千さん!
                                     於天神920809/0644
 台風は去った。
 よく寝て、起きて、君の事を思う。牢人(浪人より正しい言葉だと吉川英治が言った)は禄を離れたサラリ−マン。能がない牢人は、町人にペコペコして、傘張りをしたり楊枝を削ったりして、はした金を稼いだ。私にとって、ニュ−ヨ−ク法律の翻訳はそれに似た仕事だ。何の情熱も湧かず、このところサボってばかりいる。よって7月は2万4000円しか稼がず、今月は25万円の赤字だと女房ぼやいている。来月に彼女を楽にするために、8月は40万は稼がねばならないのだが、今月に入ってまだ4万も稼いでいない。食業が嫌で嫌でたまらないのである。
 昭和46年、亥の年に私は新日鉄の仕事を放り出して、浪々の旅に出た。不義をした時の女房(昭和17年生まれの越後女)と4人の子供を養うのに嫌気がさしたからである。平和相互の預金にはまだ大分残金があったので、浜松で月に90万の割で遊興をしていた。夜の町の寿司や、スナック、キャバレ−のたぐい、120軒を渡り歩いて金をバラ撒いたと思う。サイン一つでキャッシュをつかめる個人用小切手を限界を越してもドンドン使いだしたら、てんとう虫のマ−クの信販会社が困って、青くなった課長が部下一人を連れて新幹線で浜松まで飛んできた。「先生、カ−ド返してください」と丁重に言った、私がどこかのカウンタ−でカレ−を食っていたときだ。「いいさ」とすんなり返した。それからは、女房を質に入れるようなつもりで、浜松で一番大きいキャバレ−「宝石」にホステスに出した。そして、私はそのキャバレ−の常連になって、女房の稼ぎをその店で使っていた。ヤクザと指名合戦をやり、女房(オリコ)の取り合いをしたことがある。指名料を無限に重ねるつもりでやっていたら、ヤ−公、だいぶ怒っていたが、敗退した。別の客は車でオリコをラブホテルに連れこもうとしたが、彼女はうまくその客を撒いて、夜中の3時ごろ客の車でわが家に帰ってきた。貞操は守ったらしいが、私はもうどうでもよかった。我孫子にいた時、金髪のデンマ−ク美青年に想いを移したという一事で、私はオリコを離婚することに、腹の中で決めていたからだ。
 山口組の連中と喧嘩したとき、奴らは組の事務所に私を車で連れこみ、多数をたのんで、鍵を掛けた密室で私のひげをむしったり、好き放題をした。俺は復讐を誓ったが、上のほうで暴力団と手を握っていた市警はロクに俺の力にならなかった。私は諦めて、妻子を浜松に置き去りにして、伊賀のヤマギシカイに移った。その共産共同社会でも、会のボスとつるんで旨い汁を吸っていた地元のゴロツキ(土建の社長という肩書きの)と決闘をした。彼が私の部屋に乗りこんできたとき、私は石油コンロをひっくり返して、その棟一つを火事にして、貴様と一緒に焼け死ぬぞと、本気で応接したら、尻尾を巻いて逃げ出した。その前に、悪いダラ幹ボスとそのゴロの二人に同時に、大東流の目つぶしを食わせ、二人ともブッ飛ばしたことがあったので、俺を恨んでいたのである。結局、雨の日にそいつとタイマンになった。向こうは喧嘩慣れしていて、ロ−プ術を使ったが、私は素手だ。引き分けになって、山岸巳代蔵が作ったその会のニワトリを絞めて、それで刺身を作り、焼酎で仲直りをした。
 それが昭和47年。私は45歳の暴れ盛り。栗東インタ−チェンジの傍に道場を作り、気武道を創案し、牧野元三ほか何人かの男女に教えた。元三は20代初めで上達が早く、1〜2年で山口県宇部市の警察で刑事を7〜8人、ひとりで投げ飛ばす妙技を見せたので、私は元三とともに署長室に呼ばれ、むしろ尊敬され、警官に怪我をさせたことにはお咎めなしであった。

 私は元三にあらゆる道と術を教え込んだが、金への執着がまだまだあったので、それを先に抜いてやろうと思い、乞食道を主に歩ませた。結局、16年間、毎日彼に乞食をさせた。(鹿児島の刑務所に6ヵ月、大分に4ヵ月、合計10ヵ月は暴行罪により懲役で彼は自然休み。)毎日2万はZA(財上げ)せよと命じ、共に旅をしたり、彼の一人旅の時は、存分に金を俺の家に送金させた。日曜も休日もなかった。
 女にも引っかかりのある奴で、托鉢中に一人の旅役者のプリマドンナに一目ぼれして、すこし暇をくれと言って、私が禁じたにもかかわらず、しばらく私から逃げていた。仕方がないので、許して、結婚式を私の友人の釘宮牧師にやらせたが、すぐその女(フミコ)を取り上げて、私の情婦にした。それが彼に対する罰だった。私がフミコと結婚しようと思っていたころ、今のユミコが飛び込み、元三は一度は八戸に逃げたユミコをわざわざ連れ帰り、私に押しつけ、彼より二つ年下のいユミコを私にあてがい、美人フミコ(彼より一つ上の26だったか)を私から取り戻す作戦に出た。卑怯な奴である。処罰として、もう一人の弟子・ヨシヒコ(30歳くらい)に命じて、フミコを犯させて結婚させた。フミコは、3人の男に回されて、くたびれた挙句、東京に逃げた。香水会社の社長をしていた父のもとに、私の種子からの男の子と、元三の種子の女の子を連れて、出戻りをしたのだ。その後も、元三は托鉢中、キャバレ−の女にだまされたり、麻薬に溺れたり、酔っぱらいの懐から財布を抜いたり、寿司やのカウンタ−から置いてあった大金を盗んだり、馬鹿なことばかりやったために、私から痛烈な至悟気を受けて、苦しがり、1988年に「オウム真理教」の教祖のところに逃げて、同情を買い、幹部として拾われ、ニュ−ヨ−ク市の支店長として栄転というわけで、アメリカに逃げた。16年間で師弟の縁は切れた。
 今は、さらにサイババに鞍変えをしているが、師匠から脱走した前科を持った奴が、おいそれと悟れるわけはない。サイババはお見通しであるから、元三は秘密を保っても、見抜いて、彼には厳しく接しているということを、その後の元三から聞いたことがある。
 この件も合わせて、私は来年2月にサイババに会いにゆく。別に元三を取り戻すつもりはない。あれはもう駄目男として、サイババにへばりついていればいいのだ。 私はサイババと義兄弟の契りを結ぶつもりでいる。彼を主君として仕えるつもりはないが、彼の力を借りて、今の傘張り職人のつまらん境遇から抜けようと思っている。理想的なのは、君の出所のころまで、ずっと印度に私が住むことだ。妻子は神の手に任せる。神さんがカミサンのことをよろしく面倒みてくれるだろう。
 元三は馬鹿弟子だったが、君には期待を掛けている。君には乞食道の修行はやらせない。その必要がないからだ。色道の修行もさせない。女は君の邪魔にならないからだ。もっと上のレベルで仕込む。私の一生で最後の唯一の弟子になるだろう。あと30年かけたら、君は立派な私の跡目になるよ。
 神秘道や法力を君にみっちり仕込む。でかい道場を立て、君に師範代をやらせる。金は要るが、君と組めば、大金が湧く仕組みになっている。


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