B−1 「一点勝負」  残り1時間  オリエントバス車内

 人間いつかは勝負の時が来る。バーゲンだって試験だってスポーツだって勝負だけどそういうのじゃなくてこの場合、勝負っていうのは人生の分岐点ってやつのこと。
 私はバスの窓から高架を見上げた。ささやかだけど、私遠藤かなえも勝負の時を迎えているのだ。
「うし!頑張るぞ!」
 小声で気合いを入れちょっとガッツポーズなど取ってみる。
 私の勝負とは何か。それはつまり、なんだ。いわゆる告白ってやつなのだ。
 優しくて、かっこよくて、私と同じ高跳びの選手。全校の人気者であるセンパイに、まさかこのあたしが告白する日が来るとは・・・
 自慢じゃないが私は今まで誰かを好きになったことはない。ちっちゃい頃から体を動かすのが好きで男っぽい格好で男っぽく男らしいことばかりやっていたらいつのまにやらすっかり姉御状態になってしまっていたのだ。
 でも・・・センパイに会ったとき、私は初めて恋をした。
 うわ。無茶苦茶恥ずかしいぞこれは・・・!
 苦笑いしながら私は視線を動かす。もう少しで決戦の地、新安浦駅に着くのだ。
 そこでセンパイに会って、初めて作ったこの手作りチョコ渡して、その場で好きだって言って・・・うぅ、その後どうするんだろう?
 あたしは期待と不安を込めて停車ブザーを押した。
 これまで何もなかった分を取り返す、恋の一点勝負!さて、どうなるのかしら・・・

B−2 「クラッシックな出会い+1」  残り58分  新安浦駅

 私は腕時計をちらっと見た。時刻は午前8時2分。待ち合わせまで後58分もあるけど・・・私は1時間前には待っていようと思って出てきたのよね。何か一途っぽいじゃない?そういうのって。
 だから、私はバスを降りて猛然とダッシュした。バス停と駅は道路を挟んで逆方向にある。向こうに行くには歩道橋を使わなくてはいけないのだ。
 高跳びとはいえ私も陸上選手。気分も手伝って軽やかに階段を駆け登る。てっぺんまで来たらインを突いて軽快にターン。
 だが。
 曲がった先には真っ黒い布が広がっていた。
「きゃあっ!」
 悲鳴を上げた途端それに衝突した。激突の衝撃で私は為す術もなく地面に転がる。
 うう・・・痛い。
 私は心の中で悲鳴を上げながら腰をさすった。全く、何が起きたっていうの?
「おい、大丈夫か?」
 まだ少し目を回していた私にいきなり声と手が振ってきた。
 見上げると、何か無闇にでかい男が困り顔で手をこっちに差しだしている。この男の黒いシャツ・・・そうか、私こいつの胸に激突したのね。
 そう思いながらあたしはその手を取ろうとした。
 直前までバックを持っていたはずの右手で。
「大変っ!」
 叫びながら全身のバネで飛び起きる。
「あんたなんて事すんのよ!脳味噌入ってんの!?マジで!」
 考えてみればこいつがさっと避けてくれればこんな事には!
「ああっ!そんなこと言ってる場合じゃないわ!バックは!?」
 慌てて辺りを見回す。あの中には大事な大事なも一個おまけに大事な手作りのチョコレートが入ってるってのに!
 無い。どこにも転がってない!
 ・・・そう言えば倒れるとき勢いよく手を振り回したような。 
 っつーことはまさか下!?
 あたしは歩道橋の手すりに飛びついて下を見下ろした。
「う〜・・・あった!」
   はたしてそこにバックは有った。停車中のトラック・・・多分すぐそこにあるホテルかコンビニに荷物を運ぶ奴だ・・・の荷台の上に落ちている。
 全くなんでこんな事に・・・私は隣で一緒になって下を見下ろしている男の腕を力一杯引っ張った。 
「ほらっ!ぼさっとしてないでさっさと来る!」
「な、なんで俺が!」
「あんたがぼーっと歩いてくるからぶつかっちゃったんでしょうが!男なら男らしく責任とんなさいよ!そのでっかい頭は飾り!?」
「んだと!?俺は頭がでかいんじゃない!体がでかいんだ!現に比率で行けば七等身なんだぞ!」
 知るかそんなこと。
「相対的な問題よ!あたしよりでかいでしょうが!」
「おまえが小さすぎんだよ!全体的にも局部的にも!」
 そう言って男はじろじろと私の顔の下を眺める。よーするに胸だ。
「あああああああんた何て失礼な事言うのよ!最低男!」
「事実だろうが!」
 うっ!そりゃ小さいけど・・・小さいけどぉっ!
 私と男は歯ぎしりなぞしながら激しく睨み合った。
 ・・・・・・はて?何か忘れてるような。
「ってそんな事言ってる場合じゃないのよ!」
 バック!私のバック取りに行かなくちゃ!
「・・・そうだな。俺も<眉毛のあるコOラのマーチ>位の確率で悪かったかもしれん」 
 男は何だかずれた答えを返してくるが取り敢えずつっこみは入れてみる。 
「・・・要するにほとんど悪いと思ってない訳ね?」
「そうとも言う」
 私は冷たい目で睨んでから改めて男の手を引っ張った。
「いいからついてきなさい!」
「へいへい」
 男は渋々といった感じで私に引っ張られるまま歩き出した。
 ドラマチックな衝突の出会い。マンガやゲームで使い古された、そんな出会いの筈だった。でも、現実ってこんなものよね。
 私たちの出会いは、ようするにそんなものだった。

B−3 「変な奴」   残り52分  トラック前

「まったく割れてたらどーすんのよ」
 私は呟きながらトラックを見上げる。上から見た通り結構大きいトラックだ。そう簡単には登れそうにない。
「・・・取りにいかねえのか?」
 男が無責任な顔でそう言い放つ。
「こういうのは男の仕事でしょ!?スカートで登れっての?」
 高さ2メートル弱。何とかぶら下がっても下から見られたら・・・
「しゃあねえな・・・まってろよ?」
 男は肩をすくめてから軽く跳び上がって荷台のはじっこを掴んだ。そのまま勢いを付けて一気に体を引き上げる。でかい割には意外と敏捷ね。
「お、これだな・・・」
 しばらくしてそう言う声が聞こえた。男はコンコンと足音を立てて荷台の上を歩いている。どうやら見つけたようだ。
 ・・・ん?考えてみれば、あの男がもしバックを開けたら・・・中は財布とか携帯とか入ってるしやばいんじゃないの?
 そこまで悪い奴ではなさそうだけど、もし中のチョコレートが見つかったら・・・それはそれで凄く恥ずかしいような・・・
 決断した私は思いっきり跳び上がった。ぎりぎり指の先で引っかかった荷台の端をしっかりと掴み直しそのまま一気に体を引っ張り上げる。
「あった?」
 バックを眺めている男に私は声をかけた。どうやら中は見ていないようだ。
「おう。これだろ?」
 背後からかけられた声に振り返った男は私の手にぽんっとバックを押しつけた。
「・・・・・・」
 そして男は眉をきゅっと寄せる。
「っていうか、結局おまえも上ってきてんじゃん」
「う・・・」
 私は思わず俯いた。
「だってだって、ひょっとして中見てんじゃないかな〜とかいじられたらやだな〜とか意地悪でどっか遠くに投げられたりしたら面倒だな〜とか・・・」
「しねえよそんなことは」
 男が言った途端、足下で『ばたんっ』と音がした。
「なんだ?」
「何かしら?」
 私達は顔を見合わせ首をひねる。だが、答えはすぐにわかった。
 私達が立っている場所。要するにトラック全体が震えて、同時に低いアイドリング音が響きだしたのだ。つまりさっきのはドアが閉まる音で、これはエンジン音・・・
「やべえっ!これ動くぞ!」
「うそぉっ!」
 私が動けないで居るうちに、トラックはものすごい勢いで発車した。
「きゃっ!」
 予想以上に激しい加速に耐えきれず私はよろめいて倒れそうになった。
 やだよ!こんなとこから落ちたら!
 必死になって荷台に捕まろうとした私の腰は力強い手でぐっと抱き寄せられた。
 私を抱きかかえる形になった男はそのまま荷台に倒れ込む。
「ど、どこ触ってんのよ!」
「背中っ!」
「それでも一応胸なのよそれはっ!」
 私は喚きながら男の手を振り払った。バスに乗ってるときとかと一緒で危ないのは発車と停車の時だけ。そのままぴょこっと身を起こしてその場に横座りする。
 男も苦笑いしながら身を起こしどっかとあぐらをかいた。
「・・・死ぬかと思ったわ。自力でも体勢立て直すことは出来たと思うけど、一応あんがと。助かったわ」
「なんだ。ただの礼儀知らずじゃなかったのか。気にすんなよ」
 私たちはしばらく黙り込む。
「なんで私たちって悪口なしで会話できないのかしら?」
「俺に聞くなよ」
 実はこういう会話も楽しいんだけどね。
「あ!そうそう!」
 会話が切れたことで私は本題を思いだした。手をポンっと叩いてバックの中を探る。
「よかった〜割れてない」
「さっきも言ってたなそれ。何のことだ?」
 首を傾けて男が発した言葉に私は耳まで真っ赤になった。
「え!?あの、その・・・ちょこれーと」
 動揺してしばらくあちこちに手を振り回してから小さな声で呟く。やっぱり変かな?私みたいな娘がチョコレートなんて・・・
「そうか。俺に渡すためにこんな所までつれてきたんだな?一目惚れか?」
「・・・腐ってんの?」
 一気に気持ちが萎えた私は我ながら冷たい声でつっこみを入れた。
「そこまで言うか?」
「言うわよ。何であたしがあんたなんぞに手作りチョコ渡さなくちゃいけないのよ。しかも初対面で」
「へぇ、手作りか」
「そ、そうよ。悪い!?」
 どうせ私は料理下手よ!これだって失敗作がキッチンいっぱいに残ってるんだから!
「何で怒るんだ?」
「べ、別に?」
 う・・・確かに怒る理由無いんだけど・・・やっぱ自信ないのかなあ私。
 落ち込んだとこを見せるのもしゃくなので私はツンとそっぽを向いてやった。
 ん?そーだ。こいつ今日暇そうにしてるって事は、チョコ一個も貰えない可哀想な男って事ね。
 私はニヤニヤしながらバックを開けチョコを取りだした。
「見る?見る?あんたみたいなもてなそうな男には縁のないアイテムでしょうねぇ?」
「久美子は去年チョコレートケーキを焼いてきたぞ。ちなみにクリスマスの時もでっかいケーキ持参だった。そこらの店で買うよりもよっぽどうまかったなぁ・・・」
 思いがけない反撃に私はちょっとひるんだ目で男を見上げた。
「マジ?」
「こんな嘘つく奴が居たら無茶苦茶寂しいと思うぞ?ちなみに3サイズは上から87・56・88だ」
 ・・・完敗。まさかこいつの彼女がそんな凄いなんて・・・目を見る限り嘘なんて微塵もついてないって感じだし・・・
 やっぱり私ってこういうの向いてないのよね。敗北感と一緒にそそくさとチョコレートをバックにしまい込む。
「ああ、いや・・・そういう普通の奴の方が当たり外れが無くていいんじゃねえか?見た感じ料理が得意ってわけじゃなさそうだし人には人なりのだな」
 ひょっとしてフォローのつもり!?馬鹿にしてる度が二倍になっただけじゃないの!
「あんた本気で鎖骨でも折られたいわけ!?」
 でも・・・人のことを気にするな、か。そうだよね。
 「うー。ま、いいけどさ。確かにあたしはあたしのやり方でないとね、うん。かなえ、ふぁいとっ!」
 私は小さくガッツポーズを取りながら一人で気合いを入れた。子供じみてるとは思うけどついついやってしまう癖なのだ。
「かなえ、か。そういやまだ名乗ってもいなかったな。俺は水島景一。大学生だ」
「あ、私は遠藤かなえ。遠いに島、ひらがなでか・な・えって書くのよ」
「うむ、こんなとこでなんだがよろしく」
「うん。よろしく」
 私達は疾走するトラックの荷台というおよそまっとうでないところで握手を交わした。
「ってのんびりしてる場合じゃねえだろうが!」
「ああああ!そうよ!待ち合わせがっ!どうしてくれんのよあんた!」
「知るか!俺だって待ち合わせしてんだよ!」
 私達はとりあえず荷台から身を乗り出した。結構早い。落ちたら怪我じゃすまないかもしれない。
「飛び降りるわけにはいかねえな・・・」
「それより、周りの目が痛いわ」
 すれ違う車や通行人が目を丸くしてる。うぅ、恥ずかしいよぉ・・・
 とか思っていると、不意に私たちのトラックが停止した。
「何だおまえら!」
 続いて野太い叫び声。おそらく運転手ね。
「ばれた!ずらかるぞ!」
「う、うん!」
 水島さんは相変わらずの身のこなしで素早く地面へと降り立った。忍者?
「おい!降りれるか!」
「余裕よ!」
 私は言いいざまに荷台から飛び降りその端にぶら下がる。そのまま地面へと飛び降りて最後に体全体で沈み込むように着地して終了だ。
「芸術点含んで90点をあげよう」
 水島さんが何故かニヤニヤして呟いた。
「何よ芸術点って?」
「秘密だ」
 軽口を叩いている間に運転手のおじさんはこっちに回り込んできた。
「まてガキどもっ!」
 もちろん待てと言われて待つわけがない。
 そう思って走りだそうとした私の手を水島さんががっちりと掴んみそのまま無茶苦茶なスピードで走り出した。
「いたいいたいいたいいたいっ!」
 ちぎれるちぎれるちぎれる!
 私の悲鳴を聞きもせず水島さんは猛ダッシュを続ける。
 しばらくし、もう相当な距離を走りきった後で水島さんは立ち止まり背後を振り返った。
「はぁっ・・・はぁっ・・・もう追ってこねえな・・・ふぅぅぅっ・・・」
 水島さんは深呼吸しながらそう呟く。
「追ってこねえな・・・じゃないわよ・・・」
 私は我ながら恨めしそうな声で呟く。引っ張られ続けた手首がまだ痛いわよ。
「いやあ、若いっていいねえ」
「何それ・・・にしてもあんた足速いわね。これでもそこらの男の子より速いつもりなんだけどなあ」
 ちょっとプライドが傷ついた私の問いに水島さんは肩をすくめた。
「これでも高校時代はスプリンターだったからな」
「奇遇ね。あたし高跳びの選手よ」
「国外逃亡?」
「その高飛びじゃなくて・・・ああ、もういいわよ。あんたにかまってる暇ないんだから」
 私は眉間にしわを寄せて辺りを見回す。引っ張られるままに走って来ちゃったけど一体ここどこなのよ?
「う〜、旧町の方まできちゃってるじゃない!私はもう行くからね!じゃ!」
 ここからだったら駅まで行ってバスに乗ったほうが早そうね。私はそう判断して軽く手を振ってから再び走り出した。
 ・・・そういえば、水島さんがなんか後ろで叫んでたような?
 ま、いっか。

B−4 「HURRY UP(バス)」 残り43分 地下鉄安浦駅前

 私はバス停に向かって走っていた。なんだかなあ・・・何でこんな事になってんのかしら。
 安浦市は埋め立てで二倍近く面積が広くなった町で、元からあった部分を旧町、埋め立てられた部分を新町と呼ぶ。
 あたしは新町の方の住人なもんで旧町の地理にはあまり詳しくないのよね。昔は地下鉄の駅が有るんでよく利用したけど最近はK葉線が便利だからあまりこっちには来ないのだ。
 そう言うわけで実はバス停の位置もうろ覚えなんだけど・・・あ、あった。
 私はちょっと安心して足をゆるめた。ここから新安浦まではバスで10分ちょっと。大丈夫、よゆーだ。
「ん?」
 バス停に近づいたあたしはくいっと首を傾げた。
 あたしの視線の先で一人の女性が時刻表を一生懸命見ようとしている。白いコートに白いマフラーとなんだか白ずくめだ。水島さんの黒ずくめと並んだらさぞおもしろいだろう。背がやけに高くボディーラインはコートの上から見ても凄いレベルとわかる。それに髪。まさかカツラじゃないわよね?異常に綺麗な黒髪だ。
 でも、とりあえずそれらはどーでもいい。問題は・・・
「う〜ん・・・よく見えませんねぇ」
 女性は時刻表を嘗めようとしてるかのようにぴったりと顔を近づけているのだ。その距離実に5センチちょい。
 う〜む。あれは、近づけすぎて見えてないのではないだろーか。
 ちょっとあきれながら歩き出した私の視界に、バス停に立つもう一人の人物が映った。背が低めなその男はゆっくりと女性に近づきその足下の紙袋を手に取った。
「あら?」
 タイミング良く女性が振り返る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 二人して困った顔をして見つめ合う。
「えっと、どちらさまでしょうか?」
 女性が口を開いた瞬間、男は猛然とダッシュした。
「あら?」
 女性は頬に手を当てて首を傾げる。
「私の荷物・・・」
 置き引き!?
 私は男を追ってダッシュした。男は結構足が速いがさっきの水島さんと比べればどうって事のないスピードだ。
「またんかい泥棒がッ!」
 私が叫ぶと男は走りながら振り返った。
「ひぃいっ!」
 引きつった顔で悲鳴を上げる男。
「殺さないでっ」
 おい。
 私は半眼で男を睨みつつ男に追いついた。男の襟首を掴み、踏み出そうとした男の左足を自分の左足で後ろから蹴り払う。為す術もなくひっくり返る男の手から放れた荷物をキャッチして首のあたりを踏みつけてロック。
「さて、何か言い訳は?」
「嫌だっ!死ぬのは嫌だっ!」
「ほうほう」
 私は呟いて踏みつける足をぐりぐりと回した。
「ぎええええええええっ!」
 男にひとしきり悲鳴を上げさせた頃ようやく女性が追いついてきた。
「はぁ、はぁ・・・足、お早いんですね・・・」
 いや、どっちかっつーとあなたが遅いんですけど・・・
「あらあら」
 考え込む私をよそに女性は私の足下にしゃがみ込み踏んづけられている男の顔をじーっと見つめた。
「・・・えっと、初対面ですよね?」
 女性はしばらくたってから呟いた。男が首をがくがくと振る。
「置き引きはよくありませんよ?犯罪っぽいですし」
「・・・よけいなお世話かもしれませんが、何でそんなにのんびりしてるんですか?」
 女性は頬に手を当ててため息をついた。
「ごめんなさいね。よく緊張感がないって言われます」
「いや、だから・・・まあいいや。で、こいつどうします?やっぱ東京湾にでも?」
 足の下で男がひいっと情けない声を上げる。
「離して上げてくれますか?悪気はなかったと思うんです」
 悪気のない置き引き?
 私は首を傾げながら足をどけた。
「もうこういう事はやっちゃ・・・」
 女性が言い終わるより早く男は凄い勢いで飛び起き走り去ってしまった。
 後に残された女二人、呆然と立ちつくす。
「・・・急いでたんでしょうか?」
 私は頭痛をこらえて首を振った。

「それにしてもご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
 バス停に戻ってきて早々、女性はあたしに深々と頭を下げた。
「あーいいのいいの。その場のノリだから」
「海苔ですか」
「ノリです」
 私は改めてその女性を眺めた。はっきり言って綺麗な人だ。何かぼんやりしてるけど、暖かくていい人って言う雰囲気が全身から放射されている。
「申し遅れました。私、渡辺と申します」
 言ってぺこりと頭を下げる。うう・・・頭を下げてもあたしより背が高い・・・
「遠藤かなえです」
 私が頭を下げると女性はにこにこと笑った。
 凄い。
 私は心の中で呟いていた。完璧な笑顔というのを、私は生まれて初めて見たのだ。
「本当に助かりました。あれを持って行かれたら私どうしたらいいのやら。本当にありがとうございます。このご恩は一生、いえ子々孫々まで語り継いでいきたいと・・・」
「あ、いやそんな大したことじゃ・・・それより荷物、大丈夫?」
 私が言うと女性はぽんっと手を打った。
「そうでした、大変」
 そうは見えないわよ・・・?
 女性は足下に置いていた(懲りない人だ)紙袋を開いて中から紙の箱をとりだした。ビデオテープを4つほど積み重ねたくらいの大きさのその箱はピンク色の包装紙と可愛らしいリボンで梱包されていた。
「見たところ、大丈夫そうですね」
「あの・・・それは?」
 見当はついていたがあえて尋ねてみると、
「ケーキです」
 女性はにっこり微笑んで答えてくれた。
 う〜、またケーキ?最近流行ってんのかしら・・・?
「あ、結構振り回しちゃった気がするけど中は大丈夫なの?」
「はい。中で固定してあるので箱が潰れなければ大丈夫の筈ですから」
 女性はそう言って愛おしそうに箱を撫でてから紙袋にそれを戻した。
「あの・・・それ、バレンタインのチョコ・・・なんですよね?」
 私は気になって聞いてみた。
「はい」
「最近は、その・・・普通のチョコよりもチョコレートケーキが主流なんですか?」
「いえ、あの方の好みです。以前ケーキを差し上げたらとても喜んで下さったもので」
 あの方・・・彼氏のことなんだろうけど凄い敬いようだ。
「・・・やっぱり、チョコよりケーキか・・・」
 私が呟くと、渡辺さんはぱたぱたと手を振った。
「そこにこだわることはないと思いますよ?相手の方次第です。甘い物が嫌いな方にこのような物をお渡ししても遠回りな嫌がらせにしかなりませんから」
「ま、それもそう・・・かな」
「私の場合は、たまたま甘党の方とおつきあいさせていただいているだけですよ」
 無意識にバックを押さえていた私に渡辺さんは暖かい笑みを浮かべた。
「好きな方に、渡すんですね?」
「え?いや・・・その・・・はい」
 あー、もう!何で顔赤くしてんのよ!そりゃあ初めてだけど・・・別にバレンタインにチョコあげるくらいで照れるな私っ!
「ふふふ・・・頑張って下さいね」
 相変わらずほんわかしている渡辺さんに私は思わずため息をついた。
「・・・片思いなの。渡辺さんがうらやましいな。もうゴールインしちゃってて」
 何気なく呟いてから私はぎょっとした。
「そうでも、ありませんよ・・・」
 渡辺さんの顔が初めて曇ったのだ。
「渡辺さん?」
「ゴールなんかじゃ、ないんですよ。思い続ける間は、幸せでいられます。でも二人で幸せになるっていうのは凄く難しいんです」
「うまくいってないんですか?」
「いえ、うまくいっています・・・いきすぎているんです」
 そこまで言ってから渡辺さんははっとしたように顔を上げた。
「ご、ごめんなさいね?あの、よけいな事言って・・・」
 反応に困った私に渡辺さんは早口で(それでも普通の人から見ればゆっくりだが)言葉をつないだ。
「あの、その・・・遠藤さんはどちらで待ち合わせですか?」
「え・・・?あの新安浦駅の改札前ですけど?」
「・・・・・・」
 渡辺さんは頬に手を当てて首を傾げた。何度も見るこのポーズ、癖なんだろうか。私も何気なく真似してみる。あ、けっこういいかも。
「私、ものすごく目が悪い上に今日は眼鏡もコンタクトも忘れて来ちゃったんでよく見えないんですけど・・・ここは、浜舞駅行きの停留所では?」
 はい?
 私は時刻表を見上げた。
『市役所経由・浜舞駅行き』
「のぉぉぉぉぉぉっ!」
 自分でも謎の叫び声をあげる。
「あらあら」
 一連の置き引き事件で確認するの忘れてた!
「ご、ごめんなさい渡辺さんっ!私行きます!」
「はい、ごきげんよう」
 渡辺さんは相変わらず優雅に頭を下げた。
「さよならっ!」
 あたしは本日何度目かもわからない全力ダッシュを始めた。はぁ・・・大丈夫か私?

B−5「二度目の衝突及び時間の無駄遣い厳禁」 残り30分 新安浦行きバス乗り場

 あたしは走った。確かそう遠くないところにもう一つ乗り場があったはず。多分あっちが新安浦駅行きだ。普段は自転車派で滅多にバスに乗らないのが仇になったか・・・
「じ、時間はっ!?」  
 疾走しながら時計に目を落とす。待ち合わせまで残り30分、余裕はまだあるけど・・・ああ、もう!水島さんのせいでっ!
 どすっ。
 走り、時計を見、悪態をつくと一度に三つのことをこなしていたのがいけなかったのだろう。あたしは周りを全然見ていなかった。そりゃもう致命的に見ていなかった。
 脇道から飛び出した女性と私は思いっきり激突してしまったのだ。
 それだけならどうせ二度目だ。どうって事もない。ただ・・・彼女が頭をかばおうと突き出した肘が、私の、鳩尾に・・・
 鈍い衝撃と呼吸困難に私は悲鳴もなく崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですか!?」
 地面に転がっていた女性が慌てて立ち上がりうずくまった私に駆け寄ってくる。
「な・・・ナイス、離門頂肘・・・」
 何とかそれだけ言って必死に呼吸を整える。うー、自分からぶつかっといてこのダメージ・・・情けない・・・
 しばらくして痛みの収まった私は深呼吸してから女性に向き直った。
「もう大丈夫。ぶつかってゴメンね」
「いえ、私は大丈夫でしたから・・・もう、二度目ですし」
「奇遇ね。私も二回目」
 言いながらバックを拾い上げて中から大事なチョコを取り出す。軽く振ってみるけど取り敢えず割れた様子はない。
「オッケ。今回も無事だったみたいね。バックがクッション代わりになってるのかしら」
 呟く私の手元を女性はじっと見つめた。
「チョコレート・・・ですよね?」
 ずれていた眼鏡を直しながら女性は暗い目で呟いた。
「うん・・・そうだけど?」
「いえ・・・あの、一つ聞いていいですか?」
 女性は胸の前で手を組んで俯いた。
「いいけど、何?」
「・・・その人と、うまくいってますか?」
 私は軽くのけぞった。
「え、いやあの・・・なんで?」
「ちょっと気になることがあって・・・」
 異常に真剣な視線に私はたじろいだ。顔が紅潮するのを意識しながら私はつっかえながらも答えてみる。
「その・・・センパイとは、片思いで・・・取り敢えず今日デートに応じてくれたって事はそれなりにうまくいってるのかなーなんて・・・」
 うう、恥ずかしい・・・
「そうですか・・・うまくいってますか・・・」
 女性は呟いた。
「では、何もかもうまくいっているのに幸せじゃない状態ってわかりますか?」
「は?」
 私は間抜けな声を上げる。
 うまくいってるのに、幸せじゃない?
「うーん、よくわかんないや」
 考えた末にそう答えた。
「そうですか。そうですよね」
「ごめんね、でも何でそんな事言うの?」
 女性は私の問いに困ったような笑みで答えた。
「私、これから自殺するんです」
「はぁ!?」
 私は目を丸くして硬直する。
「で・・・さっき言われたそのセリフが気になって、これじゃ死にきれないんで悩んでるんです」
「いや、その・・・」
 口をぱくぱくさせる私に女性はいたずらっぽく微笑んだ。
「って言ったら信じます?」
「・・・・・・」
 私は半眼で彼女を睨んだ。女性は「ごめんなさいね」と微笑む。
 でも。
「信じるわ」
 私はきっぱり言った。
「え・・・?」
 彼女の手が、小さく、ほんの小さくだけど震えているのに気がついたのだ。それに、彼女の微笑みは・・・さっきの渡辺さんの笑みを見た後では不自然な物としか写らない。あの本物の笑みを見た私にはそれが作り笑いと良く解る。
「いやですね、嘘に決まってるじゃないですか」
「そう?」
 私の問いに女性は俯いた。しばらくそうしていた後にぼそっと答える。
「確かに、さっきまでは本当に死のうと思っていました。でも・・・」
 女性は顔を上げた。苦笑いだが、今度こそ本当の笑いがその顔に浮かぶ。
「さっき、しかられちゃいました。で、とりあえず彼の言葉を理解するまでは自殺延期かなあ・・・と」
「延期って・・・まだ死ぬ気なの!?」
 女性は頷いた。
「駄目!絶対駄目!」
「何故です?さっきの人にもそう聞きたかったんです。この場を離れれば二度と会うこともないはずの私に、何故そういうことを言えるんですか?」
 私は答えに詰まった。私ってば肉体労働者でこういう頭脳労働は苦手なのよね。
「だって・・・私、自殺は嫌いだから」
 悩んだ末に結局これかい!私は心の中で自分につっこんで先を続けた。
「もちろん自分でもしないし人にもさせたくない。だから止めろって言うの」
「・・・自分勝手ですね」
「そうよ?でも、自分で譲れないって思ったことは最後まで主張していいと私は思ってるわ。自分のために生きてるんだもの」
「自分の為にですか?」
「そ。別に好き勝手やるってワケじゃないけど、人に合わせてばっかなんて私は絶対に御免だな」
 女性はしばらく黙っていたがやがてくすくすと笑いだした。
「・・・さっきの人と、何だかあなたは似ています」
「そうなの?」
 私はどう反応していいやらわからなくて頭を掻いた。ふと視界に腕時計が入る。
「うわっ!忘れてた!」
 叫ぶ私の耳にエンジン音が届いてきた。慌てて振り返ると遠くにバスが見える。
「ごめん!急いでるんだ!じゃあね!」
 叫びながら私は走りだそうとした。
「あ!待って!」
 女性の叫びに取り敢えず立ち止まる。
「あなたが待ち合わせている人は背が高くて髪の毛を立てた黒ずくめの人ですか!?」
「え?違うけど?」
 って言うか、私待ち合わせしてるって教えたっけ?
「そうですか・・・引き留めてごめんなさい。さよなら」
「うん、さよならっ!」
 私は手を振ってから今度こそ走り出した。もう、何でこんなぎりぎりになっちゃうんだろう。
 
B−6 「ラウンド3、ファイト!」 残り16分 新安浦駅前バス停

 私はバス停から飛び出すように降りて猛然とダッシュした。さすがにつかれていた足もバスに座っている間に回復していい感じな走りだ。
 まだ時間は有るんだけど・・・ま、これも乙女心ってとこかしら。
 歩道橋を一気に駆け上がり鋭くターン、駅の方に走り出す。
 そう言えばこんな事になったのもここであいつにぶつかったからだ。水島さんってば角を曲がってすぐのところでぼんやり立っているから・・・ほら、あんな風に・・・
 って本人!?
「うわっ!どいてどいて!」
 私は朝と同じような位置で私の走るコースを塞いでいる水島さんに声をかけ何とか進路を変えた。
「またかよっ!」
 水島さんは叫びながら左にサイドステップする。っておい!
「きゃあっ!通算3回目!?」
 私は悲鳴を上げて水島さんの背中に思いっきりぶつかった。朝はこらえた水島さんだったがさすがに後ろからのタックルには弱かったらしい。私は彼を押し倒すようにして地面に転がった。
 う〜、何かどんどん乙女の世界から離れていく・・・元から遠いけど。
「・・・なあ、一つ聞いていいか?」
「・・・何よ?」
 あきれたような水島さんの声に私も冷たい声を返す。
「何でこうなったんだろうな?俺に恨みでもあるのか?」
 カチンときた私は勢い良く飛び起きた。
「あんたねぇ!人が避けた方に避けといて何言ってんのよ!おかげで今日一日で3回も大転倒しちゃったじゃないのよ!」
「たわけっ!俺だって3回目だ!第一避けろっていったのはおまえだし後ろから来たおまえの避ける方向を俺がどう知るってんだ!」
「う・・・それはそうだけど」
 しまった。向こうの方に一理あり・・・
「まあいいさ。それよりチョコは大丈夫か?」
「あ!そうだった!」
 内心で話題が変わったことにほっとしながら抱きかかえていたバックの中を漁り出す。さすがに3回目ともなると倒れる前にバックを抱きかかえるという高等テクニックが身に付いてくる。わりと学習能力が高めな私。
「うん、大丈夫みたい!」
 言った私を水島さんは片方の眉を上げて見つめる。
「・・・しかし、一種の詐欺だよな」
「何が?」
「こんな可愛い顔の中身がこれじゃあなあ・・・」
 私は口を開くより先にボディブロウを水島さんの鳩尾に打ち込んだ。軽くスウェーバックして彼はそれを避ける。
 おのれ、できるな。
「あんたね、失礼すぎると思わない?彼女にもそういう事言ってるわけ?」
「馬鹿言うなよ。あいつにそんなこと・・・」
 言いかけて水島さんは口を閉じた。
「おまえだって、そのチョコ渡す奴にそういうしゃべり方すんのか?」
「え?そんなわけないじゃない・・・」
 私はその意味に気づき口を閉じた。
「・・・取り敢えずここに突っ立ってるのもなんだからな」
 私達はどちらからともなく頷き合って駅に向かった。

 B−7 「恋煩いの治療薬、使用前・使用後」 残り14分 新安浦駅隣接休憩所

 さっき買ってきたばっかりの缶コーヒーはまだ熱い。
 私はプルトップを起こしたままそれを両手で握って冷めるのを待っていた。
 確かに私はがさつだ。乱暴だし渡辺さんみたいに優雅でもない。はっきり言って女の子としては平均点を割ってると自覚している。
 でも、センパイの前ではいつもと違う私になってるのも自覚している。いつもよりもずっと可愛らしい私がそこにいる。
 でも、それって本当に私なのかしら。
 ふと視線を感じて横を見た。水島さんが私の顔を見つめている。
「何?」
「いや・・・」
 呟いて缶コーヒーを啜る水島さん。
「あのさ、水島さんには彼女が居るんだよね?」
「ああ。もう付き合って・・・1年半くらいか?」
 水島さんは笑っているような、苦しんでるような不思議な顔をした。
 あたしはその顔を見て心の中に浮かんだ単語をそのまま口に出した。
「いいよね、そういうの。使用後だもんね」
「何だその使用後って」
 私は指をちっちっちと振りながら笑って見せた。
「恋の病の治療薬。効いた場合症状が幸せに改善されるけど効かなくてがっくり落ち込む場合も有り。場合によっては副作用で他の人が落ち込んだりもする。要するに告白の事よ」
 私の妙な造語に水島さんは苦笑いで頷いた。
「私はまだ使用前。でも、今日勝負をかけよっかなって思ってるんだ」
 私は両手で包み込んだ缶をずずっと傾けた。猫舌の身にはまだちょっと熱い。
「・・・そうか。頑張れよ」
 水島さんは相変わらず私には読み切れない複雑な表情で頷く。
 何で私はこの人にこんな事言ってるんだろう?
 疑問をぎゅっと押さえて私はさっきから気になってたことを尋ねてみた。
「気に障ったら、ほんと御免ね?水島さん・・・彼女とうまくいってなかったり・・・するの?」
「なぜそう思う?」
 水島さんは不自然に無表情になって缶コーヒーを傾けた。
「なんか・・・彼女のこと話すとき、つらそうだから」
 水島さんはちょっとびっくりした顔をした。その後に苦笑して一人頷く。
「俺は・・・」
 言いかけてからもう一度缶コーヒーを啜った。
「俺は、自分の理想通りの女と付き合っている。あいつも俺が好みのタイプらしくてな。ああ、言っとくが告白したんじゃなくてされたんだからな。喧嘩もしたことねえしよくデートもしている。毎日がとても楽しい・・・」
 私は黙って耳を傾けた。声をかけれそうな雰囲気じゃなかったのだ。
「何もかも順調だ。あまりにも波乱のない生活・・・それが嫌なワケじゃない。でも、あいつと付き合ってるのは本当に俺なのか?」
「え?どういうこと?」
 謎のセリフに私は混乱した声を上げた。
「喧嘩をしないんじゃなくて、出来ないんじゃねえのか?俺達は相手に理想的な自分を見せようとし合ってるだけ何じゃねえのか?」
 水島さんはいらだたしげにそう言って舌打ちした。
 どうしよう・・・何を言ったらいいんだろう?私は一生懸命頭を動かした。
「・・・すまん。これから告白って大事なときにこんな盛り下がる話しちまって」
 悩んでいる私の顔を見て水島さんは慌てたように謝ってきた。
「だ、大丈夫。実際好きな奴と一緒にいるってのは楽しいぞ?何するにもこう・・・張り合いってもんが出るしな!」
 無闇に明るい口調で水島さんはまくし立てる。
 違うよ、水島さん。私、落ち込んでなんかいないのよ・・・ただ。
「そうじゃないのよ」
 私は自分でもいい笑顔で笑って見せた。
「ん?」
「別に盛り下がったとかそういうのじゃなくて・・・私たち似てるなって思ったのよ」
 私は天井を振り仰いだ。
「私って見ての通り男っぽいっしょ?これまで男の子にも興味なかったしね。でも、同じ高跳びの選手なセンパイが居てね・・・すっごい格好いいセンパイで、それに凄く優しくて」
 センパイの顔を思い浮かべる。優しい微笑みと凛々しい顔の両方を。
「気づいたら、好きになってたって感じかな。無意識にセンパイの前ではお淑やかに振る舞ってるのに気づいちゃって・・・ああ、私はこの人が好きなんだなって」
 でも。そんな私に気づいた親友が私にこう言った。あの人はすごい遊び人でもう何人も彼に騙されている、あの人を好きになるのは止めなさいって。
 私は、自分でもびっくりするくらい怒った。その時は、大事な人の悪口を聞いて怒ったんだと思っていた・・・でも、本当にそうなのかな?
 私は、自分の幻想を否定するのが嫌で怒ったんじゃないの?
「それって駄目だよね?本当の自分じゃないんだもの。これからずっと演技なんかしてられないよね。私、本当ははこんな娘なんだもの。これじゃ告白したって・・・」
「そんなことねえだろ?」
 水島さんは強い言葉で私の愚痴を遮った。
「大丈夫だ。おまえは十分可愛いぜ・・・怒ったり、叫んだり、駆け回ってるのも含めてな。おまえが好きになるような男だったら絶対わかってくれるさ。少なくとも・・・」
 水島さんはそこまで言って黙り込んでしまった。多分、お世辞のネタが切れたんだろう。
 ・・・優しいよね、この人も。
「ありがと」
 私はそう呟いて彼の顔を改めて見つめた。そのあまりにもまっすぐな瞳に思わず心から言葉がこぼれ落ちる。
「水島さんの彼女、きっと幸せね・・・こんな」
 こんな?
 私は自分の言葉にこれ以上ないくらい戸惑った。
 こんな、何?私・・・今何言おうとしたの?
 水島さんの顔をちらりと盗み見ると、難しげな、戸惑ったような表情がそこにあった。
 多分、多分だけど・・・確証なんて何もないけど・・・今、私も同じような顔をしてるんじゃないのかな。
 私は、これまでになく彼に親近感を感じた。

B−8 「CROSS FIRE」     残り11分  新安浦駅

 何気なく隣を見ると水島さんが腕時計を見ていた。続いて壁に掛かってる時計、携帯の液晶を順番に見て時刻を確認する。
「何もそんなに確認しなくても・・・時計ってそんな簡単に止まるもんじゃないわよ?」
 私が言うと水島さんは苦笑して肩をすくめた。
「癖だからな。どうしようもねえよ。にしてもおかしいな・・・あの久美子がまだ来てねえってのは」
「彼女、いつも早く来てるの?」
「最高で8時間前だ。ちなみに俺は7時間15分止まり」
「・・・あんた達、確かに異常だわ」
「ほっとけよ」
 水島さんは舌打ちしてからふと首を傾げた。
「なあ、おまえってここの住民だよな?」
「うん。生まれたときからここにいるよ?」
 その割にはさっきバス停間違えたけど・・・
「さっきから思ってたんだよ。東京デスティニーランドって意外と駅から遠いんだな」
「は?」
 私の頭の中を膨大な数の<?>マークが駆け抜けていった。
「いや、だからさ。もっと駅の前にでんって有るのかと思ってたよ」
「あ、あ、あ、あ・・・」
 空白だ。虚無だ。魔空空間だ(古い)。私の頭の疑問符は消え去りただ一つの単語がぐぅるぐると回転し燦然と輝きを放つ。
「あほぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 私は声帯に集った全ての力を使って叫び声を叩き付けた。
「あ、アホとは何だアホとは!」
「あんたまさか改札前で待ち合わせって言われてんの!?」
「あ、ああ。そうだが?」
 水島さんは青い顔でじりじりと後ずさる。
「デスティニーランドは隣の浜舞駅よっ!」
「となりぃいっ!?」
「あんたどっちから来たのよ!」
「と、東京駅からだ」
「何で見てないのよ馬鹿!通ったでしょ!?」
 水島さんは顎に手をあてて考え込んだ。
「・・・そういえば、目を閉じて、悩んでた・・・」
「大、馬鹿、者ッ!」
 私は平手で水島さんの頭を景気良くはたき倒した。
「きっと彼女浜舞で待ってるわよ!すぐ行かなくちゃ!」
 私は水島さんの手を引っ張って走り始めた。
「ほら切符買って・・・ああまどろっこしい!私が買う!」
 ポケットから財布を取りだし中から感触だけで百円玉を三枚掴みだしそれを挿入口に連続して投入し、へこめとばかりにボタンを強打する!ゴメン駅の人っ!
 出てきた150円切符二枚を手に私は水島さんの腕を再び引っ張った。
「二枚?」
「細かいこと気にしない!」
 そのまま走って自動改札を抜け電光掲示板をざっと見回す。
「大丈夫!後一本だけあるわ!」
 叫ぶが早いかまた走り出す。早く早く早くっ!
「ああっ!もう来てる!」
 エスカレーターを更に二段とばしで駆け登った私達の前に一台の電車が止まっている。
 私たちは最後の力を振り絞ってもう一度ダッシュして電車の中に駆け込んだ。幸い発車まで時間があったようでドアは閉まらない。
「間に・・・合った・・・!」
 水島さんが荒い息の間からそう叫んだ。 
「よかった・・・」
 私も息を切らせながら呟く。あ、まだ手握ったままだ・・・
「っておまえも乗ってどうする!」
「あ、そうか」
 私は水島さんの手を離して電車を降りた。何だか握りしめていた手が寂しい。きっと、強く握りすぎてたからよね?うん、そう決めた。
「まったく・・・駅単位で待ち合わせ場所間違える奴は初めて見たわよ」
「俺も初耳だな」
 言い合ってから二人して苦笑する。
「告白、頑張れよ」
 水島さんはそのままの顔でそう言った。
「・・・彼女と、お幸せにね」
 私も苦笑の顔を崩さないように努力しながらそれだけ伝える。
 住所はわからない。電話番号も知らない。携帯は持ってるのは見たけどこれも番号がわからない。全くの、見事な、赤の他人。それが私達。
 きっと、これでもう二度と会わない二人。
 そう思うと空いた左手が、たまらなく寂しかった。
「ん・・・」
 気づくと私は水島さんに手を差しだしていた。左手の握手はちょっと違うから、右手を。
「え?」
 戸惑う水島さんに私はちょっとすねた顔をして見せた。
「握手。短かったけど、どたばたしてたけど、凄く楽しかったよ?」
 水島さんは笑いながら私の手を握った。当たり前だけど、私のよりずっと大きくて・・・そして温かい手。
 握手が終わった時に、ホーム全体に音楽が流れはじめた。発車ベルの代わりのあれだ。
「じゃあ、さよなら・・・」
 私は呟くように言って一歩下がった。
 いや、一歩下がろうとした。
「どいてくれぇっ!」
「きゃあっ!」
 声と共に私の背中を今日一番の衝撃が突き抜けた。私は手を振り回してバランスを取ろうとするがこらえきれず数歩よろめいて倒れる。
 ・・・電車の、中に。
 私は何とか床に両手をついて顔から倒れるのを防ぎ、それからおもむろに気づいた。バックが・・・さっき振り回した弾みにバックが!
「だあああっ!」
 水島さんの叫び声が倒れたままの私の耳に届いた。続いて、ドアの閉まる音も。
「水島さんっ!」
 私は叫んでドアに張り付いた。私のバックを空中でキャッチしてホームのコンクリートに倒れた水島さんが慌てて立ち上がるが無情にも電車は動き出している。
「ちょっと!止めてよ!」
 私はドアを力任せに叩くがどうしようもない。
 水島さんの姿はどんどんどんどん遠くなっていく。
「入れ替わってどーすんのよ・・・」
 あたしは呟いて脱力した。
 時刻は8時57分。二人の待ち合わせは、どちらも絶望的になった。

B−9 「私」   残り時間3分  K葉線車内

 しばし呆然としてから私は何とか精神的リストラを完了した。
「よっしゃあ!悩んだってしょうがないっ!」
 気合いを入れる私を隣のサラリーマンが不気味気に見つめる。
 ん?さっきはこんな人居なかったような?
 <さっきまで居なかった + 私、誰かに突き飛ばされた = 滅殺>
 私の頭の中で計算式成立!
「死にさらせぇっ!」
 私はとっておきのジャンピング踵落としをその極悪サラリーマン(推定)にプレゼントしその頭を床へと叩き付けた。
 ざわめく車内は気になるが取り敢えず気は晴れた。問題はこれからどうするかだ。
 時間からして新安浦に戻るのは不可能。第一戻れたとしても水島さんの遅刻は回避不能だ。それじゃあしょうがない。
「う〜」
 唸ってみる。水島さんの携帯の番号さえ知っていればなんとでもなるんだけど。
 ん・・・?
 携帯!?
 私の携帯って確かバックの中に入ってた筈!
 ぐっと拳を握ると、目の前のドアが開いた。いつのまにか浜舞についていたみたいだ。
 私は電車を降りて辺りを見回した。電話電話電話・・・!あった!
 公衆電話に駆け寄り財布の中に念のため取っておいたテレホンカードを投入、もちろん暗記してる自分の携帯の番号をプッシュする。
 コールが一回、二回、三回・・・
「出てよ水島さん・・・おねがいだから・・・!」
 四回、五回・・・
「・・・・・・」
 繋がった!
「水島さんっ!?聞いてる?」
「遠藤っ!」
 電話の向こうから聞こえてきたのは間違いなく水島さんの声だ。
「どーすんのよこんなんなっちゃって!ああ!もう9時じゃない!あたし待ち合わせ9時なのにぃっ!」
「俺だってそうだよっ!」
 二人してしばらく沈黙。
「次の下り電車は?」
「駄目。五分は来ない・・・」
 私がそう言うと電話の向こうで水島さんは少し沈黙した。
「センパイって奴の携帯に電話は?」
「番号知らないのよ・・・あんたは?」
「久美子はそもそも携帯持ってない」
 電話越しに二人してため息をつく。
 この際私の方はどうだっていい。センパイのことだ、きっと遅刻しても許してくれるだろう。・・・それくらいで告白が失敗するんだったら、きっと私に魅力がなかったって事なんだろうし。
 でも、水島さん達は。
 水島さんは私のバックを・・・つまりチョコを守って電車を降りてしまった。直前までうまくいっていた流れを断ち切ってしまったのは私なんだ。
 駄目!こんなのは駄目っ!
「あのね!」
「あのさ!」
 私達は同時に叫んでいた。
「・・・私が!」
「・・・俺が!」
 しばらく黙り込んでから、恐る恐る後を続ける。
「代わりに・・・」
 二人のセリフはぴったりと一緒だった。顔が自然と苦笑を形作る。
「ま、それが一番ましな方法だろうな」
「そうね・・・」
 時計を見ると10時3分。センパイ、もう来てるだろうなぁ・・・
「久美子はその駅の改札を出たとこに立っているはずだ。髪が長くて多分白い服を着てるはずだ。身長168センチだからすぐわかると思う」
「了解!センパイは・・・その、バックの中に手帳があってそれに写真挟んであるから。待ち合わせ場所は改札を出て少ししたとこ。柱におっきな鏡があってその辺に立ってるはずよ・・・手帳の中身は見たら殺す」
 見ないと思うけど念のため。
「あったぞ」
「うん。じゃあ私も行って来る。伝えたらまた電話するから」
「わかった。こっちも急いで行って来る」 
 最後にそう言って電話は切れた。
 ああ、緊張するなあ・・・水島さんの彼女ってどんな人だろう・・・
 確か、「白い服を着て」「長い髪で」「身長168センチ」か。
「ん・・・?」
 階段を下りながら私は眉をひそめた。
 その条件に該当する人に、私会ったことがあるような?
 首を傾げながら改札口に向かう。
「白・・・長・・・身・・・」
 ぶつぶつ言いながら改札口を出て辺りを見回す。
「あら?」
 結論から言えば探すまでもなかった。彼女の方から声をかけてきたのだ。
「たしか、遠藤さんでしたよね?こんなところでどうしたんです?」「どうしたもなにも・・・」
 私は呟いて彼女を見つめた。白いコートを着て、長い黒髪で、身長の高い・・・
「渡辺さん・・・」
 さっき会ったばかりの彼女が、そこに立っていた。相変わらず紙袋を足下に置いて。
「あの、渡辺さん?」
「何でしょう?」
 相変わらずの暖かい微笑みに私はなにやら後ろめたくなる。
「渡辺さんの、下の名前、教えてくれる・・・?」
 渡辺さんはちょっと首を傾げてから教えてくれた。
「久美子と申します」
 私は笑っていた。偶然に、そして自分にも訳の分からない衝動に突き動かされて。
「え、遠藤さん?どういたしました?」
「なんでも・・・何でもないの・・・」
 笑いと共に、これ又何故か流れてきた涙を拭って私は答えた。やだな、渡辺さんに変な人だって思われちゃってるな・・・自分でも思うもんね。今の私ってすごく変。
「あのね渡辺さん、今・・・水島さんを待ってるのよね?」
「え?」
 渡辺さんは目を丸くした。
「何故それをご存じなんですか?」
「あの・・・ごめんなさい。私が水島さんを足止めしちゃって・・・少し遅れるから待っててくれっていう伝言を預かってきたの」
「・・・景一さんから?」
 景一さんとは、水島さんのことだ。私は大きく頷いた。
「あ・・・あいつは何も悪くないのよ?私が迷惑かけちゃっただけで・・・それと、私と水島さんは通りすがりの全くの他人だから誤解しないでね?」
 渡辺さんは笑った。これまでと同じように、暖かい顔で。
「そうですか」
 その言葉に私はほっと胸を撫で下ろした。ほんの、一瞬だけ。
「これで決心が付きました。私、景一さんとお別れすることにします」
「なんでっ!?」
 嘘!何故?なんで?どうして?
「・・・私たちは幸せになれません。だからです」
「何で幸せになれないのよ!水島さんのこと嫌いになったの!?遅刻くらいで!?」
 私は怒っていた。以前センパイの悪い噂を聞いたときとは比べ物にならない程に。それは、殺意すらこもった感情だった。
「今回のことはきっかけにすぎません。本当はずっと考えていたことです」
 その言葉をあたしは最後まで聞いていなかった。私は渡辺さんの白い頬を平手で張ってしまったのだ。
「ふざけるのもいい加減にしなさいよ!?水島さんの何が気にくわないってのよ!あんな、あんないい人世界中探したっていくらもいない!私、あなたのこと見損なったわ!」
 ついさっき会ったばかりだというのは、渡辺さんにしても同じだけど・・・私は水島さんに対してと同様渡辺さんにも好意を覚えていた。
 自分とは正反対だけど、ううん正反対だからこそこの人に憧れていた。劣等感すら覚えていた。だから・・・こんなのは、許せなかった。
「言ってみなさいよ!水島さんのどこが嫌いだって言うのよ!?」
「嫌いな所など、有るわけが無いじゃないですか」
 確かに、渡辺さんは笑っていた。
 その瞳から、涙を流しながら。
「わ、渡辺さん・・・?」
「景一さんは私の理想を体現した人ですもの・・・不満なぞ有るわけがありません」
「じゃあ、何故?」
 問いながら、実は答えはわかっていた。
「先ほどお会いしたとき言いましたよね?二人で幸せになるのは難しいって」
 私は頷いた。
「私は、景一さんと一緒にいるとすごく楽しいんです。多分景一さんも同じように感じていると思います。でも・・・それは努力しているからです。彼の理想の自分であろうとしているからです。それに彼は気付いていますし、私も彼が私のために無理しているのを感じています」
 私は否定の声を上げようとして口を開け、そのまま何も言わずに閉じた。
「とても楽しい・・・でも、幸せではない」
 渡辺さんの目からは止めどなく涙が流れ続けている。きっと、きっと今まで我慢していたのだろう。水島さんに見せないように、ずっと泣かなかったのだろう。
 あの優しい悪人は、この人の涙を見たら自分が傷ついたように悲しむだろうから。
「今も私はあの人の身に何か起きたんじゃないかとか、いつも1時間前に来ているのに今日は遅刻したから怒って帰っちゃったんじゃないかとか、そんなことばかり考えていました。景一さんを信じて待つというそんな簡単なことすら出来なかったんです」
「で、でも・・・こうやって待ってるじゃない」
 渡辺さんはポケットからハンカチを取りだした。しばらくの間愛おしそうにそれを見てから涙を拭う。
 あれって、きっと水島さんからのプレゼントなのね。
「遠藤さん。景一さんが遅刻したとして、彼はどうすると思いますか?」
「どうって・・・どんなことがあったって来るわよ。多分走って」
「そうですね。心配すること無いんです。あの人は、どんなことがあっても、どれだけ遅刻しても、必ず待ち合わせに来る人です」
 私はせわしなく床と渡辺さんの間を視線で行ったり来たりした。どうにも居心地が悪い。
「でも、私はどうしてもそれを信じられないんです。信じられず、心配してしまうんですよ。何をするでもなく、ただ心配するんです」
 渡辺さんは少しかがんで床の紙袋を持った。
「結局、私達は合わないってことですね。こういうのは性格の不一致って言っていいのかしら?それとも一致?」
「でも・・・!」
「あの人も、同じ事を考えているんじゃないんですか?」
 私は思わず息をのんだ。渡辺さんは私の表情を見て大きく頷く。
「やっぱり。でも・・・あの人はきっと、別れ話を切り出せはしないと思うんですよね」
 そうだろう。きっと。
「だから、私の方からお別れを言います。・・・あの、遠藤さん?」
「は、はい?」
 渡辺さんは例によって首を傾げ頬に手をあてた。
「今日会ったばかりのあなたにお願いするのも何なんですが・・・あの人に、この事を伝えて下さいませんか?」
「わ、私が!?」
 渡辺さんは紙袋を持っていない右手で私の手を取った。
 冷たいその手が小刻みに震えているのに私は気付く。
「ごめんなさい・・・どうしても、どうしても自分で言う勇気が出ないんです」
 迷った。私だって、そんなことを伝えたくはない・・・でも。
「わかりました」
 私は渡辺さんの手を握り返し力強く頷いた。
 やっぱり、私は渡辺さんという女性がたまらなく気に入っていることに気付いたからだ。
「ありがとうございます」
 渡辺さんは深々と頭を下げた。
「そういえば、遠藤さんは待ち合わせをしてらしたのでは?」
「ああ、そっちは水島さんが遅刻するって言いに行ってくれたはずだから」
 渡辺さんは再び頬に手をあてるポーズを取る。
「・・・今日は、私達全員にとって激動の日みたいですね」
 全員というのがどこまでの範囲を差すのかわからないが私は頷いて見せた。
「じゃあ、遠藤さん。お急ぎでしょうし私はこれで」
「え?」
 言うが早いか私に背を向けた渡辺さんに私はかける言葉を探した。
「わ、渡辺さん・・・これから、どうするんですか?」
「帰ります。一人で遊ぶのは、少し虚しそうですから」
 渡辺さんは振り返らないでさっさと行ってしまう。
「ま、また会えますか!?」
 私は思わず叫んでいた。
 渡辺さんはふと足を止めゆっくりと振り返る。
「はい・・・その時は、今日のこと詳しく教えて下さいね」
 完璧な微笑み。私は歩み去る彼女を見ながらぼんやりと思った。いつか・・・彼女のような笑みが、浮かべられるようになれればと、思う。
 
B−10 「祭りの後」  10分後  浜舞駅公衆電話

 私は震える手でプッシュホンのボタンを押した。汗ばむ手のひらを拭って受話器を握り直す。深呼吸を一回、二回。
「落ち着け落ち着け落ち着け・・・」
 コール音を聞きながら私は呟いた。
「・・・もしもし?」
 コール音がとぎれ、受話器の向こうから遠慮がちな声が聞こえた。
 水島さんだ。
 私は思わず息をのみ、恐る恐る声を絞り出す。
「・・・水島さん?私・・・」
 それきり言葉が出ない。
「遠藤・・・」
 水島さんもそれだけ言って黙り込んでしまう。
 どうしよう。どう言おう。どう言えば水島さんを傷つけないですむんだろう。
 そこまで考えてから気付いた。
 それって違うよね。
 どうせ私には彼を傷つけない言葉なんて作れないんだもの。私に出来るのは、本当の言葉をぶつけることだけ。いつだって正面から勝負するのが私よね!
 傷つけないなんておこがましいよ。それは水島さんの問題だもんね。
 もしも彼が傷ついたのならその時はその時、感じたことをそのまま言おう。その方が絶対私らしいもんね?
「聞いてくれる?」
「聞いてくれ!」
 さっきと同じように言葉がかぶったけど今度は躊躇せずに勝手に叫ぶ。
「ゴメン!私のせいであんたの彼女を帰らせちゃった!しかも凄く怒ってたからあんた達を別れさせちゃったかもしれない!全部私のせいよ!本当にゴメン!」
「すまん!俺のせいでおまえの先輩を帰らせちまった!しかも凄く怒ってたからおまえ達を別れさせちまったかもしれねえ!全部俺のせいだ!本当にすまん!」
 ひとしきり叫んでから私は眉をひそめて黙り込んだ。
「えっと、すまん。よく聞こえなかった・・・もう一度頼めるか?」
「ごめん。あんたの言葉もよく聞こえなかったの。もう一回言ってくれる?」
 実は嘘だった。確かによくは聞こえなかったけど、内容はわかってた。
「・・・直接、会えるか?」
 電話の向こうから水島さんの声が聞こえる。思ったよりも静かな声だ。
「うん。駅を背負って左を見ると鉄橋の手前に大きな公園があるでしょ?そこでまってて。すぐ・・・行くから」
 それだけ言って私は電話は切った。
 激動の一日ですね。
 そう言った渡辺さんの声が頭の中をリフレインする。
 まさに、激動だ。この世界の神様はよっぽどトラブル好きらしい。いい加減にしてほしいわ。
 私は心の中でぼやいてから踵を返した。
 この激動の一日のフィニッシュを飾る、その場所に行くために。


<Count Down Side−B is End>

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