菜でよい人間なのに、料理の名人は4菜も出すことがあります。彼女こそ勤勉なのです。私は追いまくられているほうです。私が単純食人間だといくら説明しても、五月の本性は変わりません。人に美味しいものを沢山食べさせるのが、彼女の生きがいなのです。変わった方向、つまり外側からウツに似た風が吹いています。でも、それは内側に根ざす真の「鬱」ではありません。まだしものことです。

 相変わらず、この著書の目的はありません。風に流れるだけです。勤勉などとは縁がありません。


風は"気"
                              在橿原平成12年5月1日午後1時11分
 日時分が1の四並びとなりました。スタ−トの強調です。これは数霊(かずたま)です。この最終章は半分を越えましたが、風に乗って、"気"のまにまに書きます。心理学的に言えば、すべてが連想です。記憶では物が書けないということは、今まで何度も説明しました。指が勝手に動くという所を掴まえれば、自動書記です。ただし、私は神がかりではありません。憑霊はほかの人に任せています。近ごろおかしいのは、あんなに沢山食べるのに、時に3〜4時間経過すると空腹になることです。胃拡張にでもなったのかしら。まさか! そういう時にかぎり、五月のほうも、「センセイ、お食事は?」と言います。酒は辛いので、とうとうまたやめました。それも空腹の原因の一つでしょう。

 「焼きナスビをするから、少し待って」と彼女は台所にゆきました。もう、どうとでもなれという心境です。食べたこともないヤマト料理が次々と出ます。堂本正成さんに比べたら、こちらは王侯貴族の暮らしぶりです。(ただし、金がそれほどないだけ。)食べることは大切、とたいていの女性は言います。こちらは耳にタコができそうです。タコは空飛ぶ凧ではなく、にくづきに難しい作りがつく字が二つ並びます。このワ−プロでも出ないことはないでしょうが、字ごとの番号を書いたリストを紛失したのであきまへん。
ゆっくり