A−1 「冷たい日溜まり」  残り1時間   K葉線車内。

 理想のタイプってもんが世の中には存在する。
 例えば俺だったらおっとりとして上品な、どちらかといえばお嬢様なタイプが好みだ。比較的背の高い俺と並んでもおかしくないようにあまり小さくない方がいい。もちろん体型は出るとこが出てて引っ込むところが引っ込んでるのが望ましいだろう。
 俺は幸運なことに理想そのまんまの女の子と出会うことが出来た。満員の講義室で隣に座ったことをきっかけにその娘とはどんどん仲良くなり、紆余曲折の末恋人同士って関係に収まっている。
 要するに俺は今、幸せ絶頂って奴だ。これ以上なんて望むべくもねえ。あるはずがない。どう考えても最高だ。
 気持ちよくかっ飛ばす電車の車窓から外を眺める。まだ朝日と言っていい低めの太陽が海に反射して無茶苦茶眩しい。
 今日だって、あいつと一緒に東京デスティニーランドでバレンタインを過ごそうっていう企画だ。見るからに幸せ一杯って感じじゃねえか。
 そうだ。俺は幸せだよ。全くもって幸せだ。幸せな、筈だ。
 俺はシートに深く座り直して目を閉じた。
 軽くため息をついて呟く。
「なのに・・・なんでこんなにつらいんだろうな?」
 うまくいってない訳じゃあない。俺はあいつが好きだしあいつも俺が好きだっていってくれた。実際告白してきたのはあっちだ。
 それなのに、俺達が一緒にいるといっそ見事なくらい噛み合わないのだ。お互いの気配りとか発想とか計画とかがどれ一つ一致しない。ここまで来ると笑えてくる。
 何がいけないって言う理由は思いつかない。あえて言うならば、俺達は合わないってことなんだろうな。
「次は〜新安浦〜新安浦〜」
 アナウンスを耳にして俺は目を開けた。
 最近は気がつくとそんなことを考えている。俺らしくもなく、ジメジメと。
 ちょっと息を吸い込み鋭く吐き出す。考えててもしかたねえ。あいつが嫌いだってことは間違ってもないんだ。今日一日を精一杯楽しむことだけを考えればいい。
 俺は、勢いを付けて立ち上がった。

A−2 「クラッシックな出会い+1」 残り58分 新安浦駅

 俺は駅の時計をちらっと見てから腕時計に目を落とした。現在時刻は8時2分。待ち合わせの9時までは後1時間近くある。
 普通なら早すぎる時間だが久美子・・・彼女の名前だ・・・にそう言う常識は通用しない。あいつは毎回毎回必ず1時間前には待ち合わせの場所に現れているのだ。
 俺は階段を下りながらぼんやりと考える。
 1時間前っていうのも二人で延々と「早く来る合戦」を繰り広げ待ち合わせ時間がなんの意味も持たなくなっちまったから1時間よりも早く来るのをお互い禁止しただけで、あいつは一度待ち合わせの8時間前に来たことがある。
 待ち合わせは改札口の前。あいつはいつも通り改札口を出てすぐの所に・・・
 居ない。
「ん?」
 俺は改札口を出て辺りを見回した。柱の影に・・・居ない。ちょっと奥まった公衆電話スペースに・・・居ない。休憩所らしき場所に・・・居ない。本格的に、居ない。
 おかしいな。あいつがこの時間にいないとは。
 まあ、あいつだって遅刻・・・ってわけじゃねえけど、ともかく時間に間にあわねえってこともあるだろう。
 俺は一人うなずいてからぶらぶらと歩き出した。
 実際問題として、俺は待つのはあまり好きじゃない。ま、あいつも来てないことだし少しくらい暇つぶしでもするか。
 駅から見ても目立つ建物はでっかいショッピングモールとホテル。さすがに買い物する時間はねえし、ホテルでも見てくるとしようか。
 歩道橋で繋がってるそのホテルへとゆっくり歩く。
「しっかし、おかしい」
 呟いて俺は足を止め、背後の駅を振り返った。
 あいつが1時間前に来ないなんて・・・天変地異か?
 背後の駅を見て首を傾げながら俺は足を踏み出す。それがいけなかったのだろう。
 どしんっ。
「きゃあっ!」
 俺の腹のあたりで、衝撃と悲鳴が同時に起きた。
 あわてて前を見ると目の前に女の子が一人座り込んで顔をしかめている。
 えらく背が小さいな
。大体140センチ有るか無いかという低さだ。顔を見る限り高校生くらいの年齢で・・・うむ。どこへ出しても見劣りしないくらいには可愛いと言える。
「おい、大丈夫か?」
 俺は言いながら彼女に手を差し伸べた。だが、
「大変っ!」
 女の子は俺の手を無視してバネ仕掛けのように飛び起きた。
「あんたなんて事すんのよ!脳味噌入ってんの!?マジで!」
 ・・・前言撤回。可愛いのは顔だけだ。
「ああっ!そんなこと言ってる場合じゃないわ!バックは!?」
 女の子はせわしなく叫んで歩道橋の下を見下ろす。
「う〜・・・あった!」
 俺もその横から下をのぞいてみた。道ばたに止めてあるトラックの荷台の上に小さなバックが一つ落ちている。どうやらあれがそうらしい。
「ほらっ!ぼさっとしてないでさっさと来る!」
 ぼんやり眺めていた俺の視界が叫び声と共に大きく揺れる。腕を引っこ抜かんばかりに引っ張られた結果だ。
「な、なんで俺が!」
「あんたがぼーっと歩いてくるからぶつかっちゃったんでしょうが!男なら男らしく責任とんなさいよ!そのでっかい頭は飾り!?」
「んだと!?俺は頭がでかいんじゃない!体がでかいんだ!現に比率で行けば七等身なんだぞ!」
「相対的な問題よ!あたしよりでかいでしょうが!」
「おまえが小さすぎんだよ!全体的にも局部的にも!」
 言いながら目を細めわざとらしく胸を凝視する。マジで小せえな。
「あああああああんた何て失礼な事言うのよ!最低男!」
「事実だろうが!」
 俺と女の子は睨み合った。

 ・・・なんだ?なんなんだ?何でいきなりこういうことになってるんだ?
「ってそんな事言ってる場合じゃないのよ!」
 横道にそれた話を女の子が力技で元に戻した。
「・・・そうだな。俺も<眉毛のあるコOラのマーチ>位の確率で悪かったかもしれん」
「・・・要するにほとんど悪いと思ってない訳ね?」
「そうとも言う」
 女の子は冷たい目で俺を睨んでから改めて俺の手を引っ張った。
「いいからついてきなさい!」
「へいへい」
 どうせ暇だしな。
 心の中で呟きながら俺は手を引かれるままに歩道橋の下へと走った。

 
まったくに古典的で、それでいてひねりのきいている。
 要するに、俺達の出会いはそんな物だった。

A−3   「おもしれえ女」    残り52分    トラック前

「まったく割れてたらどーすんのよ」
 女の子はぶつぶつ言いながらトラックを見上げる。そんなでかいトラックじゃあない。簡単に登れそうだ。
「・・・取りにいかねえのか?」
 俺が言うと女の子は口をとがらせた。
「こういうのは男の仕事でしょ!?スカートで登れっての?」
 高さ2メートル弱。確かにぶら下がってたらおもしろいことになりそうだ。
「しゃあねえな・・・まってろよ?」
 俺は軽く跳び上がって荷台のはじっこを掴んだ。そのまま勢いを付けて一気に体を引き上げる。だてに3年間陸上に青春を捧げていない。この程度朝飯前だ。
 荷台の上に立ち上がり辺りを見回す。
「お、これだな・・・」
 呟きながら俺はそのバックを拾い上げた。小さなサイドバックだ。ブランド品ではないがしっかりした作りで長持ちはしそうだ。
「あった?」
「おう。これだろ?」
 背後からかけられた声に振り返り後ろに立っていた女の子にそのバックを手渡してから俺はきっかり3秒黙り込んだ。
「・・・・・・」
 眉をきゅっと寄せる。
「っていうかさ、結局おまえも上ってきてんじゃん」
「う・・・」
 女の子はばつが悪そうに俯いた。
「だってだって、ひょっとして中見てんじゃないかな〜とかいじられたらやだな〜とか意地悪でどっか遠くに投げられたりしたら面倒だな〜とか・・・」
「しねえよそんなことは」
 あきれながら言った途端、足下で『ばたんっ』と音がした。
「なんだ?」
「何かな?」
 俺達は顔を見合わせ首をひねる。だが、答えはすぐにわかった。 俺達が立っている場所。すなわちトラック全体が震えて同時に低いアイドリング音が響きだしたのだ。つまりさっきのはドアが閉まる音で、これはエンジン音・・・
「やべえっ!これ動くぞ!」
「うそぉっ!」
 慌てて飛び降りようとして一歩踏み出した瞬間、トラックはものすごい勢いで発車した。
「きゃっ!」
 女の子の軽い体が耐えきれずよろめいて倒れそうになる。俺は舌打ちしながらその細い腰を抱き寄せて荷台に倒れ込んだ。
「ど、どこ触ってんのよ!」
「背中っ!」
「それでも一応胸なのよそれはっ!」
 女の子は喚きながら俺の手を振り払った。そのままぴょこっと身を起こしてその場に横座りする。
 俺も苦笑いしながら身を起こしどっかとあぐらをかいた。
「・・・死ぬかと思ったわ。自力でも体勢立て直すことは出来たと思うけど、一応あんがと。助かったわ」
「なんだ。ただの礼儀知らずじゃなかったのか。気にすんなよ」
 しばらく黙り込む。
「なんで私たちって悪口なしで会話できないのかしら?」
「俺に聞くなよ」
 実はちょっと楽しんでいる。
「あ!そうそう!」
 女の子は手をポンっと叩いてバックの中を漁りだした。
「よかった〜割れてない」
「さっきも言ってたなそれ。何のことだ?」
 何気ない問いに女の子は耳まで真っ赤になった。
「え!?あの、その・・・ちょこれーと」
 しばらくあちこちに手を振り回してから小さな声で女の子は呟く。成る程ね、そりゃあ割れてたらショックだろう。
「そうか。俺に渡すためにこんな所までつれてきたんだな?一目惚れか?」
「・・・腐ってんの?」
 一転冷たい声で女の子はつっこみを入れる。
「そこまで言うか?」
「言うわよ。何であたしがあんたなんぞに手作りチョコ渡さなくちゃいけないのよ。しかも初対面で」
「へぇ、手作りか」
「そ、そうよ。悪い!?」
「何で怒るんだ?」
「べ、別に?」
 女の子は言ってツンとそっぽを向いた。と、思うと何かを思いついたらしくニヤニヤしながらバックを開けチョコを取りだした。
「見る?見る?あんたみたいなもてなそうな男には縁のないアイテムでしょうねぇ?」
 精一杯の反撃なのだろう。だが甘い。
「久美子は去年チョコレートケーキを焼いてきたぞ。ちなみにクリスマスの時もでっかいケーキ持参だった。そこらの店で買うよりもよっぽどうまかったなぁ・・・」
 女の子はちょっとひるんだ目で俺を見上げる。
「マジ?」
「こんな嘘つく奴居たら、無茶苦茶寂しいと思うぞ?ちなみに3サイズは上から87・56・88だ」
 女の子はすっかりしょんぼりしてしまいそそくさとチョコレートをバックにしまい込む。
 さすがに気の毒になった俺は慌ててフォローを入れた。
「ああ、いや・・・そういう普通の奴の方が当たり外れが無くていいんじゃねえか?見た感じ料理が得意ってわけじゃなさそうだし、人には人なりのだな」
「あんた本気で鎖骨でも折られたいわけ!?」
 どうもフォローにならんかったようだ。
「うー。ま、いいけどさ。確かにあたしはあたしのやり方でないとね、うん。かなえ、ふぁいとっ!」
 女の子は小さなガッツポーズを取りながら一人で気合いを入れている。
「かなえ、か。そういやまだ名乗ってもいなかったな。俺は水島景一。大学生だ」
「あ、私は遠藤かなえ。遠いに島、ひらがなでか・な・えって書くのよ」
「うむ、こんなとこでなんだがよろしく」
「うん。よろしく」
 俺達は疾走するトラックの荷台というわけわからんところで握手を交わした。
「ってのんびりしてる場合じゃねえだろうが!」
「ああああ!そうよ!待ち合わせがっ!どうしてくれんのよあんた!」
「知るか!俺だって待ち合わせしてんだよ!」
 俺達はとりあえず荷台から身を乗り出した。結構早い。
「飛び降りるわけにはいかねえな・・・」
「それより、周りの目が痛いわ」
 確かに。すれ違う車や通行人が目を丸くしてる。これはヤバイ。
 とか思っていると、急にトラックは停止した。
「何だおまえら!」
 続いて野太いおっさんの叫び声。
「ばれた!ずらかるぞ!」
「う、うん!」
 俺は運転手から遠い助手席側を選んで素早く地面へと降り立った。
「おい!降りれるか!」
「余裕よ!」
 遠藤はそう言って異常に軽い身のこなしで荷台にぶら下がり飛び降りるという動作を完了、軽やかに着地した。当然、スカートはまくれあがって中身がのぞく。
「芸術点含んで90点をあげよう」
「何よ芸術点って?」
「秘密だ」
 軽口を叩いている間に運転手のおっさんはこっちに回り込んできた。
「まてガキどもっ!」
 もちろん待てと言われて待つわけがない。俺は女の子の手を引っ張って全速力で走り出した。
「いたいいたいいたいいたいっ!」
 遠藤が悲鳴を上げるが取り敢えず無視。俺はフルスピードで走り続けた。

 しばらくして、俺は立ち止まって背後を振り返った。
「はぁっ・・・はぁっ・・・もう追ってこねえな・・・ふぅぅぅっ・・・」
 さすがに息が荒い。言い訳をさせて貰えば、俺の専門は短距離でスタミナ勝負をしてたわけじゃあない。
「追ってこねえな・・・じゃないわよ・・・」
 遠藤が恨めしそうな声で呟く。あんだけ走ったわりには俺よりも元気そうだ。
「いやあ、若いっていいねえ」
「何それ・・・にしてもあんた足速いわね。これでもそこらの男の子より速いつもりなんだけどなあ」
 俺は息を整えながら肩をすくめた。
「これでも高校時代はスプリンターだったからな」
「奇遇ね。あたし高跳びの選手よ」
「国外逃亡?」
「その高飛びじゃなくて・・・ああ、もういいわよ。あんたにかまってる暇ないんだから」
 女の子は眉間にしわを寄せて辺りを見回す。
「う〜、旧町の方まできちゃってるじゃない!私はもう行くからね!じゃ!」
「あ!ちょっとまて!ここどこなんだよ!」
 聞いちゃいねえ。遠藤は俺から見てもいい感じなスピードで走っていってしまった。
「うむ、たしかにありゃあ陸上経験者だな・・・」
 って言ってる場合じゃねえぞ。ここ、一体どこなんだ?

A−4 「HURRY UP(徒歩)」 残り43分 安浦市旧町

「やべえ・・・マジでどこなんだよここ」
 闇雲に走り回ったのがまずかった。
 そもそもはじめてきたとこで放り出されりゃこうなる事はわかってるんだが、平日の朝なせいか人が誰も通りゃしねえ。
 考え込んでても仕方ねえな。ともかく大通りに出るまで走ってみるか。
 我ながら体育会系な思考で俺は再び走り出した。
  入り組んだ細い路地を走り抜け角を曲がる。広がっているのはどこまで行っても細い路地、古い建物の列。
 なんなんだこりゃ?安浦って言ったらデスティニーランドの町だろ?これじゃまるで漁師町だぞ?
 考えながらもう一つ角を曲がる。
「きゃあっ!」
「は?」
 曲がった先に、女の子が居た。俺は慌てて止まろうとしたが間に合わず思いっきりぶつかってしまったのだ。
 二人して地面に倒れ込む。というよりも俺が彼女を押し倒しているような姿勢になってしまった。
「いや・・・いやぁぁぁぁぁ!」
 女の子は目を見開き震える声で悲鳴を上げる。
「あ、違うぞ!俺はその類の犯罪者では決してない!」
 俺は全身のバネを使って一気に飛び起きた。
 女の子は地面に尻餅をついたまま動こうともしない。肩までのストレートヘアに黒縁の眼鏡と化粧っ気の欠片もないが素材は悪くない。全体的にこじんまりとしたボディだ。
「あ〜、別に何もしねえから、取り敢えず掴まれよ」
 俺は言って手を差しだした。女の子は俺の顔と手を代わる代わる眺めて動かない。
「勝手に掴むぞ?」
 焦れた俺はそう言って女の子の手を掴みぐっと引っ張った。女の子は特に抵抗もせずにぼーっとした表情で立ち上がる。
「怪我とかねえか?」
「・・・別に・・・どうでもいい」
「どうでもいいってこたねえだろ?自分の体だぞ?」
 ざっと見た感じやばそうなとこはない。出来れば骨に異常がないか触診したいとこだがそこまでやったら犯罪者だ。取り敢えず大丈夫って事にしておこう。
 いや、あえて言うなら一つだけ大丈夫じゃなさそうなとこがあった。それは表情だ。
「なあ、今のそんなに痛かったか?」
「別に・・・どうってこと、無いわ」
 にしちゃあ、暗い顔だな。
「そんな暗い顔してっともてないぞ?」
「ほっといて下さい!」
 女の子は急に大きな声になって叫びだした。
「どうせ私は就職できなくてそのせいで振られてなおかつ親とも喧嘩しちゃった駄目駄目女ですよ!そりゃあ顔だって暗くなりますっ!もてませんよっ!」
 ひとしきり叫んでから女の子は顔をくしゃくしゃっとさせて泣き出した。
「あ、いや違うぞ。俺が言いたかったのはだな、せっかく綺麗な顔してるんだから笑顔の方が可愛いぞと」
「気休めはよして下さい!」
「いや、マジで」
 俺はやれやれと頭を掻いた。
「第一だな、就職できなかった位で振るような男ろくなモンじゃねえぞ?」
「だって・・・!就職浪人なんて世間体が悪いじゃないですか!」
 俺はむっとした。
「おまえも大概ろくなモンじゃねえな。世間体ってのはな、名声が必要な商売でもやってない限り無視してもいいんだよ。警察とかだとまずいけどな。K奈川県警とか」
「だって・・・」
「だってじゃねえ!いいか?自分の中にピッと筋が通っていれば他の奴の評価なんか気にする必要ねえんだよ。それが気になるってのは自分に自信がねえってこった」
 うう、俺ってば何こんなとこで見知らぬ人に説教してるんだ?急いでんのに・・・
「あー、まあ何だ。うまくいかねえのは辛いだろうけどよ、何もかもうまくいってるのに幸せじゃねえってのもどうしようもなくて辛いんだぜ?」
「うまくいってるのにですか?」
「・・・まあな」
 大きくため息をついてから俺は必要以上に明るく話を続けた。
「ともかく!俺が言いたいのはそういう説教じゃねえんだ」
 女の子はようやく泣きやんで「何かしら?」と首を傾げる。
「・・・新安浦駅、どっち?」
 女の子はきょとんとした。そして、くすくす笑いだした。徐々に笑いが拡大していく。
「・・・私って、馬鹿ね」
 最後にそう言って深呼吸し女の子は笑いの発作を押さえ込んだ。
 何が何だかわけわからん。
「新安浦駅は、ここをまっすぐ行って2つ目の角を曲がって下さい。この通りと斜めに繋がってるんですぐわかると思います。そこをずっと行けば大きな通りに出るのでそこを右折して下さい。本屋さんのある角を曲がったら線路が見えますから・・・」
「2つ目だな?了解了解。助かったよ。おかげで間に合いそうだ」
「待ち合わせですか?」
「ああ・・・じゃ、サンキューな」
 俺はそう言って軽く頭を下げ再び走り出した。
 ふと気になって振り返ると、もう小さくしか見えない女の子がまだ立っている。
 うまくいかない彼女とうまくいっている俺。でも、本当に不幸なのは、一体どっちなんだろうな?
 
A−5 「一勝二敗」   残り16分   新安浦駅前歩道橋

「よっしゃあっ!ついたぁ!」
 ようやく見えた駅舎に俺は歓声を上げた。通り過ぎる通行人の目が痛いが無視無視。
 時計を見る。待ち合わせまで後16分。いつもとくらべりゃ大遅刻だが本当の待ち合わせ時間までは余裕がある。
 俺はさすがに疲れ果てた足をいたわって歩き出した。
 っていうか、これからデスティニーランドだぞ?大丈夫か俺?
 まあ、考えても仕方ねえ。俺は駅から道路を隔てて向かい側にあるホテルの前で足を止めた。
 考えてみればそこの歩道橋であの女・・・遠藤だっけ? にぶつかったせいで散々だぜ。 舌打ちしながら歩道橋の階段を登る。ゆっくりと歩道橋を渡りながらぼんやりと物思いにふける。
 俺はあいつとぶつかった場所で立ち止まった。そうそう、ここで後ろ向いたのが悪かったんだよな。あいつがいきなり突っ込んできて・・・
「うわっ!どいてどいて!」
 不意に背後で叫び声があがった。それも至近距離だ。
「またかよっ!」
 俺は叫んで素早くサイドステップする。途端、
「きゃあっ!通算3回目っ!?」
 悲鳴とひときわ強い衝撃に襲われ俺達はもんどり打って倒れ込んだ。
 俺達、つまり俺と遠藤かなえだ。
「・・・なあ、一つ聞いていいか?」
「・・・何よ?」
 倒れたままため息をつき質問してみる。
「何でこうなったんだろうな?俺に恨みでもあるのか?」
 遠藤は勢い良く飛び起きた。
「あんたねぇ!人が避けた方に避けといて何言ってんのよ!おかげで今日一日で3回も大転倒しちゃったじゃないのよ!」
「たわけっ!俺だって3回目だ!第一避けろっていったのはおまえだし後ろから来たおまえの避ける方向を俺がどう知るってんだ!」
「う・・・それはそうだけど」
 座り込んだままだった俺は勝利感に浸りながら立ち上がった。
「まあいいさ。それよりチョコは大丈夫か?」
「あ!そうだった!」
 遠藤は慌てて抱きかかえていたバックの中を漁り出す。投げ出さなかったあたり一回目と比べて成長してるな。偉い偉い。
「うん、大丈夫みたい!」
 言って満足げににっこり笑う。初めてみたときも思ったが可愛い顔だ。
「・・・しかし、一種の詐欺だよな」
「何が?」
「こんな可愛い顔の中身がこれじゃあなあ・・・」
 女の子は無言でボディブロウを俺の鳩尾に打ち込んだ。軽くスウェーバックして俺はそれを避ける。
「あんたね、失礼すぎると思わない?彼女にもそういう事言ってるわけ?」
「馬鹿言うなよ。あいつにそんなこと・・・」
 言いかけて俺は口を閉じた。
「おまえだって、そのチョコ渡す奴にそういうしゃべり方すんのか?」
「え?そんなわけないじゃない・・・」
 言った遠藤は「あっ」というような顔で口を閉じる。
「・・・取り敢えずここに突っ立ってるのもなんだからな」
 俺達はどちらからともなく頷き合って駅に向かった。

A−6 「恋煩いの治療薬、使用前・使用後」 残り14分 新安浦駅隣接休憩所

 俺は、こういう人間だ。気に入らないことが有れば誰にだって突っかかるし、はっきり言って柄も悪い。カッとすれば手だって出る。女に手を上げないくらいの分別は有るつもりだけどな。
 でも、大切な久美子にそういう態度を貫き通す勇気はねえ。それって、本当に分かり合えている彼氏彼女の関係って言うのか?
 俺は購入した缶コーヒーを一口啜って横を見た。
「何?」
「いや・・・」
 休憩所だか待ち合わせスペースだかに二人して座って俺達は缶コーヒーを啜っている。
「あのさ、水島さんには彼女が居るんだよね?」
「ああ。もう付き合って・・・1年半くらいか?」
 脳裏に久美子の顔が浮かぶ。この1年半で一番たくさん見た顔だ。
「いいよね、そういうの。使用後だもんね」
 遠藤はワケの分からないことを言い出した。
「何だその使用後って」
「恋の病の治療薬。効いた場合症状が幸せに改善されるけど効かなくてがっくり落ち込む場合も有り。場合によっては副作用で他の人が落ち込んだりもする。要するに告白の事よ」
 成る程。
「私はまだ使用前。でも、今日勝負をかけよっかなって思ってるんだ」
 遠藤は両手で包み込んだ缶をずずっと傾けた。
「・・・そうか。頑張れよ」
 頑張って、付き合って、それで満足できない俺みたいな男が相手でないことを切に願うばかりだ。
「気に障ったら、ほんと御免ね?水島さん・・・彼女とうまくいってなかったり・・・するの?」
「なぜそう思う?」
 俺は内心の動揺を隠して缶コーヒーをちょっと飲んだ。
「なんか・・・彼女のこと話すとき、つらそうだから」
 やれやれ。外から見てもわかるとはな。この分だと久美子にばれる可能性すら有るな、そんなことしたら可哀想だ。気をつけなくちゃな。
「俺は・・・」
 言いかけて唇が乾いているのに気づきもう一度缶コーヒーを啜る。
「俺は、自分の理想通りの女と付き合っている。あいつも俺が好みのタイプらしくてな。ああ、言っとくが告白したんじゃなくてされたんだからな。喧嘩もしたことねえしよくデートもしている。毎日がとても楽しい・・・」
 俺は、何でこんな事言ってんだ?大学の親友にも言ったことのないこんな事を。
「何もかも順調だ。あまりにも波乱のない生活・・・それが嫌なワケじゃない。でも、あいつと付き合ってるのは本当に俺なのか?」
「え?どういうこと?」
 遠藤はきょとんとした顔で首を傾げた。そりゃそうだろう。俺にも良く解らないんだ。
「喧嘩をしないんじゃなくて、出来ないんじゃねえのか?俺達は相手に理想的な自分を見せようとし合ってるだけ何じゃねえのか?」
 それは、今まで避けてきた問いだった。答えが、本当はわかっている問い。
「・・・すまん。これから告白って大事なときにこんな盛り下がる話しちまって」
 俺は遠藤の表情を盗み見た。思った通り暗く沈んでいる。
「だ、大丈夫。実際好きな奴と一緒にいるってのは楽しいぞ?何するにもこう・・・張り合いってもんが出るしな!」
 無闇に明るい口調は、半分は自分をごまかすためでもある。
「そうじゃないのよ」
 遠藤は顔を上げた。ちょっと見とれるほどのいい笑顔を浮かべている。
「ん?」
「別に盛り下がったとかそういうのじゃなくて・・・私たち似てるなって思ったのよ」
 遠藤は天井を振り仰いだ。
「私って見ての通り男っぽいっしょ?これまで男の子にも興味なかったしね。でも、同じ高跳びの選手なセンパイが居てね・・・すっごい格好いいセンパイで、それに凄く優しくて」
 垣間見えた憧憬の表情に俺は少し胸が痛んだ。そんな必要、ないのに。
「気づいたら、好きになってたって感じかな。無意識にセンパイの前ではお淑やかに振る舞ってるのに気づいちゃって・・・ああ、私はこの人が好きなんだなって」
 言って遠藤は暗い瞳で地面を見つめた。
 よせ。やめてくれ。おまえにそういう顔は似合わない。
 俺は後悔していた。俺の言葉でこんなにも彼女を動かしてしまったことを。ほんの通りがかりだぞ俺は?期待に溢れてた少女を落ち込ます権利がどこにある?
「それって駄目だよね?本当の自分じゃないんだもの。これからずっと演技なんかしてられないよね。私、本当ははこんな娘なんだもの。これじゃ告白したって・・・」
「そんなことねえだろ?」
 俺は思わず割って入っていた。
「大丈夫だ。おまえは十分可愛いぜ・・・怒ったり、叫んだり、駆け回ってるのも含めてな。おまえが好きになるような男だったら絶対わかってくれるさ。少なくとも・・・」
 ぎょっとした。
 俺、何言ってんだ?少なくとも、何だってんだ?
「ありがと」
 遠藤は俺の内心を知ってか知らずかにっこりと微笑んだ。
「水島さんの彼女、きっと幸せね・・・こんな」
 こんな?
 こんな、なんだろう。遠藤は難しい顔で黙ったままだ。
 遠藤の言葉を借りるならば、恋煩いの治療薬使用前後の二人。ぶつかっただけの、他人の二人。でも・・・今この瞬間だけ、俺達は分かり合えたような気がした。

A−6 「CROSS FIRE」  残り11分 新安浦駅

 俺は何気なく時計を見た。腕時計、壁に掛かってる時計、携帯の液晶を順番に見て時刻を確認する。現在午前8時49分、待ち合わせまで後11分だ。相変わらず久美子の姿は改札口にはない。
「何もそんなに確認しなくても・・・時計ってそんな簡単に止まるもんじゃないわよ?」 
 遠藤が苦笑する。
「癖だからな。どうしようもねえよ。にしてもおかしいな・・・あの久美子がまだ来てねえってのは」
「彼女、いつも早く来てるの?」
「最高で8時間前だ。ちなみに俺は7時間15分止まり」
「・・・あんた達、確かに異常だわ」
「ほっとけよ」
 俺は言ってからふと気づいた。
「なあ、おまえってここの住民だよな?」
 元町がどうとか言ってたから間違いないと思うが。
「うん。生まれたときからここにいるよ?」
「さっきから思ってたんだよ。東京デスティニーランドって意外と駅から遠いんだな」
「は?」
 遠藤は妙な顔をした。
「いや、だからさ。もっと駅の前にでんって有るのかと思ってたよ」
「あ、あ、あ、あ・・・」
 何だ?遠藤の顔が青い。
「あほぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 次の瞬間遠藤の叫びが俺の鼓膜をちりちりと揺さぶった。
「あ、アホとは何だアホとは!」
「あんたまさか改札前で待ち合わせって言われてんの!?」
「あ、ああ。そうだが?」
 妙な気迫に飲まれて俺は後ずさった。
「デスティニーランドは隣の浜舞駅よっ!」
「となりぃいっ!?」
「あんたどっちから来たのよ!」
「と、東京駅からだ」
「何で見てないのよ馬鹿!通ったでしょ!?」
 俺は一生懸命記憶を再生した。
「・・・そういえば、目を閉じて、悩んでた・・・」
 安浦市にあるって聞いてたからつい・・・
「大、馬鹿、者ッ!」
 遠藤は平手で俺の頭を景気良くはたき倒した。
「きっと彼女浜舞で待ってるわよ!すぐ行かなくちゃ!」
 遠藤はそう言うが速いか俺の手を凄い勢いで引っ張って走り始めた。
「ほら切符買って・・・ああまどろっこしい!私が買う!」
 器用にコインを操り凄いスピードで150円の切符を二枚買う。
「二枚?」
「細かいこと気にしない!」
 そのまま走って自動改札を抜け電光掲示板をざっと見回す。
「大丈夫!後一本だけあるわ!」
 叫ぶが早いかまた走り出す。ちなみにこの間ずっと俺はひっぱられっぱなし。
「ああっ!もう来てる!」
 エスカレーターを更に二段とばしで駆け登った俺達の前に一台の電車が止まっている。
 俺達は最後の力を振り絞ってもう一回ダッシュして電車の中に駆け込んだ。幸い発車まで時間があったようでドアは閉まらない。
「間に・・・合った・・・!」
 俺は荒い息の間からそれだけ呟いた。今日はこんなんばっかりだ。
「よかった・・・」
 俺の手を握りしめたまま遠藤も息を切らせながら呟く。
「っておまえも乗ってどうする!」
「あ、そうか」
 遠藤は恥ずかしそうに呟き俺の手を離して電車を降りる。何だか、手が寂しい。多分、あまりにも強く握られていたからだ。そうに決まっている。
「まったく・・・駅単位で待ち合わせ場所間違える奴は初めて見たわよ」
「俺も初耳だな」
 言い合ってから二人して苦笑する。
「告白、頑張れよ」
 俺はその笑いが消えないうちに別れの台詞を言った。
「・・・彼女と、お幸せにね」
 遠藤も苦笑の顔のままでそう言う。
 住所も電話番号も知らない。赤の他人だ。おそらくもう二度と会うこともないだろう。そう思うと、空いている右手がやけに寒い。
「ん・・・」
 遠藤が不意に手を差しだした。
「え?」
 我ながら間抜けな声を上げると遠藤は唇をとがらせた。
「握手。短かったけど、どたばたしてたけど、凄く楽しかったよ?」
 遠藤は可愛い。それを再確認した俺は笑いながらそっと手を握った。小さな手だ。柔らかい、女の子らしい手。
 握手が終わった時に、ホーム全体に音楽が流れはじめた。発車ベルの代わりのあれだ。
「じゃあ、さよなら・・・」
 遠藤は呟くように言って一歩下がった。
 いや、一歩下がろうとした。
「どいてくれぇっ!」
 だがそのときエスカレーターを駆け登り一人の男が電車に駆け込んできたのだ。入り口を塞いで居た遠藤を突き飛ばして。
「きゃあっ!」
 小柄な遠藤は突き飛ばされた弾みで俺の方に倒れ込んだ。慌てて支えようとした俺の視界に宙を舞う物が見えた。
 小さなサイドバック・・・遠藤のバックだ。チョコの、割れ物のチョコレートが入っているバック。遠藤の大事な・・・
「だあああっ!」
 俺は全身のバネと反射神経を総動員してバックに飛びついた。コンクリートに叩き付けられる寸前のバックを抱え込み地面に転がる。バックは・・・無事だ!
 だが。
「水島さんっ!」
 その持ち主は、ホームに居なかった。遠藤は、電車の中に倒れていた。慌てて電車に駆け寄るが既にドアの閉まっている電車は止めようがない。ゆっくりと加速していく。
「くそっ!」
 俺は叫びながら地面を蹴りつけた。あいつの乗った電車は無情にも走り去る。俺をこっちに残して。
「入れ替わって・・・どーすんだよ」
 俺は、呆然とバックを見下ろした 

A−7 「俺」         残り1分    新安浦駅ホーム

 どれくらい呆然としていただろうか。俺は携帯の着信音で我に返った。尻ポケットから携帯を引き抜くが俺のじゃあない。俺はふと気づいて手の中のバックに目を落とした。
「遠藤、すまん」
 一応謝ってからバックを開け中に入っている携帯を取り出す。着信は・・・公衆電話からだと?
 俺はおそるおそる受信ボタンを押し携帯を耳に当てた。予感が外れたときのために声は出さない。
「水島さんっ!?聞いてる?」
「遠藤っ!」
 はたして、電話の相手は遠藤だった。
「どーすんのよこんなんなっちゃって!ああ!もう9時じゃない!あたし待ち合わせ9時なのにぃっ!」
「俺だってそうだよっ!」
 二人してしばらく沈黙。
「次の下り電車は?」
「駄目。五分は来ない・・・」
 つまり、遠藤はこっちに戻ってこれないってことだ。
「センパイって奴の携帯に電話は?」
「番号知らないのよ・・・あんたは?」
「久美子はそもそも携帯持ってない」
 電話越しにため息をつく。
 俺の方はいいんだ。あいつのことだからいくら待ったって快く許してくれるだろうし。ただ、無茶苦茶不安だろうってのが気にかかるだけだ。
 でも。
 遠藤は、この大事な日にこんな事になっちまった。あまりにも報われねえんじゃないだろうか。よりによって、俺のせいで。
 駄目だ駄目だ駄目だ!こんな事あっちゃいけねえ!
「あのさ!」
「あのね!」
 俺達は同時に叫んでいた。
「・・・俺が!」
「・・・私が!」
 しばらく黙り込んでから、恐る恐る後を続ける。
「代わりに・・・」
 二人のセリフはぴったりと一緒だった。顔が自然と苦笑を形作る。
「ま、それが一番ましな方法だろうな」
「そうね・・・」
 俺はため息をついて時計を見た。既に3分遅刻か。
「久美子はその駅の改札を出たとこに立っているはずだ。多分白い服を着て帽子を手に持ってるはずだ。身長168センチだからすぐわかると思う」
「了解!センパイは・・・その、バックの中に手帳があってそれに写真挟んであるから。待ち合わせ場所は改札を出て少ししたとこ。柱におっきな鏡があってその辺に立ってるはずよ・・・手帳の中身は見たら殺す」
 俺はバックの中をごそごそと漁る。一連の騒ぎでしっちゃかめっちゃかになっている中身をかき分けるといかにも女の子といったシステム手帳が出てきた。
 言われたとおり中を見ないようにページをめくると確かに一枚の写真が挟んである。
「あったぞ」
「うん。じゃあ私も行って来る。伝えたらまた電話するから」
「わかった。こっちも急いで行って来る」
 俺は電話を切ってからその写真をしげしげと見つめた。
 確かに美形だ。使い古された言い方だがビジュアル系って感じがしっくりくる。高跳びの選手だとか何とか言っていたがそのわりに髪が長い。
「いけね」
 俺は呟いて走り出した。のんびりしてる暇はねえんだ。さっさと用事を済ませなくちゃあな。
 階段を駆け下りさっき飛び込んだばかりの改札を今度は飛び出す。
「柱・・・柱・・・」
 居た!
「おい!そこのあんた!」
 俺は呼びかけながらセンパイとやらに歩み寄った。
「ん・・・?」
 自分が話しかけられてると気づいたらしいその男は振り返って眉をひそめる。
 なんだかなー。動作の一つ一つから<かっこいいオーラ>が出てるぞ・・・これで優しくて陸上の選手なんて言ったらそりゃあもてるだろう。
 俺は、ちょっとむっとした。
「何だよあんた」
 男は不審気な顔で俺を見つめる。
「あんた遠藤かなえと待ち合わせしてるんだろ?」
「ああ。だからあんたは誰なんだよ」
 言葉がやけに刺々しい。何か話に聞いてたのと若干イメージが違うんだが・・・
「えっとだな・・・まず誤解しないでほしいのが俺とあいつの関係でな、俺達は今日会ったばかりの赤の他人で何の関係もないんだ」
「はぁ?」
「えっと・・・それでだ、あいつは今ちょっと遅刻していて後数分したら来るから待っていてほしいって言う伝言を伝えに来たんだが」
 男の眉がぐっと寄せられた。無茶苦茶不機嫌そうだ。
「なんだよそれ!ちょっと遅刻って何なんだよ!」
「いや、実は俺のせいなんだが」
「あんたの?」
 なんか、とてもじゃないが優しい先輩には見えない。どういうこった?
「事情はいろいろ込み入ってて話づらいんだが・・・ともかく!後少しであいつは来る!あんたはそこで待っててくれ!いいな!?」
 うわ。これじゃ脅しだよ俺・・・何でこんな一気にヒートアップしてんだ?
「・・・そうかよ」
 男は低い声で呟いた。
「何がだ?」
 俺が尋ねると男は今度こそ明らかな怒りの表情で怒鳴り散らした。
「ふざけんじゃねえ!もう沢山だ!あのガキこの俺を嘗めやがって!散々ガキみたいな愛情表現で俺をうんざりさせておいて、いよいよ今晩こそって時に遅刻だと!?この、この俺を待たせてしかもそれをこんな訳の分からない男に伝えさせるだと!?顔だけは良いから目をかけてやればつけあがりやがってあのアマっ!」
「ちょっとまてよおい!何もそこまで言うことねえだろうが!」
 男は怒りの表情のまま顔を歪めて嘲笑を浮かべた。
「どうせあんたもあの顔に釣られたんだろ?気を付けた方がいいぜ?中身はまるで小学生だ。つまんねえ事この上ない馬鹿だからな」
 俺は歯を食いしばった。本来なら今この場ででも殴り倒したいところだが所詮こいつとも遠藤とも関係のない身ではそこまでする権利はない。
「・・・いい加減にしろよ。あいつはあんたが本当に優しいって信じて・・・こうやって後生大事にチョコ抱えて」
 突き出したチョコレートは男に勢い良く振り払われた。放物線を描いたそれは、ゆっくりとゆっくりとタイル張りの地面に叩き付けられる。
「ああ、俺は優しいぜ?一晩限りだけどな」
 正確に言えば、そのセリフは聞こえてはいなかった。俺はゆっくりとチョコレートに歩み寄りそれを拾い上げた。軽く振ってみるとかたかたと軽い音がする。さっきまではしていなかった音だ。
 冗談のようにあっさりと、それは割れてしまっていた。
「3」
 俺は呟いて遠藤のバックにチョコレートをしまった。
「2」 
 呟きながらそのバックを背後に、柱の根本付近におく。
「何言ってんだおまえ?」
 男が尋ねてくる。馬鹿で品性最悪で、おまけに察しも悪いようだ。
「1」
 もはや呟きではなくはっきりと俺は奴に宣告する。
「ゼロ」
 言葉と同時に俺は大きく一歩踏み出した。踏み込んだ足からの衝撃、腰の回転、腕の回転を一体として連動させ拳を通じて男の鳩尾に叩き込む。
 要するに、俺は手加減なしのボディーブロウを奴にくれてやったのだ。
「かはっ・・・」
 空気の固まりを吐き出して前のめりになった男の首を掴んでそのまま膝を打ち込む。目標は再び鳩尾。よろめいたところに力一杯前蹴りを喰らわせてやると男は為す術もなくその場に転がった。
「・・・おい」
 集まってきたギャラリーには目もくれず俺は男の髪を掴んで引き起こした。
「今日おまえは俺が怒らせて帰ったってことにする。今晩にでもあいつに電話して付き合う気がないとはっきり言え。自慢の顔は無傷にしてあるが・・・もしあいつにちょっかいを出そうって気がまだ残ってるなら、警察が来るまで延々と殴り続けてやってもかまわねえぞ?」
「ひ、ひいっ!」 
 男は腹を押さえ涙目でうめく。
「いいか?覚えておけ。あいつには、金輪際、手を出すな・・・」
 掴んでいた手を離すと男はよろめきながら逃げていってしまった。自然集まってきた群衆の視線は俺に集まる。
「・・・やばいな」
 俺は駅員が来る前に群衆をかき分けその場を逃げ出した。
 俺・・・俺は、何やってんだよ・・・

A−8 「祭りの後」   10分後   小公園

 俺は近くのマンション内の公園にまで逃げ延びてようやく息をついた。
「やばいよな・・・マジで」
 呟いてベンチに座り込み空を見上げる。いい天気だ。雲も少なく二月にしては寒くもない。本当だったら今頃はディステニーランドで遊び呆けている頃だろう。
 ま、そっちでも今と同じくらい憂鬱だったかもしれないが。
「何て言う?ともかく俺が怒らせたって事を伝えて・・・このバックはコインロッカーかなんかに・・・いや、責任もって俺が返さなくちゃな」
 こういう憂鬱なときは禁煙してるのがうっとおしくなる。口が寂しいのだ。
「ま、一発や二発殴られるのは覚悟しなくちゃな・・・どうせ、二度と会わねえんだ」
 呟くと、何だかまた不機嫌になる自分が居た。意味不明だ。
 バックからやけに軽やかな音楽が響いた。あいつの携帯の・・・着信音か。  
「公衆電話から?・・・あいつ、だよな」
 俺は震える指先で着信ボタンを押す。
「・・・もしもし?」
 遠慮がちにそれだけ言うと電話の向こうから息を飲み込む音が聞こえた。
「・・・水島さん?私・・・」
 一テンポ置いてあいつの声が聞こえる。
「遠藤・・・」
 どうしても言葉が出てこない。
 何を言ってもあいつを傷つけそうな気がする。どうしようもなく怖い。
 俺はあいつを傷つけない言い方を何度も何度も頭の中で練り上げた。
 だが。
 俺は唐突に気付いた。
 これじゃ、あの馬鹿と一緒じゃねえか。遠藤を騙してきたあいつと。
 口元に悪人っぽい笑みを浮かべてみる。
 そんなんだから久美子と一緒にいても心から幸せだって感じられねえんだよ。今更いい人ぶってどうすんだ。どこまで行っても俺は俺。それだけは事実だ。
 あいつにまで・・・裏表のないあいつにまでそんな演技、つまんねえだろ?
 俺は大きく息を吸い込んだ。
 これを言ったら、あいつともお別れだな。そう思いながらその吸い込んだ息を声に変えて受話器に叩き付ける!
「聞いてくれ!」
「聞いてくれる?」
 さっきと同じように言葉がかぶるが今度は躊躇せずに勝手に叫んだ。
「すまん!俺のせいでおまえの先輩を帰らせちまった!しかも凄く怒ってたからおまえ達を別れさせちまったかもしれねえ!全部俺のせいだ!本当にすまん!」
「ゴメン!私のせいであんたの彼女を帰らせちゃった!しかも凄く怒ってたからあんた達を別れさせちゃったかもしれない!全部私のせいよ!本当にゴメン!」
 ひとしきり叫んでから眉をひそめて黙り込む。
「えっと、すまん。よく聞こえなかった・・・もう一度頼めるか?」
「ごめん。あんたの言葉もよく聞こえなかったの。もう一回言ってくれる?」
 全力で叫んでたから、確かに遠藤のセリフの一言一句まで聞き取れたワケじゃない。でも・・・もう一度きっちり聞きたかった。多分それはあいつも一緒なのだろう。
「・・・直接、会えるか?」
 手のひらにびっしりと汗をかいてるのに気づいて俺は電話を持ち替えた。
「うん。駅を背負って左を見ると鉄橋の手前に大きな公園があるでしょ?そこでまってて。すぐ・・・行くから」
 それだけ言って電話は切れた。
 俺は大きく息を吐き目を閉じる。息が冷たく、そして重い。
 でも、行かなくちゃな。
 二つの別れを、済ますために。


<Count Down Side−A : End>

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